2010年12月31日金曜日

IVAWの2010年の成果

12月の最後に、IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵の会)が2010年の運動の成果を報告するあいさつをHPに掲載しています。日本の平和運動との連帯も成果の一つに挙げています。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

友人のみなさん

祝日おめでとうございます!みなさんが今年しっかりと支援してくださったので2010年は多数の成果獲得に道を開きました。

*我々はIVAWの戦争に反対するアフガニスタン帰還兵委員会を設立しアフガン帰還兵の独自の経験に発言権を与えた。

*我々は投獄されていた戦争抵抗者のマーク・ホールとトラビス・ビショップの自由を勝ち取った。

*我々は最初の女性の避難所を開き、女性の帰還兵の安全な空間を作り出して性差別や軍隊の性暴力の経験を分かち合った。

*我々はIVAWの会員のジョン・スタイバーとイーサン・マッコードが名乗り出てウィキリークスの「付随殺人」のビデオに自らの部隊が参加していたことの真実を語る支援をした。

*我々はイラクの労働運動と日本の平和運動との国際連帯を強化した。

*我々は軍隊の司令官に健康回復作戦キャンペーンを始めるとともに治療されていないトラウマを持つ兵士を配属したことを暴露して責任を取らせる、と警告した。

*我々は平和のために活動する次の世代の帰還兵の訓練を続け、今では彼らは自分たちの地域で帰還兵や兵士に強力な変化を起こす技量を持っている。

私たちの兵士と帰還兵の抵抗運動を建設するためにみなさんがしていただいた全てのことに感謝します。新年も私たちの重要な活動を続けるのはみなさんが頼りです。

戦争に反対するイラク帰還兵の会

IVAWの健康回復作戦10の理由

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵の会)がPTSDの兵士を再びイラクやアフガンに送るなという「健康回復作戦」と名づけた運動を展開しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

IVAW健康回復作戦:トラウマの症状を持つ兵士が治療の権利が必要な10の理由

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵の会)

1.現役兵士の中での自殺率は民間人の2倍であり、PTSDを持つ機関兵士は自殺をする可能性が6倍である。

2.イラクかアフガニスタンに配備された全ての兵士の20%-50%が外傷性ストレス障害(PTSD)にかかっている。これは、35万人―90万人の現役兵士又は最近軍務についた帰還兵士がPTSDにかかったことがあるか現にかかっているということになる。

3.2008年までに、33%近い兵士がイラクかアフガニスタンへの2回の軍務に就き、その一方で10%は3回の軍務に就いた。今日では1万1000人以上の兵士が6回の軍務についている。それぞれの軍務によって現役兵士がPTSDにかかる機会を大幅に増加している。3回目の配備をされた兵士のほぼ30%が深刻な精神衛生上の問題に苦しんでいる。

4.イラクとアフガニスタンで軍務についた女性の15%が性的な攻撃かセクシャルハラスメントを経験している。復員軍人局のサービスを利用した女性の20%が軍隊での性的トラウマを報告している。

5.PTSDや重い鬱(うつ)病の結果納税者にかかる兵士の配備後の損失は、自殺によって失われた2100名以上の現役兵士の損失を根拠にすると40億―62億ドルの範囲になる。

6.PTSDと重い鬱病の兵士たちは助けを求めているが、大部分は十分な治療を受けるに至っていない。PTSDか重度の鬱病であるという診断が予想される現役兵士の半数が助けを求めている。

7.アフガニスタンとイラクで任務についている兵士の3分の1は必要なときに精神衛生の専門家が見つからないと言っている。

8.20%近くの現役兵士が何らかの種類の精神医学薬品を飲んでいる。現在実戦配備中の現役兵士の中で、イラクでは12%、アフガニスタンでは17%が処方箋による抗鬱剤か睡眠薬を飲んでいる。しかし米軍は実戦配備中の処方箋による薬剤の使用を追跡する手段を持っていない。

9.米国国防省は現役兵士の精神状態が配備に適していることを証明できないし、彼らが帰国したときに精神医療状態の正確な評価を出すことができると保障することもできない。

10.米軍の精神医療の専門家によって配備が不適切だとみなされている一人の現役兵士が司令官によって負わされた重いトラウマ症状を持ったまま配備を迫られる可能性がある。

2010年11月27日土曜日

ギャレット・レパンヘーガンさん(IVAW議長)の証言

日本政府にイラク戦争検証委員会設置を求める集いに来日するIVAW(反戦イラク帰還兵士の会)のギャレット・レパンヘーガンさんのこれまでの発言です。

◆ギャレットさんはイラクに派兵されている時にIVAWに加入した初めての米軍兵士であり、IVAWの現議長です。
◆集会に参加して、ぜひギャレットさん、そしてIFC(イラク自由会議)のサミール議長・アハメド青年学生局長と交流しましょう。

イラク戦争検証委員会設置を求める集い
12月11日(土)18時半 大阪市立北区民センター
12月12日(日)14時   渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール

冬の兵士・ライフブログ
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

交戦規則ⅠⅠ:ギャレット・レパンヘーガン

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵士の会)HPから

http://www.ivaw.org/import/winter-soldier-liveblogging-rules-engagement-ii-garett-reppenhagen

ギャレットはバクバで偵察兵や狙撃兵として軍務についた。イラクに配備される前に彼の部隊はジュネーブ協定[1864年スイスの Geneva で締結された国際協定;戦時の捕虜,傷病兵,戦死者の人

道的な扱いに関する規則]と戦時法について多くの時間を費やした。だから、彼は到着してみたらジュネーブ協定の中に述べている多数の規則が無視されていることを知って驚いた。

基地の外に初めて移動した時、彼は兵士たちが外出禁止時間を過ぎて外にいる人々を銃撃するのを目撃した。人々は何の武器も持っていないのに、キャリバー50[ブローニングM2重機関銃]やMK19グレネードランチャー[自動擲弾(てきだん)銃]によって無差別に殺りくされたのであり、それらは両方ともジュネーブ協定で対人使用が禁じられているものである。ギャレットはイラクに駐留した期間に新たな交戦規則の指示を全く受とっていなかった。彼にとって、交戦規則は遠い記憶となり、存在したのはたえず限界にまで押しやられる境界線だけであった。

ギャレットはある日、試された経験のない兵士の分隊と、料理人と、事務官と、トラブルメーカーと、見捨てられた人たちと共に個人警護の任務でゲートの外に車で出ていた。ロータリー[円形交差点]で大混乱が起こり、誰もが交戦規則や目的などほとんど考えずに何かに対して銃撃をしていた。ほこりが収まった時、彼らは州副知事の警護チームを殺してしまったことに気がついた。これは孤立した事件ではなく、なぜこんな事が起こったのかその理由が分かる。ギャレットが一緒に任務についた人々は立派な人たちであった。彼らは怪物ではなかったし残酷な人たちでもなかった。戦争自体が怪物であり残酷なのだ。

「私は祖国を信じていたのに」 

イラク帰還兵士 ギャレット・レパンヘーガン  2006年3月1日

挑戦する女は原理主義者に沈黙しない-マラライ・ジョヤ

アフガニスタンで占領とカルザイ政権、イスラム政治勢力に反対する活動家マラライ・ジョヤの記事です。(オーストラリアの新聞に掲載)

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

大胆な女性は軍閥や原理主義者に沈黙させられない
アンドレー・ホーリン
シドニー・モーニング・ヘラルド紙 2010年11月18日

マラライ・ジョヤを沈黙させようとした人々は数多い。彼女が最年少の選出議員としてアフガニスタン国会で発言した時、マイクの電源が切られた。それで彼女をやめさせられないとなると、同僚の国会議員たちが彼女を追い出してしまった。

彼女は4回の暗殺未遂から生き延びているが、今でも声を上げ、軍閥とハミド・カルザイ政権の「犯罪たち」とタリバンのテロリストと占領軍を糾弾している。

誰かが再び黙らせようとするならば知っていることは全て話さなければならないかのように、32歳のジョヤから言葉が大急ぎであふれ出てくる。

シドニーの民主主義の活動家や女性の権利要求の運動家は、断固たるメッセージを発することになる。:「民主主義は戦争によっても、占領によっても、クラスター爆弾によっても、白リン弾によっても、絶対にやってこない」と彼女の言うのである。

彼女は戦う敵が一つ減るので外国軍がアフガニスタンから出て行くことを求めている。「私たちは2つの敵に挟み撃ちになっているのです。一方にはタリバンと軍閥がいて、もう一方には外国軍がいるのです。」と彼女は言う。

「米国とNATOによる9年間の占領の間に8000人以上の罪もない市民が殺され、それがオバマによるアフガン派兵拡大の下で急激に増加しています。アヘンの生産が再びさかんになり、女子や女性に予告されていた前進は偽物です。」と彼女は言っている。

「大部分の州の状況はタリバン支配下と同じように破滅的です。」「占領を正当化するために大都市で2、3の学校が建設されましたが、地方の状況は女性にとってはジャングルの掟なのです。」と彼女は言う。

彼女の持ってきたアルバムの中は、大部分が傷ついた市民の衝撃的な写真であるが、現代的な服装をした1960年代のさっそうと外出しているアフガニスタンの女性の写真も入っている。「今日では女性は禁じられたことをやったと疑われて公衆の面前でムチを打たれ、石を投げつけられ、撃ち殺されているのです、そしてレイプ事件が激増しています。」と彼女は言った。

「これは民主主義の戯画です。」と彼女は言った。

彼女は確固としてカルザイ政権を批判し、最近カルザイ政権が穏健派のタリバーンに提案を行ったことを「一つのテログループがもう一つのテログループに政府に入るようにと招待しています。彼らは両方とも女性を嫌悪する連中なのです。」見ている。

ジョヤはロシアのアフガニスタン侵攻の4日後に生まれた。彼女の家族は1982年にパキスタンに逃れ、彼女はそこで難民キャンプの学校に通った。彼女はソビエトが撤退した時に帰国して、タリバン支配下で秘密の地下室の学校で少女たちを教えた。

彼女は2005年のアフガニスタン国民議会に当選したが2年後に追放された。彼女が最近の選挙に立候補しないと決めたのは、一つには命が危険にさらされる支援者を守るためでもあったが、「投票箱を通して積極的な変化をおこすという私が抱いていたいかなる希望もなくなってしまった」からでもある。

彼女はディーキン大学に「危機に立つ世界/いつもの仕事」の基調提案者として招待され、昨夜はシドニー協会で演説を行った。

「私はアフガニスタンのことを楽観しています。」と彼女は言った。

「私は悲観的なら、欧米に行って自分の人生を楽しみます。しかし、希望が生きている間は、どんなことでも可能なのです。」

キリスト協会襲撃をIFCが糾弾

2010年10月31日、バグダッドのキリスト教会の日曜ミサにイスラム政治勢力の武装グループが襲撃を加え立てこもり、人質をとって50人以上の市民が犠牲になりました。IFC(イラク自由会議)がこの事件を批判する声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

教会(聖母マリア救済教会)における大量虐殺は宗派主義ギャングどもの恥である

イラク自由会議バグダッド支部  2010年11月2日

バグダッドのカラダ地区の教会(聖母マリア救済教会)での大量虐殺事件は過去8年間にわたってイラク民衆の血を奪った占領者とその手先たちの一連の犯罪に付け加えられた新たな出来事である。

この攻撃は2003年の対イラク侵攻以来おこなわれてきた犯罪行為に付け加えられたものであり、その犯罪は数百万人のイラク国民を国外に追いやり、飢餓と極貧を引き起こした上に宗派間暴力や宗教と民族の紛争を燃え上がらせたのである。

同じ文脈の中で、ムスリムと共にバグダッドやニネヴェで祈りの場にいるキリスト教徒を標的にすることは、こうしたギャングどもには人間というものが何の意味もない存在なのだと言うことを明らかにしたのである。

こうした犯罪行為はマリキ政権がこのような事件で愛する人たちを失ったイラク国民の悲鳴を傍観している間に行われたのである。ウィキリークスの数十万の文書によると、このイラク政府はその身の毛もよだつ政策を押しつけるために市民を標的にした部隊を作り上げ命令を下した政府なのである。

イラクにおける治安状況が最近厳しくなって、バグダッドのカラダ地区の聖マリア救済教会の大量虐殺は何十人もの命を奪いさらに多くの負傷者を出すことによって大混乱を助長するものであった。グリーンゾーンの政府がいまだに権力と富を互いに争いあっている一方で、この状況は、劇的なまでにエスカレートしたのである。
イラク自由会議がこの恐るべき犯罪行為を糾弾するにあたり、この忌まわしい犯罪の犠牲者の血を流した責任はマリキ政府にあると断言する。さらにIFCは、占領軍とその計画からイラク民衆を救い出すためにイラク自由会議の旗の下に結集することを国民に呼びかける。

人類のために犠牲となった人々に栄光と永遠あれ

イラク自由会議―バグダッド支部

2010年11月1日月曜日

ウィキーリークスのイラク戦争に関する公開資料

ウィキーリークスのイラク戦争に関する公開資料についてのIVAWの声明です。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


「イラク戦争の記録」についてのIVAWの声明―説明責任を求める

最近のウィキリークスによる「イラク戦争の記録」の公開は米国史上最大の機密漏洩[ろうえい]であり、戦争に反対するイラク帰還兵の会が2004年の結成以来発言してきたことを広範囲にわたって細部まで明らかにしている。米国は7年間にわたって血にまみれた占領の中心となり、その占領では戦争犯罪が日常茶飯の違法行為となり、市民の犠牲者が著しく過小報告され、民間軍事会社の傭兵が暴れ狂ったのである。

イラク戦争の記録についてのIVAWの声明―説明責任を求める
最近のウィキリークスの公開資料―イラク戦争の記録―は、イラク戦争に固有な、市民の死亡率の高さや拷問を含む広範囲に及ぶ残虐行為に対して重要な光を当てた。イラクとアフガニスタンの戦争の帰還兵士として、我々は米国政府がこの情報を米国民から隠蔽しようとしたどころか、都合の悪い部分を削除した欺瞞的な戦争の説明をしたことに憤激しているのであり、我々はこの情報とそれ以上の情報が出てくることが不可欠であると考える。IVAWのメンバーは現場で戦争の現実を直接経験し、IVAW結成以来、イラクとアフガニスタンにおける同じような残虐行為について語ってきた。我々は米国民に、我々に合流して米国政府が占領をやめ、我々の兄弟姉妹を帰国させろと要求してもらいたいと要請している。
米国政府は何年にもわたって市民の死者数を数え続けることはしないと主張してきたが、最近の公開資料は実際には米国政府が数え続けていることを明らかにしている。2004年と2009年の間に、この新たに暴露された記録によると、少なくとも10万9032人のイラク人が死に、そのうち6万6081人が民間人であった。ガーディアン紙はイラク戦争の記録は米国の軍と政府が、イラクの兵士と警察官による虐待と拷問とレイプと殺人の何百もの報告を事実上承認していたことを明らかにしていると報告している。これらの最近の暴露事実は、「アフガン戦争日記」[訳注1]や「付随的殺人のビデオ」[訳注2]と共に、交戦規則が過大な暴力を見込み、米軍の駐留が不安定化を引き起こし残忍な仕打ちをする軍隊として活動している日常生活の構造に組み込まれているのだという戦争の構図を作り上げてみせている。「イラク戦争の記録」は、きわめて重要であるが、同時制作された報告であり、米軍への非難を最小限にするためにそれ自体が歪曲されているかもしれない。それでもなお、イラク戦争の記録はイラク戦争の事実を検討する際の証拠の重要部分を占めるのであり、・u桴リ拠はより多くの文書や情報の公開および関係者個人による補強証拠によってのみ改善することができるものである。そのために、IVAWの会員はウィキリークスの「アフガニスタン戦争日記」と「イラク戦争の記録」の両方を、我々が参加した出来事を確認し実際に起こったことにより多くの光を当てるために精査している。
訳注1:「アフガン戦争日記」は2010年7月にウィキリークスが7万6900のアフガン戦争に関する未公開資料を公開
訳注2:「付随的殺人のビデオ」は2010年4月にウィキリークス「付随的殺人」のウェッブサイトに米軍がイラク市民を殺害するビデオの場面を投稿
IVAWは結成以来こうした残虐行為や虐待について声をあげてきた。IVAWは2001年9月11日以来軍務に就いた2000人以上の帰還兵士と現役兵士で構成されている。我々はイラクとアフガニスタンからの全占領軍の即時撤退と、これらの国の国民への賠償と、精神面の治療を含む帰還兵士に対する完全な年金を要求する。2008年のメリーランドにおける冬の兵士公聴会で、50人以上の帰還兵士と現役兵士のIVAW会員がこれらの国で実行しろと言われた命令について公然と証言し、過大な暴力やトラウマや虐待についての話を分かち合った。

