2011年8月11日木曜日

米軍がまたもイラク市民を殺害

イラクで米軍がまたもや市民を殺害しました。この1週間で2回目です。今回は13年の少年とその父親が犠牲となりました。そして住民から略奪も…。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

襲撃でイラク市民が死亡、撤退協議は紛糾へ

マイケル・S.シュミット   ニューヨークタイムズ 2011年8月7日付
2011年8月6日

バグダッド―

1週間で2回目となったのだが、イラク軍・米軍合同の武装勢力を狙った襲撃が結果として市民を殺害した。

ティクリートのちょうど南にあるイシャキ村の目撃者の話では、金曜日の早朝にイラク軍と米軍が襲撃を実行した時に市民に発砲し、手榴弾を投げつけた。村人によると、部隊は村の中にいた人々からの銃撃に対応していてそのあと撃ち返し、13歳の男の子と非番の警察官を殺した。

米軍幹部は作戦があったことは認めたが詳細はほとんど言わなかった。

「これはイラク軍が計画して主導した対テロ作戦でした。」と米軍のスポークスマンであるジェフリー・ブキャナン少将が声明の中で述べた。「作戦はヘリコプターなどの米軍の支援によって可能となっていた。また、ほとんどがイラク軍であったが少人数の米軍の軍事顧問が作戦に参加していて、彼らは地上の全ての活動の指揮をとっていた。」

ブキャナン少将は「戦闘が続いて起こったので」、増援の米軍が反撃したのだ、と言った。「米軍はその地域を確保したが作戦には関与していなかった。」と彼は言った。声明は元々の現場の米軍が武器を発砲したのかどうかについては述べていなかった。

イラク軍特別部隊のスポークスマンはコメントを断った。

7月30日の台無しになった襲撃の直後におこなわれたこの作戦は、米軍が今年末以後もイラクにとどまるべきかどうかについての政治的に悩ましい協議を紛糾させることは確実だ。

非公式には残るべき部隊もあるという米国高官からの圧力の中で、イラク政府は水曜日に、米軍の駐留継続についての交渉を開始すると発表した。

金曜日の襲撃についてすでに米軍を厳しく非難している政治家もいて、彼らはイラク国内の新聞でまたもやイラクの主権を侵害したと米軍を批判している。

米軍の幹部によると、イシャキでの作戦は爆薬を集めていた反乱者のチームを選び出していた。反乱者が見つかったかっどうかは不明のままである。

金曜日に、幹部はヘリコプターの支援を提供したと語り、そのことが襲撃は米軍の作戦であるという誤った印象を与えたのかもしれない、と説明した。また、装備や技術のせいでイラク軍がしばしば米軍と間違えられるとも言った。

しかし、土曜日には米軍が参加していたという目撃報告に基づいてさらに質問を受けた後、米軍は米軍部隊が参加していたという声明を発表した。

地域の当局者と2人の目撃者は、ある村人が盗賊だと思ったから部隊に発砲したときに銃撃が始まった、と言った。

「家の近くで銃撃音が聞こえ、私の息子は起き上がり怖いので庭に逃げました。」と少年の母親である51歳のナジア・ガマスは言った、「彼らは息子と夫を撃ったのです。」

アル・ルファイトのブドウ農園の村でおこなわれた7月30日の襲撃では部族長を含む3人の死者が出て、米軍が発砲前に銃撃されたのかどうかについて矛盾した報告がおこなわれた。米軍は、米部隊はイラク軍と共に参加したが、襲撃が議論になるのは、一つにはその標的が見つからなかったからだ、と言った。地域の幹部が言うには、その村はかつては反乱者への共感を抱いていたかもしれないが、スンニ派の反乱者の温床になっているのではないということである。

米軍は一つにはイランに対する釣り合いを取るために部隊をイラクに残したがっている。

イラクの高い地位にある政治家や軍人は訓練のために米軍の助けが必要であると確信している者が多い。しかし他の人たち、特に影響力の強いムクタダ・アル・サドル師はイラク国内に米軍を維持するのでは占領の継続に過ぎないと言っている。

イシャキの62歳の農夫のムハンマド・ファルハンにとっては、政治論争が個人の問題になっている。彼が言うにはイラク軍と米軍が金曜日の午前2時頃に彼の家のドアを打ち壊し、彼と3人の親戚を縛り、外に連れ出した。

彼が言うには、イラク軍と米軍が彼の家を捜索し、彼の小切手を盗み、彼の兄弟のパスポートを持ち去った。「米軍は私たちが嘘つきでテロリストだと言っていました。」とファルハン氏は言った。「なぜ私たちを襲うのです?私たちはただの罪もない住人ですよ。」

英国のイラク戦争検証委員会

英国のイラク戦争検証委員会(チルコット委員会)がいよいよ今年秋に報告書を出します。「メール」紙によるとトニー・ブレアは対イラク戦争の際に、自らの内閣にも、国会にも、イギリス国民にもウソを語りました。ブレアは「戦争犯罪で有罪」(ストップ戦争連合)ということになります。日本でもイラク戦争検証委員会を設置させましょう。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク戦争検証委員会はトニー・ブレアが戦争犯罪人であることを確認するだろう。それではその次に何が起こるのか?        
※ストップ戦争連合のHPより

サイモン・ウォルターズ トニー・ブレア・ウォッチ  2011年7月31日

イラク戦争検証委員会はトニー・ブレアが自らの内閣にも、国会にも、イギリス国民にもウソを語ったと「メール」紙は言う。そうなると、戦争犯罪で有罪だ。その次に何が起こるのだろうか?

サイモン・ウォルターズ メール・オンライン  2011年7月31日

トニー・ブレアは現代史上最大の外交上の大失敗に英国を導くのに自らが果たした役割について政府が設置したイラク戦争検証委員会の容赦ない批判に直面することになる。彼は4つの主要な失敗に責任があると見なされるだろう。

*サダム・フセインの大量破壊兵器に関して作り出された虚偽の主張を行った。

*戦争を開始するというジョージ・ブッシュとの秘密の約束を英国民に言わなかった。

*ソファー・ガバメント[非公式の顧問グループを中心に行う政治]スタイルで内閣には何も知らせないでいた。

*イラクの戦後の大混乱を避ける計画を立てなかった。

信頼できる情報筋によると、ブレア氏と主要な盟友たちの声望は、ジョン・チルコット卿のイラク戦争検証委員会の報告が今年の秋に公表された時に多大な損害を被るだろうという。ブレア氏とジャック・ストロー元外相や元首相官邸の情報操作専門家アラスター・キャンベルはみな批判を受けると予想されている。

チルコット卿の5人の強い権限を持つ専門家の委員会によって非難を受ける者たち全員が2、3週間のうちにイラク戦争検証委員会の結論についての通知を受けるだろう。彼らは報告が完成する前に申し立てた誤りについて反論する最後の機会を与えられるだろう。まだ書かれてはいないが、どの分野に焦点を当てるのかについては明確な見通しが示されてきた。

ブレア氏がジョージ・ブッシュと一緒にサダム・フセインに対する戦争を行って8年がたち、チルコット委員会は有罪の判定を下す。イラクで合計179人の英国兵士が死んだ一方でイラク人の死者の推定数は10万人から65万人まである。サダムは数週間で倒されたが、イラク侵攻は血塗られた結果を引き起こし、英国や他の場所でテロを増加させる原因になったと主張された。

2年前に当時のゴードン・ブラウン首相によって設置されたチルコット委員会はイラク紛争に関する3つ目の委員会である。情報の欠如に関するバトラー委員会と国防省の兵器専門家のデビッド・ケリー博士の死に関するハットン委員会に次ぐものである。

委員長である元公務員で72歳のジョン・チルコット卿はイラク戦争の2年前の2001年から2009年までの全ての期間に及ぶよりよく調べる調査を行うことを要請された。

ブレア氏が議会に対してサダムが大量破壊兵器を保有していると言っている情報は「疑いもないこと」であると言った事に対して、検証委員会は厳しく追及している。証人としてブレア氏はふてぶてしくも戦争には何の後悔もしていないし、英国は結局はイラク戦争を「計り知れない誇り」を持って振り返ることができるようになるだろうと言い張った。しかし彼は、サダムが45分以内に大量破壊兵器を発射することができるという首相官邸の調査書類の主張の解釈を誤ったことは認めた。彼はまた、戦争前には英国下院で明言したにもかかわらず、2002年秋にはサダムからの「増大しつつある」脅威はなかったことをしぶしぶ認めた。

