2010年8月21日土曜日

イラクからの撤退は占領ブランドのはり替え

英国のガーディアン紙が米軍のイラクからの「撤退」の本質を暴いています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

米国はイラクから撤退するのではない、占領のブランドをはり替えているのだ

シューマス・マイルン   ガーディアン紙 (英国) 2010年8月4日 水曜日

オバマは撤退は予定通り進んでいると言っているが、残存するか外部委託した戦闘部隊はイラク人に国を返しはしないだろう
http://www.uslaboragainstwar.org/article.php?id=22765

英国と米国の大部分の国民にとってイラクはすでに歴史と化している。NATO軍の戦死者が容赦なく増加するにつれて、すでにずっと前からアフガニスタンがメディアの関心の一番大きい部分を奪ってしまっている。イラクに関する議論は今ではほぼ全部イラク侵攻をした元々の決定に集中している。2010年にイラクで起こっていることはほとんど印象に残っていないのだ。

それはバラク・オバマが今週、米国の戦闘部隊は「公約に従い予定通りに」今月末にイラクから撤退する、と宣言したことでさらに強められることになるだろう。英国と米国の多くの報道機関にとっては、これが実際に起こったことなのであった。すなわち、見出しは戦争の「終結」を祝い、「米軍はイラクから撤退へ」と報道したのである。

しかしこれほど事実から遠ざかったものはない。米国はイラクから撤退など全くしていないのである―占領に新しいブランドをはり変えているだけである。オバマが大統領になった時にジョージ・ブッシュの対テロ戦争が「海外の偶発事件の作戦」に名称を変えられたのとちょうど同じように、米国の「戦闘作戦」は来月から「安定化作戦」へとブランドをはり替えられるだろう。

しかしイラクの米軍スポークスマンであるスティーブン・ランザ少将がニューヨークタイム紙に言ったように、「実際問題としては何も変わらないだろう」。今月の撤退後にも94ヶ所の軍事基地になお5万人の米軍が残り、イラク軍に「助言」をしたり訓練をしたり「治安を提供」したりして「テロ対策」任務を遂行するだろう。米軍用語ではそれは米軍のやりたいこと全部を優におさえているのである。

5万人は1年前のイラクにおける兵力の大幅な削減ではある。しかし、オバマがかつて「ばかげた戦争」と呼んだものは執拗に続いているのである。事実、イラクの政治諸勢力がグリーン・ゾーンの町の中で暗礁に乗り上げて5ヶ月目になっている間に、暴力が増加しているのである。市民の殺害はアフガニスタンよりもイラクの方が多くなっている。イラク政府によると先月だけでも535人である。これは過去2年で最悪の数字である。

そしてたとえ米軍が町中ではほとんど姿が見えないとしても、毎月6人の割合でなお死んでいるのであり、米軍基地はレジスタンス・グループによって何度も砲撃を受けているが、その一方でイラク軍と米国が支援する宗派の私兵ははるかに多くの人数が殺され続けていて、アルカイダ―すなわちブッシュのイラクへの贈り物―はイラクの長い帯を横断して活動に戻ってきている。英国ではほとんど知られていないが、今なお150人のイラク国内の英国軍が米軍を支援し続けている。

その一方で、米国政府は占領のブランドのはり替えをするだけではなく、占領の民営化も進めている。占領軍のために約10万人の民間契約雇用者が働いていて、そのうち1万1000人以上が武装した傭兵であり、その大部分は発展途上国出身者を典型例とする「第三国の国民」である。ペルー人1人ととウガンダ人2人の警備会社契約社員がグリーンゾーンへのロケット攻撃で殺されたのはほんの2週間前のことである。

米国は今や、悪名高い米国の警備会社のブラックウォーター社の役割を暴く助けをしたジェレミー・スカヒルがイラクにおける軍契約者が「押し寄せつつある」と呼んでいるものの数を急増させたいのである。ヒラリー・クリントンはイラク全土の5ヶ所の「恒久的駐屯地」に配備するために国務省で働く軍契約者の数だけでも2700人から7000人に増やしたがっている。

外部委託をした占領の利点は、米国兵士以外の誰かがイラクの統治を維持するために死ぬことができるのだから明確である。それはブッシュが政権を去る直前になされた、2011年末までに全ての米軍兵士を撤退させるという公約の抜け道をつくる助けにもなる。別の撤退とは、あらゆるところで広く予想されていることであるが、適切な政府がつなぎ合わせてできてそれが可能となったらすかさず、イラク側が米軍に駐留を続けてほしいと新たに要望することである。

今やバチカン市の大きさを持つ駐イラク大使館を持つ米国がいつでもすぐにイラクを手放すなどと言った意図は持っていないことは明々白々である。その一つの理由は、1958年以前の英国による統治の下のイラクの石油を開発していた3社の英米石油メジャーなどの外国企業に昨年分け与えられたイラク最大の油田を稼働する1ダースもの20年間契約が結ばれたことに見いだすことができる。
これらの契約の合法性があいまいなために動きを抑えた米国企業もあったが、この問題について今度出版する本の著者であるグレッグ・マティットが論じているように、アメリカ側の獲得物は、イラクの石油埋蔵量の60%を長期間の外国企業の支配の下にした契約そのものより大きいのである。もしも石油産出量が計画通りに急速に押し上げられたら、世界の石油価格は大幅に下落し頑固なOPEC[石油輸出国機構]諸国の支配は崩壊するかも知れないのである。
その一方で、戦争がイラク民衆かけた恐るべき犠牲と日常生活で続く恐怖と窮状は、2007年の米軍の増派が「役に立った」とかイラクは結局はうまくいっている、という主張をあざ笑っているのである。

何十万人もが死に400万人が難民になっただけではない。米国(及び英国)による占領が7年を過ぎても、何万人もの人たちが裁判も受けずに拷問され投獄され、医療や教育は劇的なまでに悪化し、女性の地位は恐ろしいほど後退し、労働組合は実質的に禁止され、バグダッドは1500ヶ所の検問所と爆弾防止壁で分断され、電力供給はほとんど止まってしまい、人々は言いたいことを言うのにも命がけである。

3月の国民議会選挙の茶番劇と、立候補者や活動家の禁止や殺害と、それに続く政治の崩壊というものがたとえなくとも、本日のタイムズ紙がやったように、「イラクは民主主義国である」と主張するのは奇怪なことである。グリーンゾーンの政権は米軍と警備会社の契約社員の保護がなければすぐに崩壊するであろう。イラク人と米国当局者の間では最終的に軍事力による乗っ取りが行われるのではないかと予想していることは疑いない。

イラク戦争は米国にとって歴史的な政治上、戦略上の失敗であった。米国はイラクを西欧的価値の灯台か中東地域の警察官に変えるどころか、軍事的解決策を押しつけることができなかった。しかし宗派主義と民族主義のカードを切って、国民的なレジスタンス運動が台頭して屈辱的なベトナム戦争型の撤退することを防ぎもしたのである。イラクと中東地域の支配権を維持するために、米国は新たな形態の外部委託式の半植民地的政権をつくりたがっているという兆候が現れている。イラクの独立を取り戻す闘いはまさに始まったばかりである。