ウィキリークスの「付随殺人」のビデオで撮影された部隊の中にいたジョシュ・スティーバーとイーサン・マッコードの2人のIVAW会員は、事件が撮影された経緯は「少数の悪質な兵士」の孤立した事件ではなく、むしろ、これらの戦争の性質の一部であると語っている。「米国について志の高いあらゆるものを代表しているとかつて友人や私が考えていた戦争にはほとんど責任性なんてありませんでした。」とイラク戦争の記録の発表を見越してスティーバーは書いた。公開書簡の中で、スティーバーは政策決定者に「これらの戦争と戦争についての完全な真実について責任を取れ」と要求している。

帰還兵として、我々はイラク戦争の記録に収録されている暴力は占領下に生きる人々のトラウマになっていることを知っている。イラクとアフガニスタンの戦争はまた、こうした命令を実行するという任務を負わされた兵士の中で、軍事活動によるトラウマや自殺の割合が信じがたいまでに増加したことが特徴になってもいる。昨年、239人の兵士が自殺し、1713人の兵士が自殺未遂で一命を取り留めた。74人の薬物過剰服用を含む174人の兵士が危険性の高い活動によって死亡した。ランド・コーポレーション[非営利の調査研究所]によると、帰還した兵士の3分の1は精神上の健康問題を報告しており、帰還した現役兵士全員の内の18.5%が外傷性ストレス障害[PTSD]か鬱病と闘っている。10月7日に開始したIVAWの「健康回復作戦」は、外傷性ストレス障害や軍隊内性的トラウマや外傷性脳損傷や他の精神的肉体的負傷を負っている兵士の再配備をするという残酷で非人間的な活動―すなわちイラクとアフガニスタンの占領の継続の基礎となる活動である―を終わらせることを追求している。

ウィキリークスの創設者のジュリアン・アッサンジの性格を攻撃する批判者たちは、本当の問題から目をはずしイラク戦争の記録の内容から大衆の関心をそらすために、偏見に訴えた論議を利用しようとしている。我々は包み隠さずこれらの文書の内容を討議することを通じて進めていくし、この討議は脇にやってはならないと考える。さらに、過去のウィキリークスの暴露に関して、米国政府当局と米軍当局は、これらの文書を国民に暴露したことで訴追されているブラッドレー・マニング陸軍特技官を早速中傷した。しかし、米国民の名で闘われ、米国民の税金で資金が出されている戦争についての正確な情報を得ることは米国民の権利であると我々は主張するし、国民がこの情報を共有することを支持する。戦争犯罪を暴露することは犯罪ではない。

政府がウソをついていたことは弁解の余地がない。当局は「国家の安全」を名目にこの情報を秘密にし続けてきたが、当局が本当に恐れているのは国民世論であり、大手メディアにこれらの戦争の真実が出てくれば国民世論が自分たちに反対することを知っているのだ。イラク人の死者の正確な数字や、拷問の事実の認識や、民間傭兵の役割の全面的な暴露は民主主義国家の中では公開するべき事実である。真の国家の安全とは政府の透明性と責任と出版の自由と不当な戦争と占領に対する財政支出を終わらせるということが基準となる国で作り出されるのである。沈黙と秘密が続くことはイラクとアフガニスタンの人々の安全に大変な脅威となるのであり、我々は公開性と責任性とこうした暴露に関する真の論議を要求する。
我々はこれらの戦争で失われ破壊されたイラクとアフガンの人々の命のことを深く悲しむ。我々はまた、戦闘か自殺によって失われた我々の兄弟姉妹を腕にいだいて嘆き悲しむ。イラク戦争の記録はこれらの戦争の過酷な事実、すなわち我々―帰還兵士―が毎日生きている現実の一部を米国に持ち帰ったのである。我々は、イラクに今もいる5万人の「非戦闘要員」兵士の即時撤退を含めて、両方の戦争を本当に終わらせることを要求する。「イラク戦争の記録」はこれらの戦争によって傷つけられた全ての人たちに対して平和と癒しと補償が緊急に必要であると言うことを強調している。その最初の一歩は我々の兄弟姉妹の兵士たちを帰国させることである。
連帯して
戦争に反対するイラク帰還兵の会

2010年10月30日土曜日

イラク戦争検証委員会にブレアを再喚問

イギリスのイラク戦争検証委員会(チルコット委員会)がブレア元首相を再喚問します。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

トニー・ブレアがイラク戦争検証委員会に再喚問

トニー・ブレアが「矛盾した証言」、すなわち明らかに彼以外はみんながウソであると知っているものについて、イラク戦争検証委員会に証言をするために再び喚問された。

デーリーメール紙 2010年10月26日
トニー・ブレアは今年初めに行った証言の「食い違い」についての新たな疑問に答えるためにイラク戦争検証チルコット委員会によって再召喚されることになる。
ブレア前首相は2003年の米国主導の侵攻に対してどのような政治的後押しを行ったかを明らかにするように求められるようだ。
彼はまた、議論の的になった戦争にイギリスが参戦したことにどれほどの合法性があったのかに関してさらに説明を求められている。ジョン・チルコット卿は来月ブレア氏に対して、2011年はじめの公聴会に出席を求める手紙を書く。
今年初めの6時間の証言で、ブレア氏はイラク侵攻を精力的に擁護する論陣を張り、サダム・フセインを除去したことに何の後悔もないと主張した。彼は独裁者が持っていると思われていた大量破壊兵器に関する「ウソ」を根拠にしてイギリスを参戦させたことは否定した。

彼の証言時間の最後に、聴衆の一人が「何だって、後悔していないって?冗談じゃない、他の人々は「お前は嘘つきだ」「そして人殺しだ」と野次り倒しているんだぞ」と叫んだ。
ジョン卿は、「私のチームはイラク侵攻に関する何千もの政府の機密文書を徹底して熟読しているので、もしも証言の中に矛盾か食い違いが見つかったなら、証人を再召喚する」と事前に説明している。
ライアム・フォックス現国防長官はジョン卿に対して、イギリス兵士がイラクとアフガニスタンの戦争にいる期間の国防費を自分が削減したのだという侮辱的な証言を押しつけられたので、今年初めにゴードン・ブラウンを検証委員会に再召喚するように要請した。
当時のブラウン首相は下院議員たちに労働党政権下の国防予算は「実際に毎年上昇していた」と検証委員会に言ったことは間違いであったと言ったのである。
1月に、強情なブレア氏はイラク侵攻について「後悔していない」と証言した時にイギリスの戦死者の家族から野次られ罵倒された。しかし彼は同じ事をまたするだろうと明言し、世界の指導者たちにイランに対してもうすぐ同様の決定を行わなければならないかもしれないと警告した。
70万人ものイラク人と179人のイギリス兵士が死んだにもかかわらず、ブレア氏は6時間の証言の最後に「責任は感じるが後悔はしていない」と言った。一片の良心のとがめもなかったのである。
サダムは「怪物」であり、大量破壊兵器を所有する「可能性」を防ぐためであったとしてさえも、彼を排除することは正しかったのだ、とブレア氏は言った。
彼はイランの核兵器計画は今やはるかにに大きな脅威になっていると警告した。

2010年10月24日日曜日

AVAW(反戦アフガニスタン帰還兵の会)結成

IVAW(反戦イラク帰還兵の会)が中心となってAVAW(反戦アフガニスタン帰還兵の会)委員会を結成しました。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

アフガニスタン帰還兵がAVAW(反戦アフガニスタン帰還兵)委員会を結成

IVAW(反戦イラク帰還兵の会) 2010年10月

ブロック・マッキントッシュ(アフガニスタン帰還兵)、カサンドラ・カントゥー(アフガニスタン帰還兵)、ジャコブ・ジョージ(アフガニスタン帰還兵)、ネーサン・トス(OEF[不朽の自由作戦]帰還兵)、タイラー・ザベル(アフガン戦争抵抗者)、アレハンドロ・ビラトロ(イラク帰還兵で2010年にアフガニスタンに配属された)が一緒に参加して、アフガニスタン帰還兵士による継続中のアフガニスタン占領を終わらせる闘いを、米国兵士と帰還兵の運動やより大きい反戦運動や一般大衆に確実に認めてもらえるように、AVAW委員会の結成をIVAW執行委員会に提案した。執行委員会は10月第1週にAVAW委員会の結成を承認した。

AVAWと行動しよう

AVAWのメンバーは全米及び自らの地域で行動している。

AVAW委員会の創設者の1人であるブロック・マッキントッシュは回復作戦キャンペーンの発表の場に出席し、アフガニスタン占領の失敗した戦略と米国兵士と帰還兵の治療の権利を悪用したこととの関係について証言を行った。「デモクラシーナウ」でブロックを見よう!

ブロックを支援する誓いと精神的衝撃を受けている兵士の配備を今日止めよう!の運動を支持する誓いに署名しよう!

アレックス・ビラトロは10月1日にアフガニスタンに空輸されて第656輸送部隊に配属された。彼は過去数ヶ月間にわたって自分の部隊の装備と訓練の改善を助けるために司令官に対して闘ってきた。声を上げることによって彼は自分の部隊のための改善を勝ち取った。この「共通の夢」の記事で彼の部隊についてもっと読むことができる。アレックスが安全でありますように!

アーカンサス州フェイトビル出身のジャコブ・ジョージはアフガニスタンとイラクの占領が終わるまでオートバイに乗り続ける活動である「終わりまでのオートバイ乗りプロジェクト」の先頭に立っている。このプロジェクトを通じて彼は南部の多数の小さな町を訪れ、戦争を止めることに関心を持つ個人、団体組織と協力をしている。

ウィスコンシン州マディソン出身のネーサン・トスはIVAWマディソン支部や地域の仲間の団体と共に活動して、平和を求めるウィスコンシンと言う名の退役軍人への代案と供給を作る活動に力を貸してきた。このプロジェクトは以下を参照してほしい。http://www.wi4vets.org/
http://www.ivaw.org/blog/avaw

IFCが米国反戦運動への弾圧を非難

オバマ政権の下でFBIが反戦活動家の自宅を家宅捜査するなどの弾圧を行っていることに対して、IFC(イラク自由会議)のサミール議長が反戦運動への弾圧を非難し、米国反戦運動への連帯を表明しました。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

アメリカ反戦運動の兄弟姉妹への連帯メッセージ

サミール・アディル議長/イラク自由会議中央評議会 2010年10月4日

我々はアメリカ合衆国の反戦運動の多数の活動家と組合活動家の自宅に対して最近FBIの部隊が攻撃を行ったことを知らされた。この行動は、イラクとアフガニスタンに対する2つの残忍な戦争を開始し、中東における暴力とテロの循環を爆発させたネオコンを打倒するために活動している急速に拡大している運動を押さえ込もうとする試みである。これらの先制攻撃戦争は世界をテロリストの思うがままにして、米国自身の安全を減らしてしまったものである。

我々の運動の指導者や活動家は米国政府の政策決定者や政治家にとってはやっかいな問題になっている。我々の指導者たちに対するFBIの最近の攻撃は解き放たれた民主主義を終わらせることによって米国内の国内状況を再構築しようという卑劣な企てである。

米国の世界の中での戦略的な立場は脅かされている。経済危機は一握りの投機資本家とそのホワイトハウスの政治的代弁者によって築かれた基礎のあらゆるレンガを揺さぶった。投機資本の政府が崩壊するのをおそれて、オバマ政権は、ほんの少し例をあげても、イラクからの部分撤退や、中東の平和プロセスにおける役割や、イランに対する経済制裁や戦争をめぐる論議について、国民をを一貫して欺いてきたのである。

反戦運動に卑劣な攻撃をかけ脅迫するということは勢力を取り戻すための戦略の一部であり、中間選挙を間近にする中で重要なことなのである。

イラク自由会議は米国を含む全世界の反戦運動の一部であり、FBIが先導する我々の運動の活動家に対するこの作戦を強く非難し、こうした行為はホワイトハウスが世界に自慢している概念そのものである民主主義と人権を完全に侵害しているものであると見なしている。

イラク自由会議は米国反戦運動の指導者や活動家に揺るぎない連帯と支持を表明し、米国司法省が全ての告訴を取り下げ、投獄された全ての活動家を即時釈放し、彼らに対するテロ行為をやめることを要求する。

平和と自由を求めてきた活動家を逮捕し脅迫することは彼らの決意を止めたり弱めたりすることはない。それはちょうど米国の戦争機構がイラクの我々を脅迫することができなかったことと同様である。

同時にIFCは自由と平和を求める全ての人たちに民主主義の概念を世界に輸出していると主張している国の中で言語道断の人権侵害が行われていることに断固反対して立ち上がることを訴える。
平和万歳

反戦運動万歳

米国の反戦運動の活動家と指導者万歳

2010年10月6日水曜日

FBIが平和運動家を弾圧

反戦運動家に対するFBIの家宅捜査と嫌がらせに抗議しよう!