チルコット委員会の報告は情報操作専門家のキャンベル氏を批判するだろうと予想されているが、サダムの兵器に関する調査書類が「戦争を起こすために事件を起こす」ことをたくらんだものであったのだと言うことを彼は否定したが、国防省情報局の情報収集部長であった元スパイの頭目のマイケル・ローリー少将によって異議を申し立てられた。

ローリー少将は2ヶ月前にチルコット委員会にこう言った。「アラスター・キャンベルはその書類の目的は『戦争のために事件を起こすこと』ではなかったと言いました。私は当時、それが真の目的であり、まさにこの言葉が使われたと言うことに何の疑いも持ちませんでした。私たちは当時、その目的が、役に立つ情報を用意するのではなくて、まさに戦争のための事件を起こすことにあるのだということを知っていました。私と書類の作成にかかわった人々はまさにそのように見ていたのであり、それが私たちに与えられた指示だったのです。」

そして今月はじめには、名前のわからないMI6[英国情報局秘密情報部]の幹部が言うには、キャンベル氏は情報書類に関する活動で「誘導されていないミサイル」のような行動をとっている。そして情報操作専門家は「頭にかっと血が上って事前の適切な相談もなくジャーナリストにさまざまな話や情報を伝える傾向」があるというのである。

チルコット委員会はまた、国民にはまだ決定はしていないと主張しながら、対イラク戦争の1年以上も前に戦争を支持すると個人的にブッシュ氏に言ったというやり方に焦点を置くだろうと理解されている。ブレア氏は2002年にブッシュ大統領のテキサスの農場で開戦の取り決めの「血盟」が交わされたということを否認した。彼はサダムに「対処する」ことに合意しただけだ、と言ったのである。

しかしながら、英国が「体制変更」を支持したかどうかということについてのブレア氏とストロー氏の間の意見の食い違いもチルコット委員会の結論の顕著な特徴となるだろう。その上、ストロー氏は、自分が「非常にしぶしぶ」イラク戦争を承認しただけなのに、イラク戦争が違法であると言う外務省法律顧問の警告を無視したと言ってしまったので、非難を受けている。元外務省上級法律顧問のマイケル・ウッド卿は、イラク戦争に抗議して辞任を検討したし、開戦に反対した後は干されたと言ったのである。

戦争に関する主要な決定が腹心の小さな仲間内によって彼の書斎で決められると言う、ブレア氏のソファー・ガバメント[非公式の顧問グループを中心に行う政治]のスタイル―大部分の閣僚や政府当局者が排除されていた―もまた糾弾されると予想されている。

サダム打倒の後の戦後の混乱の対策を立てなかったことは、チルコット委員会の結論のもう一つの重要な部分になると信じられている。チルコット委員会は、英国軍の司令官のティム・クロス少将が、一つには戦後の計画が「哀れなほどに貧弱」であるために、開戦の2日前にイラク侵攻を遅らせるようにブレア氏に要請した経過を聴取した。

クロス少将は「私は『この軍事作戦に勝てることには何の疑いもありません。しかし、戦後のイラクの準備はできていないと確信しています』と多大な言葉を使って言ったのを覚えています。」と言った。彼は戦後バグダッドに着くと、事態は予想以上に悪化していた。「バグダッドは金網とチューインガムによってつなぎ合わされていました。」と彼は言った。

ブレア氏に近い筋は、ブレア氏が直面しそうな類の批判のことは承知していると言う。「これはまだ書かれてもいない報告を予断をもって判断しようとする意図的なたくらみである。我々は公表されるまでコメントはしない。」ということである。

2011年8月5日金曜日

イラクの米兵が戦争犯罪

イラクの米軍が戦争犯罪!

7月30日の深夜(全交の当日!)、イラク中部のバラド基地の近くのアル・ルフェイト村を米軍・イラク軍の合同部隊が襲撃。

「武装勢力」とは全く関係のない村人に銃撃、手榴弾を投げ込み、3人が殺され、2人の少女を含む5人が負傷。

60代の部族の長老のハミード・ハッサン族長は目隠しをされ両腕が背中で手錠をかけられた死体となって発見されました。
ラク占領、そして市民殺害は続いています。占領軍を即時撤退させましょう!

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラクの村で、家宅襲撃が米軍に対する不信感の種をまいている

ティム・アランゴとドュレイド・アドナン  ニューヨークタイムズ 2011年8月2日

アル・ルフェイト、イラク-米軍とイラクの兵士がブドウ農家と部族の伝統のこの村に反乱容疑者を捜索しにこっそりとやってきて、朝の太陽の中を去って行った。

しかしその数時間の間に、作戦は恐ろしく間違ったものになった:すなわち、容疑者は捕獲を免れたが部族の長老を含む3人が殺害され、5人が負傷してそのうち2人は少女だった。

翌日の日曜日の朝、村人はイラク人の生活では見慣れた悲しみの儀式に従った。若者はその日の遅くに始まる3日間の葬式のためのテントを立てていた。ある母親は地元の教員であった息子が撃ち殺された時に着ていた血で染まった服を広げた。中では、一人の女性が死んだ彼女の兄弟のことを「どうして私をおいて行ってしまったの?」と泣き叫んでいた。

ほとんどの男たちは、たとえ作戦がイラクの治安部隊に率いられたものだとしても答えを得てアメリカ軍に怒りをぶちまけたがった。

この襲撃と死は月曜日にイラク国民議会と国内の新聞の憤激をかき立て、駐留米軍の将来の役割についての継続した議論と同時に起こっている。それは現行の協定では米軍が完全に撤退することを求められている年末を越えて米軍部隊が駐留するのに反対する人々にとって新たな契機を提供しているようだ。

しかし、それはまた、オバマ大統領が正式に戦闘任務が終了したと宣言をして1年近くたってからも、米軍兵士がなお2つの戦線での戦闘に今でもいかに深く関与しているのかを強調しているのである。その戦線とはこの村のあるサラハディン州のようなバグダッド北部のスンニ派支配の地域のスンニ派の反乱者に対する戦線であり、そして米軍兵士の戦闘関連の死が急増したことに責任がある南部のシーア派の私兵に対する戦線である。

それは公然とした監視を大部分は超えたところで闘われている戦争であり、イラクと米軍の特別部隊が兵器や反乱者を捜して家々を襲撃する時にほとんど毎晩小さな村や都市の住民にかけられているのである。銃撃を受けることはまれではあるが、それでもサダム・フセインの生まれ故郷のティクリートの真南にあるこのスンニ派の村で土曜日の朝早くに起こったように、時には死人を出す結果になることがある。

何百年間にもわたってこの土地を耕してきたと言うアル・ルファイト族の指導者のユーセユ・アフマド族長は「戦争は終わっていない」と語った。

主要な農作物はぶどうと小麦とオレンジだが大部分はブドウであり、豊作の年には農民は4万2000ドル以上を稼ぐことができる。この日、男たちは夜間襲撃の証拠を掲げた。ある男性は薬きょうを取り上げた。別の男性は手榴弾のピンを取り上げた。茂みの中に絡んでいたのはニューハンプシャー産の黒いプラスチックの手錠一つであった。

アフマド族長と彼の部族は米軍がイラクのアルカイダの反乱者グループの容疑者を狙ってイラクの司法当局の逮捕状を持って実行されたものだと米軍が言うこの作戦を糾弾した。

予想通り、襲撃の戦雲の余波の中で、対立する話が持ち上がった。アフマド族長は最初、反乱者に攻撃を受けていると考えて襲撃が始まった時に発砲した村人がいる、と言った。米軍はこれを確認したが、翌日、住民は武器を発射したことはない、と言ったのである。

e-メールの声明の中で、バグダッドの軍スポークスマンは「イラク軍部隊が米国の顧問と共に家屋に近づいたとき、銃撃を受けて防御のために反撃した。」と書いた。スポークスマンは「人数不明の死傷者が出て、この事件はイラク政府が調査中である」と語った。

午前1時を少し過ぎて襲撃が始まったとき、村人によるとたくさんの子どもを含む16人が米軍とイラク軍の兵士が行った最初の家屋の屋根の上で寝ていた―これは暑さとエアコンを動かす電気の停電から逃れるためにイラクでは普通におこなわれていることである。兵士たちは屋根から銃撃し、手榴弾を投げて反撃したようである。「その直後、命を奪う銃撃は終わった。」と米軍のスポークスマンは書いた。

