2010年11月27日土曜日

ギャレット・レパンヘーガンさん(IVAW議長)の証言

日本政府にイラク戦争検証委員会設置を求める集いに来日するIVAW(反戦イラク帰還兵士の会)のギャレット・レパンヘーガンさんのこれまでの発言です。

◆ギャレットさんはイラクに派兵されている時にIVAWに加入した初めての米軍兵士であり、IVAWの現議長です。
◆集会に参加して、ぜひギャレットさん、そしてIFC(イラク自由会議)のサミール議長・アハメド青年学生局長と交流しましょう。

イラク戦争検証委員会設置を求める集い
12月11日(土)18時半 大阪市立北区民センター
12月12日(日)14時   渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール

冬の兵士・ライフブログ
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

交戦規則ⅠⅠ:ギャレット・レパンヘーガン

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵士の会)HPから

http://www.ivaw.org/import/winter-soldier-liveblogging-rules-engagement-ii-garett-reppenhagen

ギャレットはバクバで偵察兵や狙撃兵として軍務についた。イラクに配備される前に彼の部隊はジュネーブ協定[1864年スイスの Geneva で締結された国際協定;戦時の捕虜,傷病兵,戦死者の人

道的な扱いに関する規則]と戦時法について多くの時間を費やした。だから、彼は到着してみたらジュネーブ協定の中に述べている多数の規則が無視されていることを知って驚いた。

基地の外に初めて移動した時、彼は兵士たちが外出禁止時間を過ぎて外にいる人々を銃撃するのを目撃した。人々は何の武器も持っていないのに、キャリバー50[ブローニングM2重機関銃]やMK19グレネードランチャー[自動擲弾(てきだん)銃]によって無差別に殺りくされたのであり、それらは両方ともジュネーブ協定で対人使用が禁じられているものである。ギャレットはイラクに駐留した期間に新たな交戦規則の指示を全く受とっていなかった。彼にとって、交戦規則は遠い記憶となり、存在したのはたえず限界にまで押しやられる境界線だけであった。

ギャレットはある日、試された経験のない兵士の分隊と、料理人と、事務官と、トラブルメーカーと、見捨てられた人たちと共に個人警護の任務でゲートの外に車で出ていた。ロータリー[円形交差点]で大混乱が起こり、誰もが交戦規則や目的などほとんど考えずに何かに対して銃撃をしていた。ほこりが収まった時、彼らは州副知事の警護チームを殺してしまったことに気がついた。これは孤立した事件ではなく、なぜこんな事が起こったのかその理由が分かる。ギャレットが一緒に任務についた人々は立派な人たちであった。彼らは怪物ではなかったし残酷な人たちでもなかった。戦争自体が怪物であり残酷なのだ。

「私は祖国を信じていたのに」 

イラク帰還兵士 ギャレット・レパンヘーガン  2006年3月1日