UFPJ(平和と正義のための連合) 2010年9月26日

平和と正義のための連合は9月24日の金曜日にFBIによって家宅捜査をされた反戦・国際連帯の活動家に連帯して立ち上がる。シカゴとミネアポリスで家宅捜査が行われた。早朝の家宅捜査でドアが蹴破られ、子どもの作品やマーチン・ルーサー・キング・ジュニアのポスターなどの個人の所有物、さらに携帯電話、コンピューター、紙の記録の入った箱が持ち去られた。イリノイやミネソタやミシガンの10数人ほどの活動家が連邦大陪審の前で証言するように召喚された。

FBIは、逮捕は行われていないが、テロへの「物質的支援」の可能性のあるものについての証拠が集められている、と強調した。「物質的支援」法は非常に広い適用範囲が記述されているのでテロとの関係はテロを減らすことだけである国際的な平和構築の活動家を犯罪人にすることができるし、実際にそうしているのである。

わずか1週間前に、司法省自身の査察官がFBIによって政治的な監視が行われていることを立証した報告を発表した。金曜日の家宅捜査はその歴史全体を通じて不幸にもその悪用を繰り返してきた常習犯の政府機関による最新の違法行為なのである。

FBIの家宅捜査はアメリカ合衆国憲法修正第1条[信教、言論、出版、集会の自由、請願権]と米国の平和運動を脅かし、司法省の「反テロ」訴追にのさばっている、団体によって有罪を拡張するという危険性を反映している。そんなものに効力はないし、FBIはどんな乱用にも責任を取らなければならない。活動家は全米の都市でFBIと連邦ビルのデモに参加するようにと勧められている。

2010年8月28日土曜日

イラク「敗走」連合声明

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵士の会)や女性平和団体コードピンクなどが「イラク敗走連合」と銘打って8月31日の米軍のイラクからの部分撤退についての声明を出しました。今回の「撤退」は占領のブランドのはり替えであると明言しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク「敗走」連合声明

7年間の戦争の遺産

http://ivaw.org/node/6111
末尾に署名をしている団体と個人の我々は、次の評価と勧告によって8月31日の米軍の部分撤退を特徴付ける。

*米国のイラク占領は継続し、イラクにおける米軍の縮小はせいぜい単なる占領のブランドのはり替えに過ぎないと呼ぶことができる。イラクの米軍兵士の数は最大16万5000人から削減されるが、それでもなお5万人の兵員と、約7万5000人の軍契約者と、5つの巨大な「恒久的基地」とバチカン市国の大きさの大使館が残されるだろう。

*米軍がサダム・フセインの野蛮な独裁を打倒してもイラク国民のより良い生活にはならなかった―ちょうどその正反対であった。占領の結果、基本的な社会基盤―電気や水や下水である―を一層破壊し、そしてそれは今日まで続いているのである。米国は第2次世界大戦の全部よりも多いトン数の爆弾を落としてイラクの電力、水道、下水システムを破壊した。かつて中東全体で最良であったイラクの医療と高等教育制度は大部分が破壊された。米国の対イラク戦争は暴力の波を解き放ち、100万人以上のイラク国民が死に、400万人が住みかから追い出され、そして、民族対立が国民を苦しめ続けている。我々は何百万人ものイラク人に重い傷を負わせ、再建の闘いを進める際にイラク人と地域住民と国全体に一生涯の苦難や経済的苦境を作り出したのである。

イラク国民の平均寿命は、戦争と医療体制の破壊によって、1996年の71歳から2007年の67歳へと落ちた。劣化ウランや白リン弾といった兵器を米国が使用したために、深刻な死傷者数を出し、たとえばファルージャでのガン発生率は今や広島の発生率よりも悪くなっている。

*米国の介入によって生み出された難民と国内で住みかを追われた人々の大部分は見捨てられている。400万人近い難民のうち、多くの人々が今やシリアやヨルダンやレバノンや世界中でますます絶望的な状況の中で暮らしている。証明書を持たない難民として、大部分は働くことを許されず、生きるために極端に低賃金の非合法の仕事(1日3ドル)につくか国連や慈善事業に頼らざるを得ないでいる。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はイラク人女性の性売買が急増しているという資料を出している。

*イラクはいまだにまともに機能する政府がない。3月7日の選挙から何ヶ月もたっているのに、今なお政治的空白と毎月およそ300人の市民を殺す暴力が存在している。きちんと機能している民主主義は存在していないし近い将来に存在するようになるという兆候はほとんどない。

*イラク戦争は米軍兵士に恐ろしい犠牲を残した。100万人以上の米軍現役軍兵士がイラク戦争のつらい仕事に派兵された。4400人以上の米軍兵士が殺され何万人もが重傷を負った。米軍兵士の4人に1人以上が医療や心理治療の必要な健康問題を抱えてイラク戦争から帰国している。軍隊内のPTSDの比率が急増している。2009年には新記録となる245人の兵士が自殺した。

*戦争は米国の資金を枯渇させた。2010年現在、米国の納税者はイラク戦争に7500億ドル[約75兆円]以上を使った。負傷した退役兵士の生涯の看護費用とこの戦争の費用を支払うために米国民が借りた資金への利息支払いを合わせると、本当の費用は数兆ドルにもなる。こんな資金の悪用をしたために今経験している経済危機を引き起こしたのであり、学校や医療や社会基盤や汚染がなく環境に優しい雇用への投資などができないのである。

*嘘に基づいたこの破滅的な戦争に我々を引き込んだ米国政府高官たちは責任を取らされていない。ジョージ・ブッシュも、ディック・チェーニーも、コンドリーザ・ライスも、コリン・パウエルも、カール・ローブも、ドナルド・ラムズフェルドもである。誰1人もとらされていない。ジェイ・バイビーやジョン・ユーなど拷問を認めたブッシュ政権の弁護士たちも取らされていない。嘘をずっとつき続けた「シンクタンク」やジャーナリストや専門家たちは首になってなんかいない―大部分は今日アフガニスタン戦争の応援の先頭に立っているのである。

*戦争はイラクの資源の略奪と腐敗の制度化を引き起こした。米国国防省は2003年のイラク侵攻以後の人道上の必要と復興に当てられたイラクの石油とガスの資金の87億ドル[約8700億円]の使い道を明らかにすることができなかった。イラク侵攻は国家の石油に対するイラク政府の管理をむしばむことにもなったのである。2001年に、アメリカ最大のエネルギー企業の経営者たちを入れたディック・チェーニー副大統領のエネルギー対策本部はイラクのエネルギー産業部門を外国の投資に解放するように勧告した。その結果できたイラクの石油法案は、国際石油カルテルがその支配を再確立しようとしているので、イラクの資源を全世界規模で略奪するおそれがあるものである。しかしながら、石油法の採択は、強力な民衆による抵抗、なによりもまず石油労働者とその労働組合によって頓挫させられている。

*イラク戦争は我々をより安全にすることはなかった。拷問と異常な演出と無期限の拘束と暴力的でひどい襲撃と街頭での罪もない市民の射殺と人身保護令状[特に違法な拘禁を防ぐために被拘禁者の出廷を命令する令状]の欠落という米国の政策はアメリカ人に対する憎しみと過激主義の炎を燃え上がらせた。米国軍がイラクや他のムスリム諸国に駐留しているまさにその事が彼らの人員を募集する手段になっているのである。

 以上から、末尾に署名する個人と団体の我々は今回の部隊の撤退の機会にオバマ政権と議会に以下の行動を取るように要求する。

*イラクから全ての米軍と軍事契約要員を撤退し全ての米軍基地を閉鎖すること。

*イラク人が基本的な社会基盤を修復し、何百万人もの国内外へと家を追われた何百万人ものイラク人のための増加した費用を回復する助けとなる補償を行うこと。
*戦争による精神的肉体的負傷に苦しむ米国兵士を十分に支えること。

*米国をこの大惨事に引き込んだ責任のある政府当局者を訴追すること。

*資金を戦争から、環境に優しい雇用に焦点を当ててアメリカを再建するための財源に変えること。

*この破滅的な介入の教訓は連邦議会とオバマ政権がアフガニスタンでの戦争を終わらせる弾みにしなければならない。アメリカ国内の真の安全を作り出しアメリカを再建することに焦点を当てる時である。

Bay Area Labor Committee for Peace & Justice:
[サンフランシスコ]湾岸地区平和と正義のための労働者委員会
CODEPINK: Women for Peace: コードピンク:平和を求める女性の会
Community Organizing Center: 地域組織化センター
Courage to Resist: 抵抗する勇気[派兵拒否兵士の支援組織]
Fellowship of Reconciliation: 友和会[宗教の宗派を越えた平和組織]
Global Exchange: グローバル・エクスチェンジ
Institute for Policy Studies' New Internationalism Project:
政策研究所・新国際主義プロジェクト
Iraq Veterans Against the War: 戦争に反対するイラク帰還兵の会
Jeannette Rankin Peace Center: ジャネット・ランキン平和センター
Just Foreign Policy: 公正な外交政策を求める会
Military Families Speak Out: 声を上げる軍人家族の会
Nicholas (Nick) Dibs, Independent candidate for Congress:
ニコラ(ニック)・ディブス 無所属連邦議員候補
Pax Christi – USA: パックス・クリスティー・USA[カトリックの平和運動団体]
Under the Hood: アンダー・ザ・フード[フォート・フード基地前の反戦カフェ]
United for Peace and Justice: 平和と正義のための連合
US Labor Against the War: 米国反戦労働者の会
Veterans for Peace: 平和を求める退役軍人の会
Voices for Creative Nonviolence: 創造的非暴力の声
Voters for Peace: 平和を求める有権者の会
War Is a Crime: 戦争は犯罪だの会
Women's International League for Peace & Freedom (WILPF) Los Angeles Branch
婦人国際平和自由連盟(WILPF)ロサンジェルス支部[1915年創設の国際女性平和団体]

2010年8月22日日曜日

AFL-CIO会長がイラクの組合弾圧に抗議

マリキ政権がイラクの電力労組など労働組合にひどい弾圧を展開しています。これに対して米国最大の労働組合のナショナルセンターであるAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議。組合員1100万人)のトラムカ議長がイラクのマリキ首相宛に抗議書簡を送りました。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

http://www.uslaboragainstwar.org/downloads/Trumka%20to%20Maliki%20letter%2011%20August%202010.pdf

2010年8月11日

ヌーリ・マリキ首相宛

組合員数1100万人のAFL-CIOを代表して、私はイラク政府の政令第22244号に対して強い抗議を表明するために手紙を書いています。この政令は労働組合の権利を明らかに侵害し、イラク労働者の民主的な希望を不当にも制限しています。

AFL-CIOが受け取った情報が示しているように、電力大臣によって出された政令は電力産業部門における全ての労働組合活動を徹底的に禁止すると明言しています。それは電力省当局者が労働組合と交渉することを禁じ、労働組合が労働者を代表して近年電力省と交渉してきた利益をすべて取り消せと指示しています。さらに、電力省に対して、警察と協力して全ての労働組合事務所を閉鎖し組合の財産、資産、文書、家具、コンピューターを取り上げ、電力省がこの政令に違法に反対していると見なす労働者に対して反テロ法の下で訴追することがあり得ると脅かしさえしています。

労働条件改善のために組合を組織し交渉をすることによって、イラクの労働者は何十年にもわたる独裁政治によって長年否定されてきた国際的に認知されている権利を行使しようとしています。ところが、民主的な労使関係を築き国際基準に合致した新しい労働法を制定するために労働組合と一緒に活動するのではなく、貴政府はイラクの歴史の中でもはるかに民主主義と希望の少ない時代にもともと作られた反組合的な労働法と慣行を適用し続けています。

AFL-CIOは貴政府に対して電力産業部門とイラク全土で、現在その権利が否定されている公的部門と民間部門の両方の労働者に対して、結社の自由を保障する即座の実効ある措置を実施するように要請します。ILO[国際労働機構]の一員として、イラクは結社の自由に関するILO87号条約などの国際条約に従う義務があります。

私たちは労働者の権利に対する政府のこの不当な攻撃を停止するためにあらゆる必要な措置を即時とるようにあなたに要請します。さらに、私たちは首相府に対して、イラクの立法機関がイラクの労働者にふさわしい新しい民主的なイラクを実現するという約束に恥じない新しい法律を制定することができる時期が来るまで、特に公的部門での独立した労働組合組織と団体交渉を制限する法律の執行を停止するように謹んで要請します。

敬具

リチャード・L・トラムカ  <AFL-CIO会長>

USLAWがイラク労組弾圧に抗議

マリキ政権がイラクの電力労組や石油労組にひどい弾圧を展開しています。USLAW(アメリカ反戦労働者の会)が抗議行動を呼びかけています。


以下のURLに抗議手紙送付一式が掲載されています。入力すればイラク大使らに送られます。(英文です)
http://salsa.democracyinaction.org/o/2488/p/dia/action/public/?action_KEY=4439
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

今行動しよう!

イラク:大臣がサダム式の動きをして全ての労働組合事務所を閉鎖する

アメリカ反戦労働者の会 2010年8月

7月中旬に、警察がイラク全土の電力労組を襲撃し閉鎖して、サダム・フセインの規則集から取り除くこともできたであろう電力大臣の命令を実行した。

その命令は「電力省とその部局と敷地における全ての労働組合活動」を禁止し、警察に「全ての労働組合の事務所と拠点を閉鎖し、組合の資産、財産、文書、家具、コンピューターを取り上げる」権限を与えた。(詳細は以下)

イラクの労働組合運動は組合員と労働者に連帯する活動家があらゆる場で抗議の声を上げるように呼びかけている。

どうか少しだけ時間を取って、いかなる本当の民主主義にとっても不可欠なものである基本的な労働者の権利に対するこの侵害に抗議するメッセージをシャハリスターニ石油大臣とマリキ首相に送っていただきたい。

フセイン・アル・シャハリスターニ石油大臣は電力大臣にも任命されており、以下の行政命令を発した。
1.あらゆる組合活動を禁止し、電力部門の労働組合とのあらゆる形態の協力や当局の協議を停止する。

2.警察が組合事務所を閉鎖し、文書や家具やコンピューターやそこにある他のどんなものでも押収するのを経営者が助けるように指示する

3.2005年の対テロ法に基づいて、脅迫を行ったり暴力を使ったり公共財産に対する損害を引き起こす者は誰でも即時起訴するように全ての事業体に命令する。

4.組合員が得たどんな利益や特典も取り消すように全ての部局と企業体に命令する。

この言語道断な行為は国際的に認められている労働者の権利の基準の全てを侵害している。それはサダム・フセインが打倒されて以来イラクで起こってきた労働組合に対する広範な攻撃を以下のような点で増大させている。

*公共部門と公共企業体の労働組合をサダムが禁止したことを継続して実施している。
*労働組合の銀行口座と財産を凍結している。
*政府の事前の許可なしに組合の指導者がイラク国外を旅行することを禁止している。
*組合の指導者を自宅や家族や組合員からはるかに離れた場所に配転している。
*石油資源と石油会社の民営化に反対することでイラク経済を攻撃していると言って、全イラク石油労組連合の幹部たちの刑事責任を追求して起訴している。
*基本的な労働者の権利を立法化することを求めているイラク憲法の要求を無視している。
*イラクが加盟国であるILOの団体交渉に関する第98号条約に違反している。


[抗議文]
表題:組合敵視の政令を撤回しろ、労働者の権利を尊重しろ!

宛先:ヌーリ・アル・マリキ首相、フセイン・アル・シャハリスターニ電力大臣、バグダッド、イラク
拝啓:私は電力大臣によって2010年7月20日に出された政令第22244号が「電力省とその部局と敷地における全ての労働組合活動を禁止」し、イラク全土の組合事務所に対する警察の襲撃と組合の財産と記録の押収と、組合の組織化と行動に関する労働者の権利を実行するのを弾圧することを狙った他の処置を命じていることを知りました。この政令はILO第98号条約の加盟国としてイラク政府が擁護する義務を持つ国際的な労働基準を明らかに侵害しています。私は貴下に、方針を転換してイラクの労働組合に対するこの攻撃をやめるように要求します。イラク憲法は国際基準に適合した労働者の権利の基本法の制定を求めています。政府や雇用者の介入や嫌がらせや弾圧を受けることなく、自ら選んだ組合で自らの利益を守るためにイラクの全ての労働者に団結権、団体交渉権、団体行動権を保障する労働法をイラクが制定する時期はとっくに過ぎているのです。貴下の即座の行動が求められています。世界は注視しているのです!