翌日、屋根は手榴弾の衝撃であばたのようになり、血塗られた足跡が床を汚していた。2人の少女が爆弾の破片でけがをした、と村人は行った。

村人が言うには、また、この作戦が終わった時―それは始まってから約6時間たっていた、と彼らは言った―60代の部族の長老のハミード・ハッサン族長の目隠しをされ両腕が背中で手錠をかけられた死体を彼らは発見した。

族長の息子のマジド・ハミードは彼の父親が手錠をかけられて家から連れ去られたときに窓越しに見ていたのであり、これは彼の父親が結局殺されてしまったやり方についての心の痛む疑問を起こす話である。(この事件の説明について聞かれたとき、米軍スポークスマンは「作戦中に起こったことの詳細は調査中である」と書いた。)

「父は平和的な人間でした。」と19歳の息子は言った。「父は私たちの指導者でした。私には悪夢でした。私は怒ったことについて考えるのを止められません。私は寝ていました。そし突然銃撃と爆弾と手榴弾が来たのです。そして今、父親は死んでしまいました。」

米軍とイラク特殊部隊によって捜索された男は見つからなかったが、「2人のテロリスト容疑者が現場でとらえられ、指名手配されている個人との関係について尋問されている。」と米軍は声明の中で述べた。

地元当局者は、かつては反乱者への共感を心に抱いていたとしても、特別作戦部隊の本部である大きな米軍基地の近くのバラド郊外にあるこの村は、今なお爆発寸前のスンニ派の反乱の温床ではない、と言った。
「そこは平和な村です。」とサラハディーン州評議会の治安委員会委員長のモハンマド・ハッサンは言った。「村にはお尋ね者はいませんし、それにアルカイダのメンバーの情報を伝えてくれて、イラクの治安部隊と覚醒評議会をとても助けてくれています。」(覚醒評議会は以前の反乱者が所属陣営を転換して米軍側に立って戦うようになった2007年に発展した運動である。)

悲しみと怒りに身を震わせて、村人は米国の戦争の結果残された民主主義のスタイルを告発した。「これが米国が持ってきた自由なのか?」と倒れた部族長の家の外の群集の中の一人の男性が言った。

しかし、村人と地域当局は、米国の生活に深く根付いた頼みの綱となる手段を追求すると断言した。すなわち、訴訟を起こすのだ。

「私たちは米軍を訴えますよ。」とハッサン氏は言った。「私たちは法手続きと法廷によって米軍を追求しますよ。」
 

2011年5月11日水曜日

イラク石油労働者の闘い

イラク最大の油田地帯のバスラで、石油労働者が権利獲得と会社当局の腐敗の追及に立ち上がっています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

大規模なデモがイラク・バスラの南部石油会社本部を揺るがす

イラク自由会議 広報部 2001年5月9日

数百人の労働者が抗議の職場放棄をしてイラク南部のバスラ市のバブ・アル・ズバイルにある南部石油会社の本部を揺り動かした。

労働者はバスラの油田、すなわちルメイラの北部と南部や、アルビルジスヤや、西クルナやマジュヌーンから労働者が来て、その先頭には全イラク労働者評議会労働組合連合が立った。

労働者は全ての腐敗した当局者を裁判にかけようとして、腐敗を糾弾するスローガンを声に上げた。その腐敗した当局者には南部石油会社の副社長と販売担当取締役が入っている。

デモに対抗するために、会社の経営陣は治安部隊を呼んだ。サミ・ハッサン(デモの主催者の一人)が2時間にわたって拘束された。

このデモは南部地域で操業するイラクと外国の企業を襲った一連の抗議行動の一部であることは言及するだけの価値があることである。

米国戦争抵抗者同盟・ビン・ラディン殺害について

米国の反戦団体・戦争抵抗者同盟(WRL)がビン・ラディン殺害について声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


ビン・ラディンは法に照らした処罰を受けたのか?

正義もない、勝利もない:平和の名で新たな殺人が行われただけだ

戦争抵抗者同盟(米国) 2011年5月2日

http://www.warresisters.org/binladenmurder

「私は9・11を実際に祝っている人々がいたと聞いて何と恐ろしいことかと考え続けています。そして今、テレビを見ると同じ光景が見えるのです。」

―2001年9月11日にワールドトレードセンターで殺された男性の家族

パキスタンでCIAによってオサマ・ビン・ラディンが殺害されたという報道は正義でも勝利でもなく、祝福の理由にしてはならない。

2001年9月11日から10年近くがたっている。何十万人もの市民が殺された。6000人以上の米国の兵士が殺された。何兆ドルもの資金が浪費された。「対テロ戦争」の中で何万人もの男性、女性、子どもが逮捕され投獄された。拷問が今や米国の対外政策で受け入れられる要素となっている。

ジョージ・W・ブッシュ大統領が米海軍の空母アブラハム・リンカンの艦上で「任務完了」と宣言した後(2003年5月1日)からこの日までに8年間たって、彼はビン・ラディンの殺害を「米国の勝利」だと呼んだ。世界中の首脳がバラク・オバマ大統領と米国への祝福の合唱を増加させた。ニューヨーク市やワシントンDCや全米の他の場所で群衆が集まり、米国旗を振り、愛国歌を歌い、「USA、USA」とくりかえして声を上げた。

この憎しみに満ちた陶酔は国民が正義ではなく復讐に熱中していることを示している。

元々は米国に支援され、現在は米軍の「最大のお尋ね者」の標的リストのトップにいるオサマ・ビン・ラディンとアル・カイダの支持者たちはこうした事態に元気づくだろう。我々の暴力を終わらせようという呼びかけはいわゆる「対テロ戦争」のあらゆる陣営にあてはまるのであり、独立アフガン・フェースブックのページに投稿された反応に共鳴する。

1964年のノーベル平和賞受賞演説の際にマーチン・ルーサー・キングはこう言った。「遅かれ早かれ世界の民衆は平和のうちに共に生きる道を発見しなければならないでしょう…これが達成できれば、人間は全人類の紛争に代わって復讐や侵略や報復を拒否する方法を発展させなければならないのです。」

復讐や侵略や報復を越えて動くのであれば、我々は現在アメリカによって行われている戦争を―宣戦布告をしていようがしていなかろうが―終わらせなければならない。

兵士を帰国させるべき期限は過ぎている。ホワイトハウスは海外の米軍の迅速な撤退を開始しなければならない。

我々は、我々自身の暴力が原因で何十万人もの人たちが死んでいることを正当化するか無視しながら大量殺人の一人の被告の死を祝福してはならない。

戦争の野蛮の中では、その瞬間には考えられなかったことが次には日常茶飯のことになるものだ。我々は今こそ暴力の連鎖を終わらせなければならない。

ビン・ラディン殺害・ストップ戦争連合

英国のストップ戦争連合がビン・ラディン殺害について声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

ビン・ラディン殺害:9/11以来の戦争の10年間でいかに一線を画するか

リンドゼー・ジャーマン ストップ戦争連合全国議長 2011年5月2日

ストップ戦争連合の声明

パキスタンにおける米軍特殊部隊によるオサマ・ビン・ラディンの殺害は「対テロ戦争」の転換点であると熱烈に歓迎されている。この暗殺は、9/11以後の10年近い年月に一線を画するだろう、と主張されている。しかし米国が本当にこの戦争に一線を画したいのなら現在追求しているものとは非常に違った政策を採用する必要がある。

米国軍とその他NATO軍はいますぐアフガニスタンから全軍を撤退しなければならない。ビン・ラディンの捕獲か殺害は、2001年10月に攻撃が始まった時に表明された目的であった―「生死に関わりなくお尋ね者」とジョージ・ブッシュの言葉の中にあった。その時以来、アフガニスタンでは数十万人ではなくても数万人が死に、タリバンが力を回復し、親米政府は世界で最も腐敗した政府である。この戦争には何の正当化もできない。

米国と英国は2001年にビン・ラディンが主張した不満を自ら思い出さなければならない。すなわち、中東に米軍が駐留していること、パレスチナ人に対する扱い、そしてイラクに対する経済制裁の継続である。この不満の全てが過去10年間で悪化した。今ではイラクとアフガニスタンに欧米の軍隊が駐留し、中東全域に米軍基地が配置され、リビヤに対する兵力や空爆などの介入が行われている。パレスチナ人ははるかにひどく苦しめられ、イスラエルによる空中からの攻撃にさらされてきた。イラクは2003年の戦争の結果として全面的な占領にあっている。