IVAW「イラク―終わりではない」

IVAW(反戦イラク帰還兵の会)が「イラクからの撤退」が宣伝されている中で、今もイラクへ、アフガンに送り込まれる米兵士とその抵抗の取り組みが報告されています。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク―終わりではない
http://ivaw.org/node/6106

反戦イラク帰還兵の会 2010年8月

本当の終わりでないことはお分かりだろう。

主流マスコミのテレビニュースは昨日、アメリカのイラクからの「最後の戦闘部隊」の撤退を大がかりな見せ物にしたが、現役兵や帰還兵にとっての武勇伝は続く。これから涙と喜びにあふれた家族のもとに帰還する兵士の多くが結局はイラクとアフガニスタンの両方でより長い勤務期間を過ごすために送り込まれるだろうということを我々は知っている。

事実、イラクとアフガニスタンに向かう異なる2つの部隊のメンバーが、派兵のための肉体的な用意も精神的な準備もできていないために、派兵を今すぐ中止しろと司令官に要求しているのである。

みなさんは彼らを支持するだろうか?

オバマ大統領はイラクに残存する部隊が主に管理や「顧問」の職務を行っているように思わせている。しかし実際には5万人の「戦闘可能な」部隊がイラクに残って以下のことをするのである:

 *イラク警察の訓練をするためだが、そこには危険なパトロールに同行することを含む。
 *続いているテロリスト狩りで特殊部隊の作戦を支援する。
 *イラク軍に航空支援(又の名を頭越しの大砲と爆撃)を提供する

毎月暴力が増加しているイラクでこれは机上の仕事になりそうだろうか?

フォートフード基地の第3機甲連隊 *1

この日曜日[8月22日]、フォートフード基地の第3機甲連隊(第3ACR)がイラクに送られるだろう。第3ACRの兵士の妻と家族はイラクに行こうとしている5000人のうちの数百人はPTSDや他の病気にかかっていて、派兵には適していない、と言っている。今週、彼らは負傷した兵士は家の残してほしい、と要求した。

IVAWフォートフード支部とフォートフードの軍人家族会は傷を負った兵士を派兵するのをやめさせるために軍隊に電話をかける活動に参加するように我々に要請してきている。

第3ACRの司令官に電話をかけてPTSDや外傷性脳損傷の兵士を派兵するなと要求しよう

第3ACR司令官:

連隊司令官―アレン大佐
指揮官―ジョナサン・J・ハント上級曹長

月曜から金曜日までの午前9時から午後5時の間に電話をかけて、どの指揮官でも名前で呼び出そう。たとえ話をしようとしなくても、メッセージを残すか電話をかけ直そう。他の誰かの耳を捕まえたら、医療上適していない兵士を派兵するのをやめろと言おう。電話をしたら、私たちにメールを送ってあなたが電話をかけたことを教えていただきたい。

第656輸送中隊 *2

第656中隊は中西部の数州の予備役兵で構成されたインディアナに駐屯している陸軍予備役兵部隊である。今週末にアフガニスタンに行く予定のこの部隊の兵士たちは派兵に適していない理由に訓練が不足していることと精神の健康上の問題があると述べている。IVAWのメンバーで部隊のアレハンドロ・ビラトロ軍曹は、自分たちは使用する兵器の訓練を受けていないし、アフガニスタンに入ればすぐに運転しなければならない車両の操作の仕方を知らない、と心配している。派兵予定の兵士の中には深刻な精神の健康問題を持っている者もいる。

アレハンドロが最初にこの危機を暴露した後、部隊の他の兵士たちが名乗り出た。彼らは連邦議会に自分たちの部隊の準備状況を調査するように現在要求している。我々は、彼らの取り組みを支援するためにできる行動について来週あなたに連絡し続ける。第656中隊に直面している状況の全部の説明はここをクリックしてもらいたい。

共に手を取り合うことで、我々は負傷し疲れ果て準備も不足している兵士を食べてしまう軍事機構を止めることができる。フォート・フード基地と第656通信部隊で勤務するIVAWのメンバーは我々に期待しているのである。

連帯して

反戦イラク帰還兵の会

*1 「第3機甲連隊がイラクへ揖斐を準備」、キリーン・デイリー・ヘラルド、2010年8月5日

*2 「弱い軍隊:兵士が準備のできていない部隊の配備を暴露」 コモン・ドリームズ、 2010年8月11日

2010年8月21日土曜日

イラクからの撤退は占領ブランドのはり替え

英国のガーディアン紙が米軍のイラクからの「撤退」の本質を暴いています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

米国はイラクから撤退するのではない、占領のブランドをはり替えているのだ

シューマス・マイルン   ガーディアン紙 (英国) 2010年8月4日 水曜日

オバマは撤退は予定通り進んでいると言っているが、残存するか外部委託した戦闘部隊はイラク人に国を返しはしないだろう
http://www.uslaboragainstwar.org/article.php?id=22765

英国と米国の大部分の国民にとってイラクはすでに歴史と化している。NATO軍の戦死者が容赦なく増加するにつれて、すでにずっと前からアフガニスタンがメディアの関心の一番大きい部分を奪ってしまっている。イラクに関する議論は今ではほぼ全部イラク侵攻をした元々の決定に集中している。2010年にイラクで起こっていることはほとんど印象に残っていないのだ。

それはバラク・オバマが今週、米国の戦闘部隊は「公約に従い予定通りに」今月末にイラクから撤退する、と宣言したことでさらに強められることになるだろう。英国と米国の多くの報道機関にとっては、これが実際に起こったことなのであった。すなわち、見出しは戦争の「終結」を祝い、「米軍はイラクから撤退へ」と報道したのである。

しかしこれほど事実から遠ざかったものはない。米国はイラクから撤退など全くしていないのである―占領に新しいブランドをはり変えているだけである。オバマが大統領になった時にジョージ・ブッシュの対テロ戦争が「海外の偶発事件の作戦」に名称を変えられたのとちょうど同じように、米国の「戦闘作戦」は来月から「安定化作戦」へとブランドをはり替えられるだろう。

しかしイラクの米軍スポークスマンであるスティーブン・ランザ少将がニューヨークタイム紙に言ったように、「実際問題としては何も変わらないだろう」。今月の撤退後にも94ヶ所の軍事基地になお5万人の米軍が残り、イラク軍に「助言」をしたり訓練をしたり「治安を提供」したりして「テロ対策」任務を遂行するだろう。米軍用語ではそれは米軍のやりたいこと全部を優におさえているのである。

5万人は1年前のイラクにおける兵力の大幅な削減ではある。しかし、オバマがかつて「ばかげた戦争」と呼んだものは執拗に続いているのである。事実、イラクの政治諸勢力がグリーン・ゾーンの町の中で暗礁に乗り上げて5ヶ月目になっている間に、暴力が増加しているのである。市民の殺害はアフガニスタンよりもイラクの方が多くなっている。イラク政府によると先月だけでも535人である。これは過去2年で最悪の数字である。

そしてたとえ米軍が町中ではほとんど姿が見えないとしても、毎月6人の割合でなお死んでいるのであり、米軍基地はレジスタンス・グループによって何度も砲撃を受けているが、その一方でイラク軍と米国が支援する宗派の私兵ははるかに多くの人数が殺され続けていて、アルカイダ―すなわちブッシュのイラクへの贈り物―はイラクの長い帯を横断して活動に戻ってきている。英国ではほとんど知られていないが、今なお150人のイラク国内の英国軍が米軍を支援し続けている。

その一方で、米国政府は占領のブランドのはり替えをするだけではなく、占領の民営化も進めている。占領軍のために約10万人の民間契約雇用者が働いていて、そのうち1万1000人以上が武装した傭兵であり、その大部分は発展途上国出身者を典型例とする「第三国の国民」である。ペルー人1人ととウガンダ人2人の警備会社契約社員がグリーンゾーンへのロケット攻撃で殺されたのはほんの2週間前のことである。

米国は今や、悪名高い米国の警備会社のブラックウォーター社の役割を暴く助けをしたジェレミー・スカヒルがイラクにおける軍契約者が「押し寄せつつある」と呼んでいるものの数を急増させたいのである。ヒラリー・クリントンはイラク全土の5ヶ所の「恒久的駐屯地」に配備するために国務省で働く軍契約者の数だけでも2700人から7000人に増やしたがっている。

外部委託をした占領の利点は、米国兵士以外の誰かがイラクの統治を維持するために死ぬことができるのだから明確である。それはブッシュが政権を去る直前になされた、2011年末までに全ての米軍兵士を撤退させるという公約の抜け道をつくる助けにもなる。別の撤退とは、あらゆるところで広く予想されていることであるが、適切な政府がつなぎ合わせてできてそれが可能となったらすかさず、イラク側が米軍に駐留を続けてほしいと新たに要望することである。

今やバチカン市の大きさを持つ駐イラク大使館を持つ米国がいつでもすぐにイラクを手放すなどと言った意図は持っていないことは明々白々である。その一つの理由は、1958年以前の英国による統治の下のイラクの石油を開発していた3社の英米石油メジャーなどの外国企業に昨年分け与えられたイラク最大の油田を稼働する1ダースもの20年間契約が結ばれたことに見いだすことができる。
これらの契約の合法性があいまいなために動きを抑えた米国企業もあったが、この問題について今度出版する本の著者であるグレッグ・マティットが論じているように、アメリカ側の獲得物は、イラクの石油埋蔵量の60%を長期間の外国企業の支配の下にした契約そのものより大きいのである。もしも石油産出量が計画通りに急速に押し上げられたら、世界の石油価格は大幅に下落し頑固なOPEC[石油輸出国機構]諸国の支配は崩壊するかも知れないのである。
その一方で、戦争がイラク民衆かけた恐るべき犠牲と日常生活で続く恐怖と窮状は、2007年の米軍の増派が「役に立った」とかイラクは結局はうまくいっている、という主張をあざ笑っているのである。

何十万人もが死に400万人が難民になっただけではない。米国(及び英国)による占領が7年を過ぎても、何万人もの人たちが裁判も受けずに拷問され投獄され、医療や教育は劇的なまでに悪化し、女性の地位は恐ろしいほど後退し、労働組合は実質的に禁止され、バグダッドは1500ヶ所の検問所と爆弾防止壁で分断され、電力供給はほとんど止まってしまい、人々は言いたいことを言うのにも命がけである。

3月の国民議会選挙の茶番劇と、立候補者や活動家の禁止や殺害と、それに続く政治の崩壊というものがたとえなくとも、本日のタイムズ紙がやったように、「イラクは民主主義国である」と主張するのは奇怪なことである。グリーンゾーンの政権は米軍と警備会社の契約社員の保護がなければすぐに崩壊するであろう。イラク人と米国当局者の間では最終的に軍事力による乗っ取りが行われるのではないかと予想していることは疑いない。

イラク戦争は米国にとって歴史的な政治上、戦略上の失敗であった。米国はイラクを西欧的価値の灯台か中東地域の警察官に変えるどころか、軍事的解決策を押しつけることができなかった。しかし宗派主義と民族主義のカードを切って、国民的なレジスタンス運動が台頭して屈辱的なベトナム戦争型の撤退することを防ぎもしたのである。イラクと中東地域の支配権を維持するために、米国は新たな形態の外部委託式の半植民地的政権をつくりたがっているという兆候が現れている。イラクの独立を取り戻す闘いはまさに始まったばかりである。

2010年7月26日月曜日

IVAWがブッシュ政権の戦争犯罪訴追を要求

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵の会)の大会で、ブッシュ政権の対イラク戦争の戦争犯罪の訴追を要求する決議が採択されました。決議案の提案者は昨年の全交(平和と民主主義をめざす全国交歓会)に参加したTJブオノモさんです。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

ブッシュ政権高官を戦争犯罪で訴追する

IVAW大会決議 (提案:TJブオノモ) 2010年7月10日

ブッシュ政権が事前に計画を立ててイラク侵略を正当化するために情報操作を行ったことを主張する。

アメリカ合衆国に対する差し迫った危機となっているのだという国民の意識がねつ造されたために合衆国憲法と国際法の下では違法であると見なされたであろう軍事行動に至ったことを理解する。

アメリカ合衆国憲法第1条第8節は、行政部ではなく立法部に対して交戦権を付与する権限を与えていることを確認し、責任を持ってその行為をするために、立法部は正確で客観的な情報を提供されなければならないことを認識する。

米国のイラク侵略の結果何万人もの、おそらくは何十万人もの人々が死んだことを認める。

イラクとアフガニスタンで拘束者に対して行った拷問と強圧的な尋問をブッシュ政権が違法にも許可したと主張する。

ブッシュ政権が利己主義によってイラクの経済、財政、その他の法律を改変したことは、占領国としてのアメリが合衆国が忠実である義務を有する国際法の下では違法であると主張する。

ブッシュ政権は、イラクが軍事占領下にいる間に米国の石油企業がイラクの油田を支配しようとするのを支援したと主張する。

以上に主張された行為がどれほど反乱者をあおり立て、全ての側で犠牲者を増やす結果となったことであるのかを理解する。

さらに、以上に主張された行為によってどれほどテロリストがアルカイダに要員を獲得する助けとなり、米国市民の安全にどれほど損害を与えることになったかを認識する。

米国司法長官がブッシュ政権の高官たちを以上の主張された犯罪を犯したことで訴追しないとしたのは、国民からの継続した圧力が不十分であることによって政治的な決意が欠けていたからであると認識する。

この高官たちの訴追は、ブッシュ政権の高官たちが転覆してしまったと伝えられるアメリカ合衆国憲法と国際法の将来のもっとひどい侵害を防ぐために、必要不可欠なものであると理解する。

IVAWはここで、イラクとアフガン民衆に代わって、いかなる正義が得られるべきかを保障する試みとして、ブッシュ政権の高官に対する訴追を支持する。

イギリス下院でクレッグ副首相が「イラク戦争は違法であった」と発言

イギリス議会下院でクレッグ副首相(自由民主党)が、イラク戦争は違法であったと発言しました。一国の副首相が国会の公式の場で発言したわけですから、ブレア元首相たちを戦争犯罪人として訴追する法的根拠ができたということです。「イラクに対する違法な侵略」をやったのですから、当然裁判を受けなければなりません。
イギリスでイラク戦争検証委員会を開かせた反戦運動の力がこうした発言を引き出したと言えるでしょう。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク戦争は違法であったとニック・クレッグが発言。今こそブレアを法の裁きにかけよう

 ストップ戦争連合

http://stopwar.org.uk/content/view/2007/1/

ニック・クレッグ副首相は下院において、国中のどの居間においても常識となっていること、すなわちイラク戦争は違法である、と発言した。彼は今こそこの著しく破滅的な国際法違反をやった張本人たちを、何よりもトニー・ブレアを、確実に法の裁きにかけるために自らの権限を行使しなければならない。そうなって初めて我々はこのような違法な侵略行為が二度と繰り返されない保証を得ることができるのである。