戦争はパキスタンに拡大され、ビン・ラディン殺害のような特殊部隊の作戦がおこなわれているだけではなく、無人機の攻撃を伴っていて、何千人ものパキスタン人を殺し、パキスタンに多大な不安定を作り出している。

米国とその同盟国は中東全域の独裁者と専制君主を支援する政策を追求してきた。これらの諸国の国民の蜂起だけが多少なりともその政策を変更させたのであり、現在でも、リビヤで戦争を行いながら、欧米諸国はバーレーンの虐殺やサウジ・アラビアの抑圧に対して目をつぶっている。

リビヤに対する戦争は人道的介入ではなく欧米諸国が―特に北アフリカの旧植民諸国が―この地域の支配権を取り戻そうとしているのである。空爆を即時停止しなければならないし、特殊部隊や顧問を含む全部隊を撤退させなければならない。

こうした政策はテロを終わらせる助けにならずにもっと起こりやすくしてしまった。アル・カイダは10年前にはアフガニスタン以外にはほとんど存在しなかった。今やアル・カイダは中東の多数の国に存在している。最近の事件によってヨーロッパや米国などでアル・カイダによる攻撃がおそらく増加することになるだろう。テロを終わらせる唯一の方法はテロが栄える場所を作る政策を最初に変えることである。

ビン・ラディン殺害について・フィリス・ベニス論評

米国の政策研究所のフィリス・ベニスが米軍によるオサマ・ビン・ラディン殺害について論評しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

オサマ・ビン・ラディンの死:正義なのか復讐なのか?

フィリス・ベニス 政策研究所  2011年5月2日

独裁と腐敗に立ち向かう大衆を基盤にした社会的に広範囲な動員と非暴力の抗議行動を支持してアル・カイダ型の小規模グループによる暴力を直接拒否したアラブの春の真っただ中で、オサマ・ビン・ラディンの殺害が究極的な正義、あるいは9・11の「未完の任務」が終わったことを示すのだろうか?

[アンマン、ヨルダン]―米国の秘密情報員がどうやらイスラマバードの政府の協力を受けないでオサマ・ビン・ラディンをパキスタンで殺害した。アル・カイダの指導者は多大な被害を与えた責任があった。私は彼の死を悲しまない。しかし、どの行動にも原因と結果がともなうのであり、現時点ではあらゆることが危険である。ビン・ラディンの殺害がすでに弱体化していたアル・カイダの力量に大きな影響を与えることはありそうもないし、アル・カイダは他のテロリスト勢力に対する影響力は不明ではあるが、アフガニスタンとパキスタンの間にいるわずか2、300人の戦士で成り立っていると広く信じられている。パキスタン自体は特別に高い代償を払うかも知れない。

バラク・オバマ大統領が述べたように、「銃撃戦の後、彼らはオサマ・ビン・ラディンを殺害した」。それが事実だとすれば、この襲撃はそれに先立ち10年後の今日も続くアフガニスタンとイラクにおける破壊的な戦争の野蛮な現実を反映している―それは誰も法に照らして処罰するものではなく、復讐をするものであった。

そしてビン・ラディンを捕獲するという名目で行われた米国の戦争でアフガニスタン人、イラク人、パキスタン人その他によっていまだに支払われている膨大な犠牲者のことを考えると、結局その目的を実現するのを可能にしたのは、衝撃と畏怖(いふ)作戦の空爆や地上軍の侵攻ではなくて、骨の折れる警察活動―すなわち情報源を育成しながらの注意深い捜査―であったということは、とりわけ皮肉なことであった。

オバマ大統領は9/11後の米国民の団結が「時には崩れた」ことを認めた。しかし彼はツイン・タワーに対する恐ろしい攻撃から24時間以内に実際には団結が完全に崩壊していたことには言及しなかった。2011年の9月11日は「世界を変え」なかった。世界が変わったのは、9月12日にジョージ・W・ブッシュが世界を戦争に引き込んで対抗するという決意を表明した時なのである。その瞬間に、3000人近い人たちを殺した人道に対する犯罪である9/11の実際の事件が置き去りにされて、「地球規模の対テロ戦争」が始まった。その戦争はイラク、アフガニスタン、パキスタン、そしてそれを越えて世界中の何十万もの人々に何年間もの戦争と荒廃と破壊をもたらしたのである。

9/11の犯罪に対抗して、人間としての連帯という団結の前代未聞の高揚が起こった。米国ではその対応の多くは即座に好戦的愛国主義と外国人嫌悪の様相を呈した(そのいくらかはオバマ大統領の演説に続いてホワイトハウスの外にいた旗を振り歓声を上げる群衆の「USA、USA!!」という攻撃的な連呼の中に昨夜再び現れた)。その中にはあからさまに軍国主義的、人種差別的、イスラム嫌悪的なものもあった。しかし予期されなかった米国の歴史上まれな人間としての団結の水準を反映したものも実際にあったのである。国際的に言っても、短期間ではあるが米国民との連帯が米国の傲慢と戦争と帝国支配への突進に対する当然の全世界的な怒りに取って代わったのである。フランスでは新聞の見出しが“nous sommes tous Americaines maintenant”、すなわち「我々は今や皆アメリカ人である」と宣言していた。
しかし、そのような人間としての連帯は短命に終わった。それは9/11の犯罪に対する米国の対応を形作った違法な戦争によって破壊されたのである。これらの戦争は9月11日に殺された3000人をはるかにしのぐ数の犠牲者を即座に作り出した。世界中のさらに何百万人もの生活が米国の侵略にあって変えられた―米軍チームがビン・ラディンを暗殺したパキスタンだけでも、何千人もの人々が米軍の無人機による攻撃と米国の戦争の継続する遺物の一部である自爆攻撃によって殺害され手足を切断された。

これらの戦争はあまりにも多くの死と破壊をもたらした。あまりにも多くの人々が死に、あまりにも多くの子どもたちが孤児となったのは、オバマ大統領の声明が勝ち誇って言ったように、米国が、一人ではあるが象徴的に重要な男が殺害されたから「正義がなされた」と主張するためであった。しかしながら「この闘い」が実際にいつどのようにしておこったのかを、米国政府が9/11に対応するためにどんな方法を選んだのかが確かめられている。その対応は最初から戦争と復讐なのであって、正義ではなかったのである。

大統領の昨夜の演説は、ジョージ・W・ブッシュが始めバラク・オバマが自らの戦争であると主張した「地球規模での対テロ戦争」の勝利主義を終わらせることを目的にすることもできたかも知れない。その演説は正義と平等と他国に対する尊敬を基礎にした米国の新しい外交政策を宣言することができたかも知れない。しかし実際にはそうしなかった。演説はそのかわりにアフガニスタンとパキスタンとイラクとさらにそれ以上の地での米国の戦争が続くことを宣言したのである。

戦争のこの再確認の中でオバマ大統領は「アメリカは決意したことは何でもできる」と主張して、彼の最近の演説の特徴となった米国例外論を重ねて力説した。彼は残忍な戦争をやり続ける米国の能力と意思を、一片の皮肉もなしに書くが、「全ての米国市民の平等獲得のための闘争」などの米国の以前の業績と同一視した。オバマ大統領のくりかえす言葉の中では、地球規模の対テロ戦争が奴隷制度反対や市民的権利獲得の運動に匹敵するものであるのは明らかである。
今日、アラブの春は中東と北アフリカ全体で高まっている。言いようもなく悲しいことに、オバマ大統領はビン・ラディンの死が正義を意味するという主張の中で9/11の攻撃の答えとした米国による破滅的な戦争の終結を宣言する機会を利用しなかった。これは復讐を協調に置き換え、戦争を正義に置き換える機会にすることができたかも知れないのである。

しかしそうはならなかった。ビン・ラディンの死に関わりなく、アフガニスタンやパキスタンやイラクやそれを越えた国々で米国の破壊的な戦争が続く限りは、正義はなされてはいないのである。

2011年5月4日水曜日

USLAWのイラク労働者へのメーデーあいさつ

USLAW(米国反戦労働者の会)がイラクの労働運動にメーデーの連帯アピールを送っています。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争に反対する米国労働者の会 2011年4月29日