ツー・サークルド ネット 2010年7月23日

 英国のニック・クレッグ副首相はデビッド・キャメロン首相にとっての最初の議会で発言に立った時にイラク戦争は違法であると発言して論議を引き起こした。

 そのためにトニー・ブレア元首相は戦争犯罪裁判を受けろという要求があらためて起こり、2003年のイラク侵攻に参加したイギリス軍も訴追を受けるかも知れないという懸念が出ている。

政府の当初の対応は、クレッグが首相の代役を務めているにもかかわらず、彼が個人的な立場で発言していると主張して、ジャック・ストロー元外相に「イラクに対する違法な侵略の全ての最も破滅的な決定を行った責任を取る」べきであると要求したことを大したことでないように見せることであった。

 「連立政権はイラク紛争が合法的なものであったかどうかということについての見解を表明したことはない。しかしそのことは政府の個々の要員が個人の見解を表明してはならないと言うことを意味しない。」とキャメロン首相のスポークスマンが言った。

 しかし、ロンドン大学のフィリップ・サンズ教授などの国際法学者は、水曜日の副首相の言説には、下院において政府を代表して発言していたのだから、法的な意味があると言った。

 「議会の中での政府の閣僚の法的状況に関する公的な言明は、イラク戦争が合法的なものであったかどうかについての見解を形成する際に、国際法廷が関心を持つ言明になるかも知れない。」とサンズ教授はガーディアン紙に語った。

 自由民主党の指導者であるクレッグは自らの党の長い歴史を持つ戦争反対の意見を実質上声に出したのであったが、その一方でキャメロンは保守党の多数派と同様にブレア政権と一緒になって2003年の対イラク戦争に支持の投票をしたのである。

 息子のトムがイラクで殺されたレッグ・キーズは下院でのクレッグの発言を根拠にしてブレアに対する訴追を開始する準備をすると言った。

 「楽しみにしていますよ。非常に満足がいくことになりそうなので十分な資金を集められるか真剣に検討します。」とキーズはデーリー・メール紙に語った。

 2003年のイラク侵攻時の国防委員長のボイス上院議員も、誰が訴追を受けようとも、前線の兵士ではなくブレアでなければならないと示唆した。

 「法務長官はイラク戦争は合法的であると私に断言しました。私はその書類を持っています。もしも訴追が行われるならば、そう断言したことは、ブレア氏が兵士たちの面前で被告人席に着く事から始めなければならないと言うことなのです。」

 イラク検証委員会に提出された証拠が示すところでは、ゴールドスミス法務長官は国連決議1441号が「国連安全保障理事会によってさらに決議がされないのであれば軍事力行使の権限を与えるものではない」と政府に前もって助言していたのだが、その後のイラク侵攻直前になって対イラク戦争の合法性についての考えを変えていた。

2010年6月9日水曜日

イラク石油労組がバスラ港湾労組に連帯

組合指導者の不当配転などの攻撃に直面しているイラク港湾一般労組に対して、イラク最大の石油労組である全イラク石油労組連合のハッサン・ジュマ議長が連帯アピールを送りました。、


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラクの石油労働者は政府の弾圧に直面しているバスラ港湾労働者を賞賛し支持する

ハッサン・ジュマ 全イラク石油労組連合議長

全イラク労働者評議会労働労号組合連合[GFWCUI]の兄弟姉妹のみなさん

私たちは月曜日にイラク港湾一般労働組合のデモの先頭に立ったみなさんの絶え間ない貴重な努力を祝福します。実際それはバスラの全ての労働者にとっての誇りでした。

私たちはこの重要な産業部門で権利獲得を要求する港湾労働者と組合指導者を支持し賞賛します。

私たち全イラク石油労組連合は仲間の港湾労働者と同じ陣形の中にいるのです。そして私たちがみなさんの闘いを支持するのは、沈黙していては不正義が栄えるからです。もしも私たちが声を上げなければ、たとえ私たちが要求は正当であると知っていても、労働者を侮辱したがっている連中が成功してしまうでしょう。

イラク労働運動万歳

イラク労働者に栄光あれ

ハッサン・ジュマ 全イラク石油労組連合

米軍がバスラ港湾労働者を弾圧

IFC(イラク自由会議)の構成団体であるGFWCUI(全イラク労働者評議会労働組合連合)に加盟しているバスラ港湾一般労組の賃上げ要求デモに対して、政府経営のイラク港湾会社は組合指導者を1000キロ離れたモスルに強制配転し、バスラ市長は何と、アメリカ占領軍を動員して弾圧にかかっています。


 グローバル資本の石油略奪にとって、IFCと占領軍撤退の闘いを進める全イラク石油労組、GFWCUI、港湾労組は頭痛の種です。石油労働者と港湾労働者がストライキを打ったら石油の産出も運び出しもできなくなるのです。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

バスラの港湾労働者のデモに対してアメリカ軍が動員され、組合指導者は1000km離れた地に配転された

アムジャド・アリ 全イラク労働者評議会労働組合連合北米代表

バスラで5月7日に始まったデモは今日さらに拡大したが、労働者と組合指導者に対する新たな脅迫が行われ、職場から1000km離れた地への配転が行われた。

バスラ港湾一般労働組合(全イラク労働者評議会労働組合連合[GFWCUI]の加盟組合)の指導者によってなされた呼びかけに応えて、イラク港湾会社の数百人の労働者が賃上げと生活状況の改善を要求して、2010年5月7日にストライキに入った。

連絡を受けてすぐにイラク港湾会社の社長は米軍に支援を求め、米軍はすぐに到着して現場を立ち入り制限にして社長を警護し、さらに社長はイラク軍を送りつけて包囲し、デモ隊を威嚇した。

不可解な対応であったが、バスラ市長が組合指導者のヒルマン・カーギム、アリ・クフザイヤー・アッバス、カディム・カリームに面会を求め、「君たちは外国の問題を悪用している。要求を言い張りデモを続けるなら逮捕する」と脅迫した。

しかし組合指導者たちは、「我々は労働者の利益以外の何の問題とも関連などさせていないし、ストライキを続ける」と宣言した。一方、軍隊の司令官が会社の社長の代わりに組合指導者との面会を求めたが、組合指導者たちは「司令官は労働者とは関係がない」と言って彼の要請を拒否した。組合がこういう態度をとったために、市長は脅迫を引っ込めることになった。市長は会社の社長のいる場で交渉を行うと約束した。しかしその次に社長は2010年5月28日に予定されていた交渉の場に来なかった。

2010年、組合指導者はイラク港湾会社の社長と会ったが、社長は組合代表者たちを脅迫し、「ストを続けるなら悲惨な運命が待っているぞ」と宣言した。組合代表者たちはモスル(バスラから北に約1000km)のイラク鉄道会社への配転命令を受けた。

我々は全世界の全ての労働組合連合と労働組合に、闘うバスラ港湾一般労組の代表者たちを支援するように訴える。

イラク石油労働者に不当配転攻撃

全イラク石油労組の賃上げ要求に対してイラク政府は組合指導者5人をバスラからバグダッド本社に強制配転して、仕事も与えずにいます。グローバル資本の石油支配にとって労働組合は「悩みの種」なのです。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

石油省がバスラ精油所の抗議行動の指導者をバグダッドに配転

ベン・ランドゥー  イラク・オイル・レポート
2010年4月25日

バグダッド:
イラク石油省は、2007年以来のボーナスを当然支払われるべきだと主張する労働者によって行われた一連の抗議行動に対抗して、南部製油会社の5人の組合指導者をイラク採掘会社のバグダッド本社に配転した。

労働者は政治家と石油省職員に、家族がまだ住んでいるバスラに戻せと訴えてきた。彼らは、ホテルの部屋代を自費で払わざるを得ず、仕事は何も与えられていないのにイラク採掘会社(IDC)の本社オフィスで仕事もなしで座っているだけだと訴えている。

これがイラクの石油労働組合と組合は非合法だとみなしている政府との間の一連の紛争の最新のものである。

南部精油所会社のスポークスマンのカセム・ラマダーンは2月以来行われている抗議行動の一つが「大混乱になった。エアコンが破壊され、精油所の仕事が止められた。」と言った。

彼は、5人の労働者は破壊活動とされること自体には責任はないが抗議行動の指導者として処罰を受けたのだ、と言った。「ニュースが石油省と石油大臣に届くと、SRC[南部製油会社]の5人のスタッフをIDCに配転するという決定が下された。」とラマダーンは言った。

組合は、労働者は毎年SRC[南部製油会社]が上げる利益の20%を得ることになっているのに、2006年以来、利益の配分を受けていないと述べた。4月いっぱい続いた交渉は時々止められて、そのあと抗議行動が起こったのである。

「会社は約束に従わなかったしSRC労働者とスタッフに対する責任を果たしませんでした。」と配転された5人の労働者の1人であるアラー・アル・バスリが言った。彼は、SRCの経営陣が労働者への支払いを減らそうとして会社の2009年の2300万ドル[約23億円]の利益を半分に過小報告した、と言った。

組合は、彼らの契約が法律上、労働者に利益の再分配を命じていると主張しているにもかかわらず、SRCは契約は労働者に対する配分について決定するとなっているだけだ、と言った。

組合はついにラマダーンと会計部長のカリマー・フセイン・ザジルと経営財政部長のサード・モーシン・アルワンと社長のアブドゥル・フセイン・ナーシルの解任を要求した。

バスリとイブラヒム・ワフドとマジド・アリとカザール・ハマウドとファラジ・ミスバンが今週初めにナジャフの政治家と会った。バスリは、アヤド・アラウィのイラキヤ政治ブロックとサドル党に率いられたイラク国民連合とイラク・イスラム最高評議会、そしてヌーリ・アル・マリキ首相の法治国家連合の幹部と連絡を取ったと言った。

バスリは、法治国家連合は前向きな返答をしなかったと言った。「それは驚きではありません。(イラクの石油大臣のフセイン・アル・)シャハリスターニは法治国家連合出身ですから。」

SRCの組合員は5人の配転に対して抗議行動を呼びかけているが、バスリは自分は労働者が逮捕されることを恐れている、と言った。

イラク南部の石油部門全体で行われた過去の抗議行動やストライキでは、労働者は治安部隊に包囲され、指導者には逮捕令状が発行された。政府当局は、ストライキを続けることが国家を混乱させるテロか他の手段であると見なしてきたのである。

2003年のアメリカによる侵攻以後も効力を持ち続けている数少ないサダム時代の法律の一つは、大部分の政府職員が独立した労働組合を結成することを禁止している。石油労働者は他の産業と同様に、この法律を無視して、かつては政府によって支配されていた自分たちの労働組合を即座に自分たちの手中にした。

2005年のイラク憲法は労働者の権利を尊重する新しい労働法の制定を要求しているが、労働法はイラク国民議会に一度も提案されたことはない。

「私たちはいつも石油大臣や石油省や閣僚会議の事務局長から、非合法で憲法違反の団体、労働組合であると非難されます。」「彼らは私たちの活動を規定する法律ができなければならないとも言います。しかし、彼らがこの法律を作るのはいつになるのでしょうか?あと7年も、それ以上もかかるのでしょうか?」とバスリは言った。

イラクの石油省と産業省は労働組合と正式に交渉するなという命令を出した。労働組合は政府にとっては悩みの種となっていて、教員や医療労働者が賃上げを勝ち取った全国連帯ストライキなど、ほとんどが成功した抗議行動を展開しているのである。

2007年と2008年を通じた石油部門での抗議行動は、労働組合が外国企業にあまりに多くの支配権を与える物だと見た石油法案の制定を引き延ばしたナショナリズムを高めることに貢献した。
「我々は仲間と共に活動を続け、労働者の権利を守るという原則については決して妥協しません。」とバスリは言った。
※イラク・オイル・レポートのバスラとバグダッドのイラク人スタッフがこの記事に貢献したが、安全上の理由から匿名とする。

2010年5月2日日曜日

サナテレビの番組をアメリカで配信

アメリカのレイバービートがサナテレビの映像に英語のテロップを付けて配信しています。


この映像の日本語版はイラク平和テレビ局in Japanの2010年2月6日配信「自由にイエス!イラクのジャーナリストは立ち上がる」で見ることができます。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク・ジャーナリストの抗議行動

レイバービート
http://blip.tv/file/3555263

2009年にイラクのジャーナリストと報道機関の大きなデモがバグダッドで行われた。彼らは政府とアメリカ占領軍が押し付ける抑圧的な政策に抗議の声をあげた。何年もの占領の期間中に多数のジャーナリストが身体への攻撃を受けるか殺害さえされた一方、彼らの機材は没収され、オフィスは襲撃されてきた。ところがその同じ時に海外の西側ジャーナリストは優先待遇を与えられてきたのである。この全てのことで、アメリカのテレビニュースの視聴者がイラクで実際に起こっていることについて強いフィルターをかけた映像を受け取っている理由を説明することができる。
このビデオ映像は、宗派主義でなく、労働者、女性、学生の権利の立場に立ったテレビ番組であるサナテレビによって作成された。サナテレビもまた、労働者をひきつける際にイラクで起こっていることを正確に報告するために何年も努力してきたために、そのような弾圧を受けてきた。

レイバービートはこのビデオをケーブル・テレビとインターネット上でアメリカの視聴者に始めてお見せする。これは英語の字幕をつけて26分の長さに短縮して編集してある。

アメリカ労働者がイラク領事館にピケ

AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)がイラクの労働者への抑圧に抗議してイラク領事館前でピケットを張りました。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

労働者の権利侵害に抗議してイラクの在ワシントン領事館にピケット

労働者の権利はイラクの民主主義にとっての「根本原理」だ
http://www.dclabor.org/ht/display/ArticleDetails/i/84686

AFL-CIO ワシントン首都圏評議会 2010年4月15日(木)

レポート/写真:アダム・ライト

AFL-CIOワシントン首都圏評議会ニュース

イラク政府がかつてサダム・フセインが「労働者を攻撃し労働組合結成を妨害する」ために利用したのと同じ法律を使っていると非難して、数十人の労働者の権利要求の活動家が昨日の正午にデュポン・サークルのイラク領事館の外に集まってイラクの労働者と労働組合に対する「一貫した迫害」を終わらせろと要求した。

デモ参加者は真昼の太陽の下で「イラク労働者に民主主義を」や「労働者の権利は人権だ」と書いたプラカードを振りかざしながら、「イラクよ、労働組合の時代が来た―組合結成は犯罪ではないぞ!」とシュプレヒコールの声を上げた。

イラクの多くの場では抑圧的な労働条件になっている-労働組合を結成しストライキを打つことは違法である-ので、「イラクは労働組合を結成しようと努力している労働者にとって世界で最も危険な土地の一つである。」「労働者はよりよい労働条件を求めて労働組合を組織しているというだけの理由で生命が危険にさらされる場所に追放されている。今こそイラクは結社の自由を受け入れなければならない!」と化学・エネルギー・鉱山一般国際労働組合連合のジム・カターソンは群衆に言った。

スタンリー・ガセクAFL-CIO国際部副部長は、「アメリカの労働運動はイラクの労働者に連帯して立ち上がろう」と呼びかけた。彼は「イラク政府が結社の自由を認め組合を結成しようとする労働者の権利を擁護する労働法改正を行うまでイラクには民主主義はないだろう。」と言った。

2010年4月29日木曜日

イラクの労働者は支援を必要としている

イラク最大の石油地帯のバスラでイラク石油労組がストライキ闘争で闘っています。マリキ政権は活動家の不当配転などの弾圧をかけてきています。


アメリカのAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)はイラクの石油をはじめとした労働者への支援・連帯を訴えています。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