イラクの労働運動の姉妹兄弟の皆さんへ:

メーデー―世界労働者階級の連帯のための労働者の日について:

闘いの姉妹、兄弟、同志の皆さん

私たちは、あらゆる場の勤労者のための労働者としての権利と基本的な尊厳を要求するという共通の闘いの中で、本日、皆さんに合流します。

私たちがイラク労働者階級の勇気と断固たる行動をたたえるのは、それが外国のあらゆる介入や支配がなく、抑圧がなくて国際労働基準によって保障されている労働者の全面的な権利を持っている民主的なイラクを追求しているからです。

米国の500万人以上の労働者を代表する190の加盟団体を持つ私たち戦争に反対する米国労働者の会は、皆さんを支持し、皆さんの活動を継続して支援して全ての外国軍と政府によるイラク占領を早急に終わらせ、イラク国民に全面的な国家主権を回復させることを誓います。

私たちは、5月1日を労働者連帯の国際デーにすると宣言することにつながった虐殺事件のあったシカゴのヘイマーケット広場での1886年の労働者の犠牲者たちの記念碑を訪れた人がみな、2007年のイラクの労働運動の代表による歴史的な米国訪問の時にそこに刻まれたイラクの労働運動からのあいさつと連帯のメッセージを見るのだという事実に感動します。

私たちは皆さんと共に激しい階級闘争のメーデーを祝うにあたって、私たち両国の勤労民衆の命と生活を脅かす継続した階級対立の中で私たちは皆さんに連帯して立ち上がります。

イラクの労働運動万歳

両国民の連帯万歳

戦争に反対する米国労働者の会

共同議長:キャシー・ブラック、ジーン・ブラスキン、ボブ・ミューレンカンプ、ブルックス・スンケット、ナンシー・ウォルフォース、マイケル・ズウェイグ

全国オルガナイザー:マイケル・アイゼンシャー

運営調整担当:アドリーン・ニコシア

メーデーアピール・イラク民衆抗議行動委員会

IFC(イラク自由会議)が中心を担っているイラク民衆抗議行動委員会のメーデーに向けたアピールです。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

今年のメーデーにあたって

イラク民衆抗議行動委員会 2011年4月27日

5月1日は全世界の労働者の日である。それは世界の労働者の連帯の日であり、世界は労働者なしには動かすことができないことを労働者が示す日である。今年の5月1日は中東における自由と幸福を要求する大衆蜂起を目撃しているのであり、その蜂起は腐敗した政権を打倒し他の政権に脅威を与え、中東地域と世界の政治的力関係を変えてしまった。これらの蜂起の中で労働者は自らの要求を獲得する上で主要な役割を果たしたのである。

この8年間イラクでは労働者の団結権や抗議権は否定されてきた。これらの権利は前政権下で禁止され、それが新しい「民主主義の」イラクにも持ち越されているのである。国際通貨基金や世界銀行はイラク政府が政府補助金による主要な事業を中断してその民営化に道を開く計画を作り上げた。そこには、もしも実施されたら数十万人の労働者をレイオフする計画が入っている。この計画に加えて、世界銀行とIMFはイラク政府に対して食料配給券に示されている品目数を削除するか削減し、ガソリン価格への政府補助をやめ、労働者の賃金を凍結し、教育と医療を民営化しろと命令した。

その上、宗派主義諸党派によって実行されている殺人と虐殺は職場の労働者の命を奪うのを全く止めていない。さらに、これらの諸党派は宗派に基づいた労働者連合体や労働組合を設立して労働者の分裂を生み出している。彼らがそうするのは、腐敗した内閣を打倒し1927年の労働法のような新しい労働法を押しつけることで20世紀前半のイラクの政治史を牽引したのが労働運動であったからである。

今日では、イラクと中東におけるこの革命的情勢のただ中にあって、イラクの労働者はこうした重荷から社会を救い出すという仕事を実行している。どの要求を実現するためのあらゆる歩みも労働者だけではなくイラク社会全体にとっての決定的な獲得物である。

今年の5月1日は、占領軍による経済・政治政策を拒否する日に、あらゆる種類の汚職を拒否する日に、イラクの幾百万人もの人々の貧困化を拒否する日に、でたらめな逮捕や秘密刑務所や拷問を拒否する日に、憎むべき宗派別の政治権力分有を拒否する日にしよう。

メーデー万歳

2011年4月27日水曜日

リビヤに撃ち込まれた劣化ウラン弾

米軍、英国軍、フランス軍がリビヤに撃ち込んだ爆弾、巡航ミサイルは全てウラニウム兵器(DU=劣化ウラン弾)だった!


DUを作り出すのは原子力発電所です。米、英、仏軍は福島原発事故で日本の市民に放射能が襲いかかっているその真っ最中に、原発から作り出されたDU兵器を大量に使用したのです。アフガニスタン、イラク、そしてリビアへと、DUによる放射能被害は広がったことは確実です。

この一言を見てもリビヤ攻撃はリビア民衆のためにやっているのではないことが分かります。

DUと原発は世界と日本の民衆の共通の敵です。即時廃止を要求しましょう。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

劣化ウラン:リビヤ市民を守る奇妙な方法

デビッド・ウィルソン ストップ戦争連合  2011年4月16日

http://www.sott.net/articles/show/226335-Depleted-Uranium-A-Strange-Way-To-Protect-Libyan-Civilians
http://www.uslaboragainstwar.org/article.php?id=23986

「[劣化ウランを先端に取り付けたミサイルは]あらゆる点で汚い爆弾であるという表現が当てはまる…。多数の人々を殺害するためには完璧な兵器だろう。」―マリオン・ファルク、米国カリフォルニア州、ローレンス・リバモア国立研究所[1952年に核兵器の研究開発を目的として設立]の化学物理学者(退職) リビヤ攻撃の最初の24時間に、米軍のB-2[米空軍のステルス戦略爆撃機]は45発の2000ポンド爆弾を投下した[2000ポンドは約1トン]。これらの大型爆弾は、英国とフランスの飛行機や船舶から発射された巡航ミサイルと共に、全て劣化ウラン(DU)の弾頭を持っていたのである。 DUはウラニウム鉱石の濃縮の工程から生み出される廃棄物である。それは核兵器と原子炉の中で使用される。密度が鉛の1.7倍という非常に重い物質であるために、装甲車や建物を貫通する能力を持つことで軍隊によって高く評価されている。DUの弾頭で作られた兵器が戦車の側面のような堅い物体に当たった時、中をまっすぐに突き抜けて、それから燃え上がる蒸気の雲となって吹き上がる。蒸気は毒性を持つだけで・u桙ネく放射性を持つほこりとなって積もる。 着弾したDUミサイルは摂氏1万度で燃える。目標に命中したときに、30%はばらばらになり破片となる。残りの70%は蒸発してウラニウム酸化物などの強い毒性を持つ3つの酸化物になる。この黒いちりは空中に浮遊したまま残り、風や天候によっては大変な距離を移動することが可能である。イラクやリビヤが遙かに遠いと思っていたとしても、チェルノブイリの放射能はウェールズに到達したことを思い出そう。
直径5ミクロン以下の粒子はたやすく吸引され何年にもわたって肺や他の臓器の中に残るかも知れない。国際化されたDUは腎臓の損傷や、肺や骨のガンや、皮膚疾患や、認知症や、染色体の損傷や、免疫不全症候群や、ひどい腎臓病や腸疾患を引き起こす。DUに被曝した妊娠女性は遺伝子欠損を持つ赤ん坊を生むかも知れない。一旦ちりが気化すると、問題がすぐになくなるなどと期待してはならない。アルファ粒子の放出物として、DUは45億年の半減期を持っているのである。

イラクに対する「衝撃と畏怖」作戦の攻撃の時に、バグダッドだけでも1500発以上の爆弾とミサイルが投下された。セイモア・ハーシュは米軍の第三海兵隊航空団だけでも「50万トン以上の兵器」を投下したと主張している。その全てにDUの弾頭がついているのである。