バスラにおける石油労働者の抗議行動

イラク・石油レポート スタッフ  2010年2月8日

【バスラ】イラク南部の数百人の石油労働者が超過勤務手当の支払いや降格に関する使用者側との論争の後抗議行動を開始し、組合指導者は燃え立って大幅に遅れている労働法の制定を要求している。

それはイラクの労働者と労働者を認めるのを拒否している政府との間の進行中の紛争の最新の者であり、特に石油産業部門への海外からの投資にとって重大なリスクになるかもしらない。

バスラの石油組合の匿名の組合員が1月31日に語ったところでは、この地域の何百人もの石油労働者と精油所技術スタッフたちが自分たちの敷地で1月31日に抗議行動を行った。

イラクの石油労働者と石油省は緊迫した関係にあった。労働組合はいまなお非合法であり、法律の一つはサダム・フセイン時代からの巻を続けている。労働者は労働者は抗議行動をして労働者の要求と石油法案を含む政策に反対してストライキを継続した。

イラク石油労働組合議長の公式声明

ハンサン・ジュマ・アワド イラク石油労働組合連合議長

支援の呼びかけ

神をも恐れないバース党の残党が政治プロセス全体を破壊し統一政府を結びつける(?)法律を標的にするために疑わしい動きを開始したことが明らかになってからのことである…

今回は、イラク国民議会選挙の1ヶ月前に、南部精油所会社の経営者が石油省から来たと主張して経営側の命令を強制し始めた。我々は、これは仕組まれたものだと確信する。こうした命令は労働者とその家族の食糧配給を削減し、残業時間を止め、他の財政上経営上の圧力に加えて労働者を降格するといったことで構成されている。奇妙なことに、バース党員の息子やそのいとこや親族である労働者のグループを任用することを経営者は認めた。このような不当な行為に沈黙を続けることなど可能だろうか?バスラ州当局者、州知事、副州知事、州議会議長、州議会議員、そして正義と責任委員会が抑圧されている人々と共に声を合わせて権利を取り戻すことを願う。我々南部石油会社精油所の労働者は以下のように我々の要求を要約する。

1.最近任命され3ヶ月の間その地位に就いていたこの会社の社長はあらゆる幹部から指摘されているとおり会社の経営には無能であり、首をすげ替えるか解雇すること。

2.専務取締役と財政部理事から初めて人事担当と部門幹部に至るまで首をすげ替えること。なぜなら、彼らは会社の経営と財政の運営を失敗したことを身をもって示したかあらである。

3.無用のものとなった会社の経営委員会を解散すること。

我々は全ての当局者に対して我々を助けるように繰り返し求め、我々と同じ立場に立つように要請する。そうしなければ我々は連続した抗議行動と集会を組織するだろう。それは生産ラインを正しい軌道に戻すためであり、我々が会社の経営を担当してきたバース主義者やご都合主義者たちの安易な標的にならないためである。

バスラの労働者のストライキとデモ

イラク石油レポートスタッフ  2010年3月23日

【バスラ】バスラのイラク南部製油会社は、南部製油会社の経営陣の大刷新と賃金引き上げの要求に関する交渉が決裂した後、水曜日[3月24日]にストライキに突入する予定である。

しかしながら、治安部隊が南部製油会社に終結しつつあり、ストライキを決行するとストライキ参加労働者が逮捕されることを恐れて、ストライキを中止しようとする組合員もいた。

これはイラクで2番目に大きい精油所における一連の労働争議の最新のものである。イラクの石油労働組合は今も存続しているサダム・フセイン時代の法律の下で禁止されているが、より良い賃金と労働条件を要求してきた。しかしながら、石油省は財務大臣によって権限を委譲されている精油所は要求をするためには間違った標的だと言った。

この2、3ヶ月の間に、労働者と経営者は交渉を行い、しばしば合意に近づいたが、その後、決裂してしまった。ストライキは2月に予定されていたが、交渉が再開した後中止された。

先週、バスラ西方16キロの日量15万バレルの精油所で700人者労働者が3時間のストライキを打った。

彼らは南部製油会社のアブドル・フセイン・ナシル社長とカリーマ・フセイン・ザジール財務理事の解任を要求した。彼らは会社の経費のうち現行の70%ではなく80%を労働者の賃金に回すことと、労働時間中の食料の消費代金を支払うことと、労働時間の短縮を要求した。

「会社の理事会は会社のスタッフから選ばれた2人と石油省の8人で構成されています。」とイラク石油労組連合のハッサン・ジュマ議長は言った。

「我々は、会社のスタッフから2人しか選ばれていないのは十分ではないと考えています。この体制はいまだに旧政権時代と同じ法律の上で運用されているのです。」とジュマは言った。
連帯センターがイラクの精油所における反組合の動きを非難する

イラクの国家の至る所で民主的な改革が行われているにもかかわらず、マリキ政権はサダム・フセイン時代にまでさかのぼる反労働者的な法律を積極的に実行している。近年では、相当多数の労働者が、組合を結成したり抗議行動に参加したために、解雇されたり脅迫を受けたり嫌がらせを受けたり、処罰を受けてきた。―この同じマリキ政権は国際労働機構の基準とILO条約にリップサービスをしてきたという事実があるにもかかわらず、である。

直近のその実例は、4月1日に―精油所の労働組合と経営者の間の交渉と争議が数週間あったすぐ後である―政府所有の南部石油会社はイラクのバスラに基盤を持つ精油所労働組合の4人の著名な指導者を組合委員長と副委員長を含めて、精油所の勤務から会社の他の新しい部署に配転したことである。

この配転が組合つぶしを動機としたものであることは疑いがない。精油所の労働者は2月25-26日、3月2日、3月18日に波状座り込みストライキを打ち、続いて3月28日に賃上げと2007年、2008年、2009年から労働者が所有する手当の公正な支払い、臨時雇用労働者の常雇用化、腐敗の監視、生産化以前のための地域の経営の改善、そして労働組合の正式な認知を要求した。

「権利獲得を主張する平和的なデモを組織し開催したために労働者を処罰するということがイラクでは不幸なことに普通に行われています。」と連帯センターの暫定理事長のナンシー・ミルズは指摘した。「イラクは、組合の団結権や団体交渉権を禁止する時代遅れの反組合的な労働法を、労働者の根本的な民主的権利を認める新しい法律に今回限りですぐに取り替えることが必要です。」

精油所労働組合は産別組合のイラク石油労組連合(IFOU)の加盟団体である。

配転命令を受けた組合指導者は、イブラヒム・ラドヒ精油所労働組合委員長・IFOU副議長、アラー・サバーフ・ミリエ精油所労働組合副委員長・IFOU中央評議会議長、ファラジ・ルバート・ミズバ精油所労組組合員・IFOU中央評議員・メディア部長、ケザール・カドヒム精油所労働組合員・活動家である。
「この行為は全組合員が自らの基本的権利を要求しても(懲罰)配転を受けると感じさせるものである。」とハッサン・ジュマ・イラク石油労組連合議長が本日はじめの声明で言った。

精油所労働組合とIFOUはこの懲罰的な配転に対決し、南部石油会社とイラクの経済全体で組合に対するこうした攻撃を終わらせるように要求するために、手紙や他の形態の平和的な抗議行動によって国際的支援をするように呼びかけている。
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イラクの労働者はあなたの支援を必要としている

AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議) 2010年4月

連帯センター役員のエリン・ラッドフォードが、団体交渉権や他の職場の権利を要求して闘っているイラクの労働組合指導者たちを支援する行動をもとめてこの要請を私たちに送付してきた。

イラク全土の労働者は民主主義を望んでいるにもかかわらず、労働組合を結成したために嫌がらせや脅迫や刑事責任の追及さえ受けてきた。しかし、イラクの労働組合は反撃し続けている―そして彼らはあなたの支援を必要としている。

イラクの1987年の労働法は団体交渉権とストライキ権と最低賃金の権利を無効にした。それは全ての公的部門の労働者(労働者の約90%)を「公務員」と分類し直し、組合結成を禁止した。イラク政府はこの時代遅れの法律を強制する道を選び、労働組合との交渉を拒否し、労働組合を「非合法」であると宣言したのである。

あなたは、公正で正当な労働法を要求する国際署名に署名することで行動することができる。あるいは、イラク大使館に手紙を書こう。連絡の情報はここをクリックしてもらいたい。こちらには、労働者のキャンペーンに関するバスラのハシュミヤ・ムッシーン・アル・サーダウィ電気労働者組合議長の素晴らしいインタビューがある。

国際労働基準に沿った労働法の保護がなければ、イラクの労働者と彼らの労働組合は搾取と国際的に認められた労働者の権利の侵害を常に受ける。これに対して、イラク全土―バスラからイラクのクルディスタンに至るまで―の労働者と労働組合が共に抗議に立ち上がっている。国際労働組合連合の支援を受けて2009年11月に始まったイラク労働者キャンペーンは、イラクの労働者と労働組合に労働現場での根本的な権利を保障し、自由で独立した労働組合の結成を認める公平で正当な労働法を制定するようにイラク政府に要求している。このキャンペーンはまた、しばしば恐るべき個人的な危険に直面する宗教、政治、民族、地域の分裂の架け橋になろうとする先駆的な試みでもある。

※訳注:国際労働組合総連合(ITUC):2006年それまでの国際自由連合(ICFTU)、国際労連(WCL)などが統一して結成。世界155カ国・地域、311組織を通じて1億7500万人が加盟

すでにこのキャンペーンは顕著な成功を収めている。約85人の国会議員が、地域組織や経済界や政治の指導者と共にキャンペーンのアピールに署名している。重要な役割を持つ議会の起草委員会はキャンペーンの調整グループと協議を持ち、国会議員が国会で法案を議論するための申請をしている。

AFL-CIOはイラク労働者の基本的な労働者の権利と職場の民主主義を要求する闘いを長年支援してきた。昨年の秋には、AFL-CIOの連帯センターはイラクの5つの労働組合の指導者をワシントンDCに連れて行き、AFL-CIOの指導者と米国政府の政策担当者と共に彼らの闘いに焦点を当てた。イラクの労働者はまた、ピッツバーグのAFL-CIO大会に出席し、そこでAFL-CIOはイラクに関する最新の決議を採択した。AFL-CIOはこのキャンペーンを通じて労働者の権利獲得のためのイラク労働運動の最近の奮闘を強力に支援している。

しかしながら、この4月2日に、イラク政府はイラクのバスラにある精油所労働組合の委員長と副委員長を含む4人の著名な指導者の現在の職場からの即時配転を命令した。この配転は、この労働組合の活動家に対する懲罰として発表されたようである。それは、労働組合と精油所経営者との間の数週間にわたる交渉と争議の直後に行われたのである。

「権利獲得を主張する平和的なデモを組織し開催したために労働者を処罰するということがイラクでは不幸なことに普通に行われています。」と連帯センターの暫定理事長のナンシー・ミルズは指摘した。

 イラクは、組合の団結権や団体交渉権を禁止する時代遅れの反組合的な労働法を、労働者の根本的な民主的権利を認める新しい法律に今回限りですぐに取り替えることが必要である。

アラウィは石油法制定を最優先

「イラク国民議会選挙」で第一党となったアラウィはイラクの石油をグローバル資本に売り飛ばすイラク石油法の早期制定をねらっています。(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク炭素化合物法[石油法]を優先する:アラウィ

ガルフ・インザ・メディア 2004年4月1日

イヤド・アラウィ元イラク首相は昨日、最近数ヶ月に全世界的な石油メジャーと結んだ契約を尊重し、彼の政治ブロックが政府を結成すれば新しい炭素化合物法[石油法]を制定するように早急に動くと語った。

しかし、自らの宗派横断的なイラキヤ連合が3月7日の国民議会選挙で最大の議席を獲得したアラウィは、契約は小さな修正が必要かもしれず、イラクのエネルギー部門ではもっと競争があってほしい、と述べた。

 「我々は全ての契約を尊重する。我々が全ての合意を尊重するのは、それがとても重要なことだと確信しているからだ」とアラウィは語った。イラクは、何年間もの放置と戦争のあげく荒れ果てた油田を一新するために、石油メジャーに数十億ドルの契約を与えた。バグダッドの目標は石油生産能力を現在の日量250万バレルから約6年間で日量1200万バレルに拡大することである。

 こうした契約はイラクを全世界の石油生産国の中でトップランクへと飛躍させるかもしれない。戦争でひどく荒廃したこの国は世界3位の石油埋蔵量を持つが、世界第11位の石油生産国に過ぎない。この契約に参加した企業には米国の石油メジャーのエクソンモビール社やヨーロッパ最大の石油企業のロイヤル・ダッチ・シェル社や、それにロシアのルクオイルと中国石油天然ガス集団[中国の国有石油大手会社]が入っている。

アラウィはイラクにはエネルギー部門を管理する石油ガス法がイラクにないことを嘆き、法案を国民議会に上程するように早急に動くと言った。「それが優先事項であることは明らかだ。」、「時間は長くかからない。」とアラウィは言った。2004年から2005年にイラク暫定政府を率いた彼は、ヌーリ・アル・マリキ首相が首班であった政府が契約を結んだやり方について「強く保留」すると言った。

「しかし、契約は調印された。我々はそれを妨げてはならないし、尊重しなければならない。おそらくあちこちを少しは修正するだろうが。」とアラウィは言った。どのような修正をするのかと聞かれて、彼は契約がイラク側から「完全な状態」で扱われたかどうかということについて懸念していると言った。彼はまた、石油ガス部門がもっと競争に道を開くようにしたがった。

 アラウィは、石油相だけよりも、石油ガス部門を監督するために首相として彼が設置したものに似た炭素化合物[石油天然ガス]専門家会議の方が望ましいと言った。「我々は結局は経営者であるよりは調整者としての石油省を持ちたいのであり、経営は民間部門と投資者によって指揮されなければならない。」「他の企業がイラクに参入する余地は多い。我々には大規模な投資が必要だ。」とアラウィは言った。

彼は中央政府が同意をしないで、バグダッドと半自治的な北部のクルディスタン地域を含む石油産業の発展を妨げたと非難した。クルド政府とバグダッドはイラクのクルディスタンが独自に外国の石油企業と署名したが中央政府が非合法であると言っている石油の契約について何ヶ月も論争をしてきた。

クルディスタン地方政府とバグダッドが収入と生産分与を巡って争ったために石油輸出は停止された。クルディスタン地方政府の天然資源大臣は1週間前に、新政府が成立すればすぐに石油輸出を開始する用意ができていると言った。

「中央政府とクルディスタン地方政府の間でつまらない争いがあって、この問題のために我々は多くの時間を失ったが、それはイラクの中央政府によって始められたものだ」とアラウィは言った。

アフガニスタン派兵拒否兵士の闘い

IVAW(反戦イラク帰還兵の会)が、アフガニスタンへの派兵を拒否して投獄された反戦兵士が刑期より短い期間での釈放を勝ち取った闘いを報告しています
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争拒否者のトラビス・ビショップがフォート・ルイス基地から釈放される

アフガニスタン戦争を拒否しているトラビス・ビショップが3月25日にフォート・ルイス基地の刑務所から釈放された。トラビスはもともとテキサス州のフォート・フード基地で良心を理由にアフガニスタンへの配備を拒否したために軍法会議において12ヶ月の禁固刑の判決を受けていた。その後、彼はフォート・フード基地の方面総監への情状酌量申請が成功したために3ヶ月短縮の刑期を受け、品行方正で特別刑期短縮も受けた。彼は全部で7ヶ月と12日の禁固刑を受け、また、三等軍曹から兵卒に降格し、未決懲戒除隊となった。

服役中に、トラビス・ビショップはアムネスティー・インターナショナルから良心の囚人として認定され、刑務所の中からブログを書いた。

彼はまた世界中の幾百人もの人々から支援を受けたが、その人たちは彼への激励だけでなく、軍当局に彼の釈放を要請する手紙を書いた。ビショップもフォート・ルイス基地の刑務所のひどい状態について声を上げ、その結果、施設が改善されたものもあっただけでなく、ルイスは刑務所の「最もむずかしい」囚人リストに記載されることとなった。

IVAWは2009年にアフガニスタン占領の継続を非難する決議を採択し、アフガニスタンへの配備に抵抗するトラビスの決意を全面的に支持している。

IVAW・兵士がイラク占領に反対する意義

IVAW(反戦イラク帰還兵の会)が、兵士がイラク占領に反対することの意義をHPに掲載しています。(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

ゲストのブログ投稿:見えないものを見えるようにして石油によって駆り立てられた戦争を終わらせる
ジョセフ・ユーハス、アントニア・ユーハス 2010年3月21日
IVAW(イラク反戦帰還兵士の会)HPから

我々は、父親と娘として、平和のための退役軍人の会の会員と反戦イラク帰還兵士の会の全国諮問委員として、心理学者と石油専門家として、以下の疑問に答えるために、このブログを一緒に書くことに決めた。すなわち、アフガニスタンやパキスタンにおける戦争と同様に、8年目に入ったイラクにおける戦争を終わらせるために、現役兵士と帰還兵士がどのような貢献の方法があるのか?という疑問である。我々は石油のための醜い戦争を始めるために利用された「心理的不可視」という戦術を暴露することの必要性に焦点を当てている。我々の答えは、IVAWが単に同じことをもっとやり続けなければならない、ということである。すなわち、戦争を可視化することなのだ。

私は1965年の春に正規の海軍の大尉としての仕事を辞めた。アジア大陸のおける長期間の地上戦が成功する展望は絶望的なものに見えていた。それ以上に、この敗北しつつある問題に道義的な正当化の根拠がなかったのである。唯一の名誉ある行為とは自らの剣をしまい、新たな人生を探し出すことであった。私は1965年にその結論に達した唯一のアメリカ軍兵士ではなかった。ベトナム戦争に向かう軍隊内部での大規模な辞職と消極的積極的抵抗がベトナム戦争を終わらせる唯一の理由ではなかったが、主要な理由の一つであったことは確かである。米国軍内部での同様の抵抗がもう一度今日の戦争を終わらせる鍵となっている。

我々はブッシュ政権が打ち倒され2008年に顕著な勝利を達成したのであり、「突破だ、そうだ、突破だ!」という選挙運動のスローガンで、イラク戦争を100年間続けるのだと誓った共和党候補は、イラク戦争を終わらせると公約した候補に支持が集まることによって拒否されたのである。残念ながら、政治的勝利の結果は、より広範な世論の中では戦争はすでに終わったのだという意識となり、今までに戦争ははっきりと終わらせられたはずだと考えていた人々にとって幻滅と不信感にさえなってしまった。

我々は、オバマ大統領がイラク戦争を大体(完全ではないにしても)終わらせるという彼の公約を実現する意志を持っていることは確信している。しかしながら、オバマ政権は、中東全体に地上基地を持つ米軍の恒久的な駐留を維持し拡大さえするという前政権から採用されている政策を継続していることも確信している。これは1965年にアメリカがベトナムに介入したのと同じくらい-おそらくそれ以上に-今日では擁護できない不道徳な代物である。中東に米軍が恒常的に駐留すると言うことには多数の目的があるが、その中で優先順位が高いのは、中東の石油と天然ガス資源の拠点獲得の追求である。

戦争の直接の結果として、エクソンモビール社やコノコフィリップス社やオクシデンタル社はこの30年以上でイラクにおける生産契約を受注した最初のアメリカの石油会社となった。エクソンモビール社は世界で2番目に大きい油田の契約を獲得した。イラクでなくても近隣地域で、こうした事業の安全性を確保し、さらに米国の企業が参入するという目的を達成するために、米軍の駐留が要請されそうだ。この契約は歴史的なものではあるが、石油の勝利は達成からはほど遠い。それはイラク国民、ヨーロッパ諸国民、IVAWを含むアメリカ人の継続した組織化の奮闘のせいである。この活動家たちは7年間にわたって石油問題に明るいスポットライトをあて、イラクの石油部門を完全な国有から、イラク石油法の制定によって外国の石油企業の所有と支配に道を開くほとんど民営化したシステムに変えようというブッシュ政権と石油企業の試みを妨げたのである。イラク国民が石油企業自身によって大部分が起草されたこの法律の制定に抵抗しただけでなく、契約を求めていた他の多数の米国の会社が、ロシアやアンゴラや中国などの企業が優位となって拒絶されたのである。

残念ながら、大手石油企業の政治的影響力は、バラク・オバマの当選と共に縮小しはしたが、無くなったという状態とはほど遠い。大手石油企業は今も世界で最も豊かな産業であり、政治の政策決定に影響を与える最も多額の「現金」を持っている。その利益は米国の政治体制全体に固く結びついてもいて、たとえオバマ大統領が取り除きたがっても彼と彼の政権はほとんどそんなことはできないほどである。残念ながら再びオバマ政権はそのようなことに対する関心を示しもしなかった。

石油ロビーの圧倒的な経済力は、石油と天然資源が無くなるまで、中東における駐留を維持しようとする抑えることのできない軍事的要求を作り出す。そのような長期の軍事的関与を維持するために、オバマ政権はブッシュの「心理的不可視」戦術を継続することに決めたのである。米国内の戦線では、戦争の真実を隠す平和の幻想が存在する。永久に続く軍事国家を維持する唯一の方法は、戦争が存在しない-すなわち、より正確には、米国本国の国民にとっては経費も結果もかかってこない戦争であると見せかけることである。

米国内の戦線では、これはアメリカの歴史上だけではなく、おそらく世界の歴史上においても、税金が下げられた初めての戦争である。企業にかかる戦争税はなく、戦争から利益を上げるのをやめろという要求はずっと少ない。それは「何も費用のかからない」、つまり「無料」の戦争である。

我々はだまされて、イラクとアフガニスタンで戦った200万人近い兵士と兵士の家族の推定1000万人がほとんど目に見えないかのように行動している。1944年には米国のどの町を歩いても、戦時公債や配給切符や前線に送る燃料を節約するためのマイカーの相乗り通勤といった様子を見ただろう。家々は家庭菜園を開き、大きな金星章が息子を失った家族の窓にかけられていた。今日、同じ通りを歩いて自問してみよう。「これが戦時中の国だろうか?」と。

この不可視性は様々な方法で作り出されている。戦争とは不愉快な現実であり、人々の目をそこからそらすのは簡単だ。徴兵制は存在しない。イラク帰還兵には国民の「帰国祝い」もない-彼らがそのために戦ってきた国に帰っても歓迎されないのである-過去の全ての戦争では、ベトナム戦争でさえ、帰還兵士には高い注目が集まったのに。従って、永続的な戦争を始めることができたのは、誰もそれに気づかないからなのである。そして気がついた人たちは忘れ去られるのである。

 実際にはこれは4兆ドル近くを費やした戦争である。それはどうしても必要とされる人間への社会サービスに対処する能力をオバマ政権から取り上げた。我々はむしろ、世界がかつて知る中で最も豊かな産業に奉仕するのではなくても、明らかに支持して戦争の奨励金を支払っているのである-これが戦争をアメリカ国民から覆い隠すもう一つの理由である。石油大企業はアメリカ合衆国の中で最も憎むべき産業である。それは嫌われていると言うだけでなく、疑われている。その生産物でさえ、生産から、輸送、精製、販売に至るまで、簡単に言って「醜い」のである。従って、この戦争は、実際には特定の敵に対して戦われているのではない。「敵がいない」で我々が戦っているものの真実が公表されていないならば、戦っている「実在の」兵士もいないはずである。これの最も文字通りの結果は、無人飛行兵器の採用の増加と、無人飛行機を操縦する人々も、それによって殺される人々も、人間は誰も参加していない、という神話の永続である。

しかし我々は絶望していない。直近の選挙ではブッシュ政権が打倒された。石油の問題が世論の視野の中に残り、完全に成功したわけではない。より重要なことは、IVAWが「意外な剣の抜き方をする」比類のない力強い立場に立ち、2つの戦線における戦争、すなわち戦場における戦線と米国内の戦線を終わらせる闘いをしていることである。
戦場における戦線では、政府から戦争をする能力を取り上げる手段として消極的、積極的抵抗をするという選択肢のみがある。シェブロン社がカスピ海からの石油の送油を兵士に守らせたくても、兵士が戦うことを拒否すれば、シェブロン社は敗北する。

米国内の戦線においては、IVAWが自らとその会員を可視化しようとしている現在進行中の試みは、今日ではかつて無いはるかに大きな重要性を持っている。-それは戦争が続いていると言うことを明らかにするだけではなく、自らの実例を通じて、勝つことができる闘いであると過去が証明したものを続けるように他の人々を励ますのである。

※ジョセフ・ユーハスは環境心理学者でありコロラド大学の建築環境デザインの教授である。彼は「サイコロジー・トゥデー・マガジン」に定期的にブログを寄稿している。

※アントニア・ユーハスはグローバル・エクスチェンジのシェブロン・プログラムの責任者で、「石油の専制政治:世界で最も強力な産業とそれを止めるためにしなければならないこと」と「ブッシュの政策:世界を侵略する、一度に一つの経済」の著者である

イラク戦争は国際法違反・オランダ独立調査委員会報告

1月12日、オランダ政府が任命した独立調査委員会報告(ダービッズ・レポート)が公表されました。その結論部分の日本語訳です。特に7、18、20などが重要だと思います。
7.では「米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。」としています。


オランダ政府がイラクのフセイン政権打倒を支持するという間違った行動をしたことを認めているのです。

18.では「1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。」

「国連安全保障理事会第1441号決議の文言は…イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。」としています。

1990年代と対イラク開戦直前の国連決議によっては対イラク軍事行動は正当化できないと断言しているのです。20.では、対イラクの軍事行動は、「その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。」と明言しています。対イラク戦争は国際法違反であったと宣言しているのです。

この報告書はオランダの世論がイラク戦争に圧倒的に反対していたことも認めています。そしてオランダのみならず、世界の反戦運動の重要な成果であると思います。ここから、そんな国際法違反をやった政治指導者たちの戦争責任を追求する闘いへの進む根拠にすることができると思います。ブッシュ、ブレア、小泉たちです。すでにブレアは国会に召還されました。日本でもイラク、アフガニスタン侵略・占領の戦争責任を追及する闘いを進めましょう。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

オランダ政府・独立調査委員会報告書(ダービッズ・レポート)

2010年1月12日公表
http://download.onderzoekscommissie-irak.nl/conclusions_rapport_commissie_irak.pdf

結論
1.イラク戦争に対するオランダの政治的支持に関する決定についての調査がもっと早く行われているほうが好ましかっただろう。

2.グレーン・リンクス(緑の党)とその後のSP(社会党)をのぞいて下院に議席を持つ全ての政党が国連安全保障理事会によって認められなかった要素も含めて1991年から2001年2月までの米国・英国による対イラク軍事行動を支持した。その期間、反対の声を上げる閣僚もいて1998年末の砂漠の狐作戦に閣内で反対意見があったが、全てのオランダの政権は政党構成に関わりなくその軍事行動を同様に支持した。世論は反対意見が顕著であった。

3.2002-2003年の期間、オランダ国内でイラク問題に関する論争が、騒然とした社会的政治的状況の中で起こった。この不安定な政治情勢の下で、オランダは国内問題に心を奪われていた。その結果、この問題は一定の範囲のメディアによって取り上げられたにもかかわらず、イラクについての大きな世論の論議は起こらなかった。

4.対イラク戦争に軍事的には参加しないというオランダ政府の決定は当時の世論調査に反映されたオランダ国民の大多数の意見と一致していた。国連安全保障理事会によって命じられていなかったという事実があるにもかかわらず対イラク戦争に政治的支持を表明するという決定は、世論調査に反映したオランダの世論の多数意見とは一致していなかった。

5.2002年8月はじめに、デ・ホープス・シェッフェル新外務大臣は、イラク問題について外務省職員に助言を求めた。この相談は、この問題に関する下院議会に対して外務大臣が最初に書いた演説文書の中に書かれている政治原則の基礎となった(2002年9月4日)。内閣も、バルケネンデ首相も、コルサルス国防大臣も、この演説文書について事前に相談を受けていなかった。この演説文書は政府の政策の基礎となり、最終的には2003年3月18日の政策文書の中に示された。

6.首相はイラク問題に関する議論をほとんどか全くリードしなかった。首相はイラク問題を全部外務大臣に任せてしまった。2003年1月になってやっと、首相はこの問題に強い関心を持った。しかしながら、その時までに、外務大臣によって明示された立場は政府の政策として確固として確立されていた。

7.当初、オランダは米国・英国の立場と同一歩調を取り、その結果イラク侵攻に至ることとなった。しかしながら、オランダは米国によって主張された体制変革戦略には国際法の根拠がないという見解を有していた。従ってオランダの政策は、イラクが保有していると推測されていた大量破壊兵器(WMD)の中和化とその後の国連安全保障理事会決議の遵守に向けられ続けた。しかしながら、米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。

8.2002年8月に外務大臣によって定められた政策原則の中で、国際法の下での正当性の問題は副次的なものであった。同様に、情報機関や兵器査察報告によって提供される情報を重視することは不十分であった。

9.オランダ政府と連立与党は2002年9月に採用された立場を維持すると確固として決意していた。すなわち、対イラク政策について政府と議会の間で十分な意見交換はしない、ということである。

10.イラク問題はPvdA(労働党)とCDA(キリスト教民主党)の間の連立協議では大きな扱いを受けなかった。バルケネンデとボスは米国と英国によるイラク侵攻への政治的支持を表明するという政府の決定をPvdAが支持することに関する明確な合意に達しなかった。

11.2003年3月17、18日に開催された閣議において、「政治的支援」の明確な意味は明らかにされなかった。それが誤解への扉を開いた。その範囲は3月18日に下院に提出された声明文が「政治的支援」についての明確な言及を含んでいなかったという事実によって広げられた。しかしながらこの言葉は以降の下院での論争の中で使われたのである。

12.2008年3月17日、バルケネンデはボス(PvdAの指導者で連立政権のパートナーの見込みであった)に、オランダは米国が主導する「有志連合」の一員の中に入れる行動は取らないと知らせた。とはいえ、オランダが有志連合のリストに挙げられていたという事実は外務大臣が自らの要請する指示をワシントンのオランダ大使に送らなかったことが原因である。