アルジャジーラは侵攻した米軍はバグダッドの建物や家や街路や庭に200トンの放射性物質を撃ち込んだと報道した。クリスチャン・サイエンス・モニター誌の記者は米軍による激しい砲撃にさらされたバグダッド市の数地区にガイガーカウンターを持って行った。彼は居住地域が通常の1000倍から1900倍の放射線レベルにあることを発見した。人口2600万人のイラクに対して、米軍はイラク市民52人ごとに1トンの爆弾を、すなわち1人あたり40ポンド[約20kg]の火薬を投下したのである。 ウィリアム・ヘーグは、我々がリビヤにいるのは「市民と市民の住んでいる地域を守るため」だと言った。誰が、そして何が「守られ」ているのかをずっと先まで探す必要はない、というのである。 あの最初の24時間で「連合軍」はDUを弾頭にした武器に1億ポンド[約140億円]も費やした。ヨーロッパ連合の軍備管理報告は、EU加盟国が2009年にリビヤに2億9320万ポンド[約430億円]の兵器と兵器システムを販売する許可を発行したと述べている。英国はリビヤに対する2170万ポンド[約30億円]相当の兵器を販売するための武器販売会・u梹ミの許可証を発行し、リビアの第32旅団を訓練するためにSAS[英国空軍特殊部隊]を送るためにカダフィ大佐から支払いも受けている。

次の45億年の間に、ウィリアム・ヘーグは北アフリカで休日を送ることはない方に私は賭けるとしよう。

ルメイラ油田で闘う石油労働者

イラク最大のルメイラ油田で石油労働者が立ち上がっています。


ルメイラの石油労働者がバスラの英国石油(BP)本部前で集会を開催

アムジャド・アリ イラク自由会議 2011年4月14日

ルメイラの石油労働者が今日、バスラ州の英国石油(BP)本部前でデモを行い次の要求をした。
・南部石油会社の他の労働者と同額のボーナスを支給すること。
・南部石油会社がBPと契約する前と同様に労働時間を週30時間にすること。

交渉のあと、労働者の代表は、要求が受けいれられなければ15日以内に労働者はストライキに突入して操業所を閉鎖すると書いた最後通告を会社の幹部に渡した。

2011年3月26日土曜日

リビアへの米国の軍事行動に反対 UFPJ

アメリカの反戦団体UFPJが米国の対リビア攻撃の停止を要求しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

今日ホワイトハウスに電話をかけよう-リビアでの米国の軍事行動をやめせよう

UFPJ(平和と正義のための連合) 2009年3月25日

平和と正義のための連合は。アメリカ合衆国のイラクにおける軍事行動と平和的な抗議行動に野蛮な弾圧を加えるためのリビア政府による暴力の行使を即時停止することを求める。我々は、戦闘を止め米国・西欧諸国の影響や国内の抑圧を受けることなく自らの運命の方向を決めるリビア国民の権利を実現することを目的とする交渉を呼びかける。

すでに8年間のイラク占領と世界で最も貧しい国の一つであるアフガニスタンで続く戦争に巻き込まれているのに、米国がリビアに介入する動機というものは全く疑わしい。

中東と北アフリカの諸地域を吹き抜けている心を揺さぶり息をのむような民衆の運動は自由を求める人間らしい欲求の打ち消しがたい表明である。チュニジアとエジプトの運動に鼓舞されて、何万人ものリビア人が街頭に出て抑圧的な政府であると見ているものに対して抗議行動を行った。平和的な抗議行動に集まった市民に対して暴力を使うというリビア政府の選択は人権の否定である。そして、人殺しの私兵や警察や軍隊を国家が組織して使うことでリビア政府の正当性を破壊している。その事が抗議行動を燃え上がらせ自己防衛の暴力を引き起こしたのである。

リビア政府と米国が主導する連合国のどちらも暴力とこの紛争で出るであろう市民の死に全面的な責任がある。両陣営の行動は死と被害を長引かせることになるだろう。リビア民衆のために暴力的敵対行為を即時停止しなければならない。

我々は米国政府がシリアやバーレーンやイエメンやサウジアラビアの民衆の運動を尊重するべきだと要求する。この地域の民衆は平和的な抗議行動に対する弾圧的な暴力に立ち向かっている。同じような抑圧行為に没頭している他の国々に対して外交的ないし公然とした圧力をほとんどかけてもいないのにリビアに対して軍事作戦を行うというのはせいぜいのところ偽善にすぎない。

これらの諸国の民衆の運動の自決権を本当に支持するために、オバマ政権は次のことをしなければならない。

リビアに対するあらゆる軍事行動を停止すること。

国際法と人権を尊重すること。

世界の武器取引の先頭に立っている国として、米国は全ての軍事援助と武器販売を止めなければならない。

これらの武器は世界中の多数の紛争の中で破壊的な勢力を燃え上がらせ犠牲者数を増大させる手助けをしている。その同じ武器が時にアメリカ兵士に対して使用されている。

秘密裏に行われているCIAの軍事行動をやめさせよう。

ホワイトハウスに今日電話をかけよう―202-456-1414

連帯して

UFPJ[平和と正義のための連合]

2011年3月20日日曜日

英国のリビア攻撃反対行動

イギリスのストップ戦争連合が3月20日のリビアへの軍事介入に反対するデモを呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

リビア緊急抗議行動

リビアから手を引け:空爆を今すぐやめろ

ストップ戦争連合

3月20日(日曜日) 午後3-4時

ダウニング街、ホワイトホール、ロンドン

英国と米国は100発以上のトマホーク巡航ミサイルでリビアを爆撃した。これらは精密誘導兵器ではないが大量破壊兵器でありリビアで多くの市民の犠牲者を出すだろう。

飛行禁止空域を承認した国連決議は、それが継続する限り、イラクに対する全面的な軍事攻撃を伴って始まっている。

ストップ戦争連合は、リビア民衆を守るのではなく欧米諸国の支配下で彼らを奴隷化することになるこの野蛮な攻撃を糾弾する。我々は帝国主義が中東地域の諸国民に持ち込んだ死と破壊をあまりにもよく知っている。

我々はすべての人がこの攻撃に反対し、3月20日の日曜日の午後3時にダウニング街でデモをするように呼びかける。

ストップ戦争連合の地域グループ

我々は全国のストップ戦争連合の全ての地域グループに自分の地域で抗議行動を呼びかけるように要請している。自分の住む地域で地域の抗議行動に参加したい場合は、最寄りのストップ戦争連合のグループに連絡していただきたい。

対リビア軍事介入の狙いは中東革命の圧殺

イギリスのストップ戦争連合がリビアへの軍事介入に反対するように呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

国連の対リビア決議の背後にある本当の理由

アンドリュー・マーレイ

ストップ戦争連合全国議長 2011年3月18日

ストップ戦争連合の全国呼びかけ人であるリンドゼイ・ジャーマンはBBCの番組ジェリミー・バイン・ショーで欧米による軍事介入に反対であると主張している。

中東での新たな戦争が布告されたのだ。イラクとアフガニスタンの血にまみれ失敗しつつある占領がいまだに行われているのに、米国と、英国と、フランスは今、リビアに対する軍事介入の拡大を進めているのである。

リビアを攻撃して体制変革を押しつける決議は―それが国連決議の意味である―国連安全保障理事会によって承認されたかも知れない。しかしそれは自分の国民から自らを守るために欧米諸国の中東地域へのさらに深い関与を確保するのに必死となっているアラブ連盟の専制君主たちによってけしかけられたものである。それは過去10年以上にわたってアラブとイスラム世界全体で無差別の暴力を加えてきたのと同じ大国によって実行されるだろう。

「飛行禁止空域」の強制やリビア国防軍とカダフィの部隊に対する空襲や海軍による爆撃はリビアに平和をもたらすことも、リビアにおける紛争の解決にもならないだろう。

しかし、彼らはより多くの市民の命を犠牲にし、英国と世界に軍事介入を拡大させて、最後には少なくともリビアの一部分を占領する危険を冒すだろう。

カダフィ政権を賛美する人はほとんどいないのに、イラクの経験は、外部から「体制変革」を押しつけようとすることが危険なまでに無益なものであるということを強調している。それはまた真の民主主義と自由は空爆や外国による占領からは育たないということを思い起こさせる。

リビアを攻撃することと、ペルシャ湾の少数独裁諸国によるバーレーンへの介入[訳注:サウジアラビアなどの湾岸諸国の軍隊がバーレーンに進駐している]を支持して脅威にさらされている専制君主制を支える―米国第5艦隊の目と鼻の先で―ことは、同じ種類のことなのである。それらは、欧米諸国が最初に支配権を確保して次にアラブの革命を止め、中東地域のおける帝国主義権力の本質的な部分を残しておくという計画された試みを示している。