13.米国はオランダと他の諸国が表明した政治的支持から利益を得たのは、それが地球規模でのイラク侵攻に対する支援(有志連合)を増やしたからである。米国はオランダの政治的、(国防軍の)軍事的支援を獲得するのにたいして大きな圧力をかける必要はなかった。オランダは政治的支援と軍事的支援の間に明確な区別を付けていた。しかしこの区別はアメリカには必ずしも認識されていなかった。

14.イラク侵攻を支持するという決定は主に国際政治上の考慮に基づいて行われた。第一に、主要にはNATO加盟国間の暗黙の連帯が考慮された。第二に、オランダの対イラク政策を継続したいという願望があった。しかしながらそのような継続というものは、2003年までに米国と英国が追求していた目的が、1990年代に追求していたものとは大いに異なっていたのだから、疑わしい。米国と英国は、侵攻をねらった行動を取ることから、外国がイラクを占領する結果になる侵略へと移行していたのである。

15.本委員会は米国、英国によるイラク侵攻に対する政治的支持の表明がオランダの通商上の利益が動機となって行われたという証拠は発見できなかった。しかしながら、それはオランダの経済界が戦後のイラクで公平な競争の場が存在することで利益を手に入れそうな事例であった。

16.EU内部で意見が二分していたために、EU全体の一致した立場というものは取れそうもなかった。米国と英国に賛成する立場を取ることによって、オランダは、主として一方の英国と他方のドイツ及びフランスの間に立つことを望まれる仲介者としての立場を果たす可能性を失った。本委員会が検証した期間で「大西洋岸の反応」がヨーロッパを中心とした反応へと広がった。

17.NATOの内部では、オランダは米国・英国の立場を取った。オランダはトルコに対する防衛力を提供するのに賛成する合意を取る試みを支持した。しかし、オランダはアメリカの要請に応えてすでに初期段階でパトリオット・ミサイルをトルコに提供する時には単独行動を取った。

18.1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。一定の曖昧な表現は存在するが、国連安全保障理事会第1441号決議の文言は(オランダ政府が行ったように)イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。

19.オランダはいわゆる「第2の決議」を非常に重視するとたいへん明確にしていたが、この立場はオランダ政府が第2の決議が政治的には望ましいが法律的には絶対に必要なものではないと首尾一貫して付け加えたために抑えられた。

20.オランダ政府が第2の決議は「政治的には望ましいが、法律的には絶対に必要なものではない」と何度も繰り返した見解を擁護することは容易ではない。国連安全保障理事会第1441号決議の文言と範囲はそのような第2の決議として解釈することはできない。従って、その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。

21.外務省の中で採用された国際法の解釈は徹底した最新の法的分析に基づいたものではなかった。イラクに対する武力の行使の正当性に関して外務省内部に意見の相違が存在したことは極めて不幸なことであった。

22.一般に、調整が行われなければならない―たとえば改善した組織体制の形態によってである―国際法に基づいた助言が外務省内部とそれに続いて政府全体によって政策決定のプロセスで適切に考慮されるように確実にするためである。そのような調整はオランダの外交政策の長い伝統と国際法の支配の発展を推進するというオランダ政府の憲法上の義務に合致しなければならない。

23.2003年初めに、オランダはイラクが武装解除をしたかどうかを確認するためにより多くの時間を武器査察官に与えることに賛成しなかった。

24.オランダは米国に対して、国連がイラクの戦後の安定と再建に顕著な役割を与えられることを受け入れるように要請した。オランダ政府は米国が紛争終結後の段階の準備をしていないことを知っていたにもかかわらず、そのことがイラク戦争に対する政治的支持を与える決定をする際に何の役割も果たさなかった。

25.オランダ政府はUNMOVIC[イラク問題に関する国連監査検証査察委員会]によおる報告の解釈を取捨選択した。そのために、外務省はUNMOVIC報告の微妙な表現を反映させなかった。

26.オランダの情報機関の内部では、AIVD(情報治安総局)もMIVD(軍情報治安局)もイラクのWMD[大量破壊兵器]計画に関する独立の情報源の情報を大して持っていなかった。どちらの情報局も、大部分は国連武器査察官の報告と外国の情報機関から提供される情報をもとにして評価を下していた。

27.MIVDはまず入手した情報を独自の軍事技術分析にゆだねた。その分析と関連して、イラクのWMD使用能力は限られたものであることが強調された。しかし、2003年初め以後は、入手される情報をそれ以上に批判的に分析することはおこなわれなかった。

28.AIVDはイラクのWMD計画の内部分析をほとんど行わなかった。しかしながら、AIVDはその非拡散の任務と関連してオランダ国内でイラクが調達しようという試みの監視はしていた。

29.この時期全体を通して、MIVDとAIVDはイラクのWMD計画による危険の分析については、政府の閣僚が下院に伝えていたものよりも控えめであった。

30.WMDに関してAIVDと特にMIVDによって作成された報告は他の国の公開された報告よりも微妙な表現をしていた。こうした微妙な表現は関係閣僚や省庁には反映されず、むしろ、閣僚や省庁はすでに採用された立場と一致した情報局報告の記述から引用をした。イラクのWMD計画を描く際に、オランダ政府は相当程度米国や英国の公的及び他の情報に導かれた。

31.戦争前には、イラクのWMD計画による脅威に関して下院の中で重要な議論は行わなかった。戦争後、WMDが発見されず、他の諸国の情報機関の活動についての批判的な報告が現れ始めて、やっとその論議が本格的に始まった。実際に論議が始まってみると、政府の下院に対する説明は、AIVDとMIVDがそれらの情報機関が実際にしたよりもっと大きな役割をしたせいだとした。

32.議会の情報治安機関委員会(「治安委員会」)との議論の中で、政府はMIVDとAIVDによって作成された報告の微妙な部分にはふれなかった。委員会によって報告された事実とは反対に、国防大臣は、AIVDとMIVDの報告が、省庁によって作成された公的な声明に一致しないと断言した。

33.政府は、イラクに国連安全保障理事会第1441号決議を満たさせるための軍事力動員の計画への協力に関する、2002年11月15日のアメリカによってオランダになされた要請の内容を議会に十分には明らかにしなかった。

34.カンプ(国防)大臣とデ・ホープス・シェッフェル(外務)大臣によってなされた米国の要請についての説明が、軍事介入に関する内閣の議論や、2003年3月25日にデ・ブアー副大臣の書いた説明とは異なっていることから、イラク侵攻の直前まで、米国がオランダに要請したことと、米国の要請に関して従うべき政策について混乱が存在した。直接関与をしていない閣僚は米国の要請の性質と内容を十分には知らされていなかった。

35.米国の要請に応えて適用するオランダの支援の性格に関する米国との協議の中で、オランダは実際の軍事的支援を提供するどんな決定も、オランダ自身の判断をもとにしなければならないと要求した。従って、オランダは実際の軍事的支援に関しては独立した決定権を保持した。

36.パトリオット・ミサイルが純粋に防衛的なものであると見なすという状況の中では、オランダ政府が攻撃兵器と防衛兵器の区別をしても、疑わしいことである。

37.オランダ政府は、2003年2月17日(実際の支援が始まった日)の声明文の前に、オランダ王国の条約上の義務を満たすにあたっての米軍受け入れ国支援協定の条文について議会に対して何の情報も提供しなかった。もっと早く情報を伝えなかったことは、適切な時期に議会に情報を伝えるという政府の約束に反するものであった。

38.不朽の自由作戦[2001年10月7日、米軍・英軍が開始した対アフガニスタン軍事作戦]に関連して、オランダのフリゲート艦ヴァン・ネス号が、米国軍・英国軍の侵攻兵力の増強に参加する艦船を護衛するためにアラビア半島沖の国際海域に数回派遣された。フリゲート艦を派遣することで、オランダは国際的な軍事作戦の信頼されるパートナーとしての声望を守ろうとしていた。オランダの潜水艦ワルラス号は連合軍の増強には全く関与しなかった。

39.本委員会はオランダがイラク侵攻(の準備)に積極的な軍事的貢献をしたといううわさを裏付ける証拠を見つけられなかった。

40.2003年3月22日にカタールで米国のフランクス将軍によって開かれた記者会見にオランダの士官が出席していたことは誤解と間違った指示の結果であった。問題となった士官は非難されるべきではなかった。国防省の組織的な欠陥から生まれた誤解である限り、カンプ国防大臣に政治的責任があった。

41.国防省は、イラク戦争開始の直前ではなく、もっと早くオランダ軍の交換士官を英国の軍艦から撤収させることが望ましかったであろう。そうすればオランダ海軍に対して引きおこされた不必要な怒りは避けられただろう。

42.2003年3月17日に、対イラク軍事作戦のためにフリゲート艦を「名称変更する」などのアメリカによる多数の目立った要請には応じないと決定された時、政府はPVDAの見解を受け入れていた。

43.閣内では、能動的な軍事的参加を控えるために引き合いに出された理由には、軍事攻撃支援を米国は要請していないことや、参戦に国民の支持がないことが含まれていた。下院では、政府は参戦に国民の支持がないことを強調した。

44.コック第1次内閣とコック第2次内閣を代表し、オランダ憲法100条の適用とオランダ軍の参戦に関する2001年の評価枠組みについて下院の検証を行っている時期に出された内閣声明は、いくつかの点で互いに矛盾し合い、必ずしも明確なものではなかった。たとえばイラク問題の討議の関係では、憲法100条は下院が政府の決定を承認する権利を与えていると決めてかかられる時もあったが、その一方ではこの場合には当てはまらないと(正しく)表明されることもあった。

[(訳注)オランダ憲法100条:外国軍は議会の法律に従わずに配備してはならない。
Article 100: Foreign troops shall not be employed other than pursuant to an Act of Parliament.]

45.政府がトルコ東部へのパトリオット・ミサイルの配備と付随する兵員の配置に憲法100条を適用しなかったのは誤りである。配備がオランダのNATO条約上の義務によって避けがたいという主張は条文の文言とその法元の両方に相反する。国防省はいまだに条約上の義務に従って軍事力を配備したり使用することに憲法100条は適用されないという教義に固執している。当委員会はこうした見解を共有しない。

46.憲法100条の文言はオランダの領土上における軍事力の配備ないし利用に関する場合の適用に関しては2通りに解釈できる。しかしながら、2001年の評価枠はこの条項がこのような場合には当てはまらないことを明確に表明している。

47.憲法100条が2003年3月18日の表明によって下院に伝えられた決定に適用できないのは、その決定が軍事力の配備か利用と関係がなかったからである。
48.イラク戦争に対する政治的支持を送るという決定はデ・ホープス・シェッフェル大臣をNATO事務総長に任命するかも知れないことに影響は受けなかった。
49.本委員会は、閲覧に具するいくつかの国家機密文書の機密区分について疑問を持つ。この政策は歴史上の調査や実情調査を過度に妨げると見なされる。当委員会は文書の機密区分が定期的な再検討を受けるようなシステムを導入することを提案する。これは国立公文書館と、教育文化科学省の適切な仕事と思われるだろうし、後者の文書記録がそこに所属する

2010年1月26日火曜日

UFPJ(平和と正義のための連合)がアフガンへの派兵拡大に反対

アメリカ最大の反戦団体の連合体であるUFPJ(平和と正義のための連合)が、オバマ政権による対アフガニスタン派兵拡大、軍事予算に反対しています。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

これ以上戦争はできない!
        UFPJ(平和と正義のための連合) 2010年1月25日

12月1日にオバマ大統領が3万人の追加兵力を送ってアフガニスタン戦争を拡大すると発表して以来、オバマ政権の戦争政策の悲惨な失敗はますます明らかになっている。
今週、米国・英国・欧州・国連・アフガニスタンの指導者達がアフガニスタン問題の国際会議を開催する。この会議の目的は、無駄で勝目のない戦争に強く反対している欧州世論と国際世論の流れを変え、追加兵力の誓約を引き出すことである。英国の反戦運動はこの会議を阻止するために大挙押し寄せるだろうし、われわれも米国内で圧力をかけ続けなければならない。

*あなたの選挙区の国会議員に戦争予算に反対投票をするように言おう。電話番号は202-224-3121。
*あなたの選挙区の国会議員の事務所で2月17日と毎月、ブラウン・バッグ・ランチ・ビジルに参加するか主催しよう。

アフガニスタンを力で服従させることはできない。先週タリバンは大統領官邸から数ヤードというカブールの中心地で自由に攻撃ができることを示した。タリバンはアフガニスタンの一つを除く全ての州で影の知事を持っている。そしてアル・カイダに関する指導的な専門家を含む5人のCIAの士官が12月30日にホスト州のCIAの基地で二重スパイによって殺されたことは、米国が洗練され訓練された敵に直面していることを明らかにしたのである。

アフガン戦争が原因となって市民の犠牲者と外国軍に対するアフガン人の怒りを増大させている。2009年はアフガンの子ども達にとって2001年以来最悪の年となった。丁度先月、NATO軍はクナール州で8人の男子生徒を含む10人の市民を殺し、ナンガールハル州では4人の市民を殺し(5000人の抗議行動を引き起こした)、ヘルマンド州では10人の抗議者を殺し、ガズニー州では4人を殺した。アメリカ軍はこの人たちをタリバンであると言ったが、地域住民は市民だと言った。国連の報告では2009年にアフガニスタンで2412人の市民が殺された。2008年より14%も増加した。

外交的解決を米国に要求する圧力が高まっている。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の論説委員は先週、米軍と基地の撤退を含めてアフガニスタンの中立を回復させるように呼びかける論調に加わった。そしてオバマの戦争に反対する意見が、連邦議会の中でも広がっている。デニス・クーシニッチ下院議員(民主党・オハイオ州選出)は連邦議会によるアフガニスタン戦争の権限付与を撤回する特別決議を提出する計画をしている。ジム・マクガバン下院議員(民主党・ワシントン州)とラス・ファインゴールド上院議員(民主党・ウィスコンシン州)は出口戦略を要求する法案を提出するだろう。そしてバーバラ・リー下院議員(民主党・カリフォルニア州)の下院3699号決議案はあらゆる派兵増大に支出する予算を差し止めるものである。

2月1日、ホワイトハウスは2010会計年度予算案を提出するが、それはアフガニスタンとイラクの戦争のための1590億ドルをともなった「国防費」7090億ドルという記録破りの金額を含むと予想されている。連邦議会は、今年の春には、7090億ドルに加えてアフガニスタンへの派兵拡大のために、さらに330億ドルを支出したいというオバマ大統領の要請についての投票を行う。何百万人もの米国民が失業し、全米の都市や町が基本的な社会サービスの予算を削減している時に、オバマ政権の財政優先順位に挑戦することが緊急に必要である。

国民ではなく、戦争を飢えさせろ!全米で学生、教員、女性、障害者、病院・医療労働者、ホームレス、家事労働者、失業者、高齢者、そのほか多くの人たちが絶対に必要な社会計画予算のひどい削減に抗議している。

平和を要求しながら公正な経済を求めるUFPJの取り組みに参加し、もうこれ以上戦争はできない、と議会に言う時である。あなたの地域で経済的正義を支持して組織化をしている人を見つけよう。あなたの地域の国会議員の事務所で月例のブラウン・バッグ・ランチ・ビジル(BBLV)の平和運動への参加を呼びかけよう。アメリカのための進歩的民主党員の会が主催する次回のビジルは2月17日の木曜日に開催される。最新の情報をUFPJまで送っていただきたい!