英国をカダフィ政権を倒す試みの先兵にしようというデビッド・キャメロン[現首相]の決定は、同じ政権をトニー・ブレアとゴードン・ブラウン[いずれも労働党時代の首相]が同じカダフィ政権を抱き込むことになったのと同じ考えによって導かれている―すなわちリビアの石油に対する英国の権益を確保するという願望である。

ストップ戦争連合はリビアに対して外部からの軍事介入を行ってはならないと確信する。アラブの革命を支持するにあたり、我々はアラブの革命は欧米諸国の軍事行動によって支持されることはなく、圧殺されるであろうと確信する。

我々は英国政府が中東から手を引く事を求め、リビアと中東の他のどの地域に対する軍事行動の全てに参加しないように要求する。我々は反戦運動が全国で運動を展開して、この戦争への滑走と英国の参戦を阻止し逆転させるように要請する。

USLAWが対リビア軍事介入に反対

リビアに対する米英、仏軍の攻撃が始まりました。アメリカのUSLAW(戦争に反対するアメリカ労働者の会)は飛行禁止空気記の設定をはじめあらゆる軍事介入に反対を呼びかけています。この声明は攻撃の始まる直前の3月16日のものです。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

リビアについてのUSLAWの声明―民主主義は飛行禁止空域によっては得られない

USLAW共同呼びかけ人 2011年3月16日

戦争に反対する米国労働者の会発表 2011年3月16日

民衆の民主主義の波が北アフリカ全体をとうとうと流れている。チュニジア、エジプト、リビア、バーレーン、イエメン、ヨルダン、アルジェリア、サウジ・アラビア、パレスチナ、イラン、そしてイラクで、幾百万もの人々が独裁政権を拒絶し、自らの権利を要求し、民主的な意思を擁護している。数十年間にわたる抑圧的で専制的な腐敗した独裁的支配が続き野蛮な報復攻撃にしばしば直面したにもかかわらず、民衆は政府と世界に対して、自治と、民主主義と、主権と、平和と、貧困の終焉を望んでいることはもはや拒否をされることはないと訴えているのである。

このことは米国政府を無様(ぶざま)な立場に置くこととなった。というのも、そうした支配者に対して、独裁支配を維持するために使用されてきた武器や飛行機や催涙弾や暴動鎮圧用装備や監視設備を提供したのがたいていは米国政府であったからである。米国の政策の徹底的な欺瞞性が暴露されつつある。

これまでのところオバマ政権は妥当な注意を払ってこの問題に取り組んできた。しかし、政策研究所のフィリス・ベニスは次のように警告している。

ネオコンの戦争屋どもと政府内外の自由主義的干渉主義者、それに議会内外の重要な反戦勢力をも含む強力な米国の世論がオバマ政権に対して市民を保護するためにリビアに飛行禁止空域を設定せよと要求している。

無用な流血を避け、はるかに強大なカダフィに忠実な軍隊に反対する民主勢力を守るためにできることは何でもするというのは、社会正義を主張する者の側に当然の存在する要求である。しかしリビアに飛行禁止空域を強制すれば、米国をかつて通った道に据えることになるだろう。その道はイラクにおいて20年間の禁輸を強制し、8年間にわたる戦争が続いて何十万人もの罪もない市民と4500人近い米国兵士の命を奪い、その他に数十万人もの人々を傷つけ、400万人以上のイラク人を住みかから追い出したのである。

チュニジアとエジプトでは抑圧的な政権が結局は民衆の圧倒的な意思の前に屈した。どちらの国においても、労働運動が中心的な役割を演じて民衆蜂起を革命に変え、暴力的な衝突を長引かせることなく独裁政権が権力を放棄せざるを得なくすることに成功したのである。しかし、リビアではそういう事態にはならずに、ムアマール・カダフィ大佐の政権がかたくなに権力にしがみつき、野蛮な残酷さで対抗し、リビアを内戦に引き込んだ。

重要なことに軍隊の中の数部隊と幹部を含む政権内の一部がカダフィを見限って民衆の側に立った。しかし民衆レジスタンスの組織化は貧弱であり、中央司令部も統一指導部も持たず、そして重大なことであるが、戦車も大砲も、リビア空軍に対する防御も持っていない。

民衆レジスタンスの中には米国とNATO諸国に飛行禁止空域を設定するように要求している部分もある。これはいくつかの政府を含む欧米諸国の他の勢力から共感を受けている。しかし、リビア人は一致して、外国軍がリビアに介入することを明確に拒否している。

フィリス・ベニスは人権弁護士で野党のスポークスマンのアブデル・ハフィド・ゴーガが「我々はいかなる外国の介入にも反対している。…この革命はリビア民衆自身によってやり遂げられるだろう。」と明言していることを報告している。そして政権を離脱して野党勢力の指導者になったリビアのアフマド・ガトロニ将軍は米国に対して「米国民を守りなさい。我々は自分のことは自分でできる。」と説得したのである。

思い起こすだけの価値があることであるが、米国はまた、サダム・フセインの軍隊を武装させ装備を与えて、イラクに対イランの決着を付けさせようとして、50万人以上の生命を奪った互いに破滅的な8年間の戦争にこの2つの国を引き込んだのである。ソビエトによる占領に対してアフガニスタンのムジャヒディーン・ゲリラを武装させたのも米国であった。そうしたゲリラ勢力のいくつかの部分が後にアル・カイダやタリバンとして再構成されたのである。そしてその事がどこにたどり着いたのかは我々みんなが知っている!

リビアに飛行禁止空域を設定して強制する軍事手段を米国が持っていることは疑いのないことであるが、ゲーツ国防長官は飛行禁止空域を成功させる前提条件としてリビア空軍に軍事攻撃をかける必要があると言っているのであり、そうなれば国際法の下での戦争行為を構成することになる。それはまた必然的に生まれる米国の犠牲者は言うに及ばず、数えられないほどの市民の死を結果として招くだろう。そしてアラブの国家の新たな紛争のまっただ中に米国を投げ入れて、中東全域と全世界ではるかに大きな怒りを巻き起こすだろう。

飛行禁止空域が設定されたとしても、装備の整ったリビア軍は大砲と戦車と他の重火器を使って、軽武装で組織化が貧弱な、大部分が訓練も受けていない民衆レジスタンス部隊を圧倒するという可能性は完全にある。そうなれば、米国は反カダフィ革命の敗北を防ぐために地上部隊を投入する必要にかられるだろう。

ウェスリー・クラーク退役大将は軍事介入について1、2のことを学んだ。ワシントンポスト紙の長文の論文(3月12日)で、彼はベトナム戦争以来の米軍の介入の記録を列挙した。

リビアの飛行禁止空域は最初は簡単に進むように見えるかも知れないが、もしもカダフィが進み続ければ、空爆と、爆撃と地上部隊の拡大、すなわちすでに過剰な部隊をもっと乱用することになる。

飛行禁止空域にどれほどの資源をつぎ込んだとしても、おそらく少なすぎるし、遅すぎるだろう。我々は、そんなことを言うために身を運ぶようなことは全くできないとしても、またもやイスラム教徒の土地で体制変更を押しつけるために米国軍を派遣するのだ。介入が成功するための基本的な条件は単に存在しないし、少なくとも存在したためしがないということを認めよう。米国は明確に表明された目的も、法的な権限も、関係する国際社会の支持も、現場の十分な軍事能力も持っていないし、リビアの政治は明確な結果を予兆させることは困難である。

我々は米国の介入の長い歴史の教訓から学ぶべきであった。我々はリビアに過去の過ちの復習科を提供してもらう必要はない。

フィリス・ベニスは自身の評論を以下の助言で結論づけている。:

リビアの将来と現在中東全域で進んでいる民主主義革命の多くの行く末はどうなるか分からない。オバマ政権とペンタゴンと戦争屋どもと米国の政策決定の支配層が米国の「国家利益」を石油が豊かで戦略的重要地域にある諸国と地域を米国が継続して支配することであると規定するなら、ワシントンは孤立化と敵意と高まるテロと憎悪に直面するだろう。

北アメリカと中東を吹き抜けた民主主義革命のプロセスはすでに長期間行き詰まっていた地域を変えてしまった。この地域の諸国民は自分の国の軍事力を大きなものにするのではなくより小さなものにすることを期待している。今こそ米国の政策がこの現実を認めるべき時である。リビアにおける飛行禁止空域にノーの声を上げることはオバマ政権が新たに民主化が進む中東において米国の新しい非軍事化した21世紀の米国の政策を作り上げるプロセスを始めるためにオバマ政権ができる最上のことである。

社会正義を求める運動の中で、抑圧的な独裁を打倒することを求める困窮した人々を支援したいと思うのは当然のことである。しかし、一時の衝動に駆られた善意だけでは適切な政策を作る基礎にはならないものである。

世界の民主勢力に私たちが提供できる最大の支援は、世界の警察官や、世界のいじめっ子や、米国政府の命令を実行したがるあらゆる専制君主や独裁者や暴君や独裁政権に対する武器商人としての役割を終わらせることである。

米国政府が世界の超大国を演じながら現在浪費している資源は雇用の創出や社会安全ネットの再建や米国内と世界の人々の膨大な要求に応えるために投資されなければならない。

2011年3月17日木曜日

IVAWの3月19日デモの呼びかけ

IVAWが3月19日のイラク侵略8周年にウィスコンシン州労働者の闘いに連帯してウィスコンシン州の州都マディソンのデモに参加しようと呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

行動の呼びかけ―連帯して立ち上がろう 3月19日:ウィスコンシン州マディソン

戦争に反対するイラク帰還兵の会は全ての帰還兵と平和団体に、米国が先導したイラク侵略8周年の3月19日にウィスコンシン州マディソンに結集して、自らの権利のために組織化をしている労働者に連帯して立ち上がろうと呼びかける。街頭ではAFLCIOや組合員や支援者が合流するだろう。

*午前10時 ライブラリー・モール ウィスコンシン州マディソン、ステート・ストリート750

*午前11時 州議会議事堂に向かってステート・ストリートをデモ行進し、南北戦争記念碑で止まる

*州議会議事堂で正午の集会と演説。ウィスコンシン州AFL―CIOや他の労働組合が参加―キング・ストリート入り口

スコット・ウォーカー州知事が最近、団体交渉の権利を帳消しにしようという策略をおこなったために、ウィスコンシン州の労働者は、ゼネラルストライキの可能性を検討しながら、抵抗を続けようと呼びかけている。スコット・ウォーカーはこの結集を鎮圧するために州兵を導入すると脅迫した。帰還兵として、我々はウィスコンシン州兵の兄弟姉妹たちにどんな動員命令にも拒否し抵抗するように呼びかける。我々は、兵士は人民のための働き手であると確信している。州兵として勤務している者も多い教員や医療関係者や消防士や警察官やその他の政府職員に対して兵士を配備するなどとほのめかすのは恥ずべき事である。ウィスコンシン州兵は、1世紀以上前に1日8時間労働を要求して闘う労働者を鎮圧するために送り込まれた。我々の兄弟姉妹たちが、自分で選択肢を持っていて、ウィスコンシン州の勤労人民と共に立ち上がることによって、今回は歴史の正しい側に向かうことができるのだということを知ることが極めて重要である。

イラクとアフガニスタンの戦争の帰還兵として、我々は労働者として労働組合員として自らの権利を守るために全米で結集をしている何十万人もの労働者と連帯して立ち上がる。中東を吹き抜けた抵抗闘争の波は、民主主義とは米軍の介入によって送り届けられるものではなく、自らの町で、都市で、国で、民衆によって勝ち取り闘われるものであることを示している。

アフガニスタンでのほぼ10年間とイラクでの8年間の戦争はこれらの国の人々と、また軍隊の我々の兄弟姉妹にも、死とトラウマをもたらしただけである。その一方で、教育や帰還兵の年金や医療といった公共財がむしばまれ、社会を機能させている労働者本人たちに全面的な政治攻撃がかけられている。スコット・ウォーカーとウィスコンシン州議会の共和党議員団は、ウィスコンシン州民に隠れて公共部門の労働者の団体交渉権を帳消しにした。財政危機を装って、全米のあれこれの政治家が苦労して獲得した米国民衆の労働組合の権利を無効にしてしまおうとしている。しかしながら、この同じ政治家たちが現在進行中のイラクとアフガニスタンの戦争の資金を出すために勤労人民のポケットの奥深くに手を突っ込み続け、その一方で我々の息子や娘、兄弟姉妹を勤労人民と闘わせるために送り出しているのである。今や我々は、海外での終わりのない戦争と、国内の我々の権利と公共財の浸食の間の点を結びつけ始める時である。

ウィスコンシン州の勤労民衆に連帯して立ち上がり、労働者に敵対する動員を拒否しようと州兵に呼びかけるにあたり、我々は退役軍人団体と反戦運動が我々に合流するようにと呼びかける。米国が先導したイラク侵略8周年に、我々はイラクとアフガニスタン民衆に対する戦争を終わらせ、ウィスコンシン州の勤労民衆に対する戦争を終わらせろと要求するにあたり、我々に合流しよう。

ウィスコンシン州 戦争に反対するイラク帰還兵の会

IVAWがウィスコンシン州労働者に連帯

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵の会)がウィスコンシン州の労働者の闘いへの支持・連帯を訴えています。州兵に労働者への弾圧拒否を呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

我々も人民のための働き手だ!

戦争に反対するイラク帰還兵の会(IVAW)は全ての米軍現役兵士に対して、労働者の基本的権利を守るための組織化に反対するいかなる動員に対しても拒否し抵抗するように呼びかける。IVAWは自らの労働組合を守るためにウィスコンシン州マディソンや他の多くの都市に集まっている群衆に連帯する。

戦争に反対するイラク帰還兵から兵士たちへ:「我々も人民のための働き手だ!」

我々は現役兵士もまた人民のための働き手であると確信している。兵士が教員や医療従事者や消防士や警察官や、その多くが自ら州兵の勤務をしている他の政府職員に対峙して配備に就かなければならないと提案するのは不名誉なことである。

軍隊での勤務を前歴に持つ労働者が公的部門の仕事を求めることが多いのは、政府機関が、法律上の問題として帰還兵を優先雇用する例にならう唯一の雇用者であるからである。アーミー・タイムズ紙によると、イラクとアフガニスタンからの帰還兵の失業率は15.2%で、全米平均より高い。2倍近い失業率に直面しているアフリカ系アメリカ人の帰還兵にとってはさらにはるかに悪い状況である。公共部門の労働組合の労働者の権利を守ることは、生活できる賃金と充実した社会給付金を得てまともな仕事を確保する機会を帰還兵が確実に持てるようにすることなのである。

ウィスコンシン州のマディソンは公共部門の労働組合と彼らをこれから何十年間も雇用する政府の間の関係をおそらく規定するであろう闘いの出発点である。それは1980年の航空管制官組合(PATCO)のストライキを連邦政府が敗北させたのと似ているのであり、それは実質賃金と社会給付と民間部門労働者の組合員数が30年間にわたり減少するようになったその始まりを示すものであった。今日マディソンで起こっている事は、全米の地方政府が将来公的部門の労働者のまともな生活基準を破壊することができるかについて影響があるように見える。

スコット・ウォーカー州知事が最近、ウィスコンシンで組合たたきの州法を導入したあとに「労働者の反乱」に対応するために州兵を準備していると表明した。ウォーカー知事は州財政が不足していることを指摘することによって団体交渉に対するこの攻撃を正当化しようとしてきた。この説明から欠落しているのは、この赤字が現在進行しているイラクとアフガニスタンにおける兆ドル規模の戦争と占領によって作り出され悪化させられてきたということの認識である。その一方で、連邦政府と全米の地方政府は公共部門の削減を行っているのである。

軍隊は過去に置いては労働者のストライキや学園での抗議行動や都市部での民衆蜂起に敵対するために出動させられてきた。しかしながら、最近のエジプトでの事態と米国の歴史のおびただしい実例は、現役兵士は民衆の側に立ち、仲間の市民に対して暴力を行使するのを拒否する力を持っていることを示している。ウィスコンシン州マディソンに任務配置をされている兵士たちは、公共部門の労働者が本当の敵であるかどうかを判断しなければならないだろう。IVAWは、彼らは敵ではなく、兵士はまともな仕事と賃金と社会給付を要求して闘っている労働者を支持しなければならないと訴える。

米国軍はすでに10年間の戦争で限界を超えてしまっていると言うことを我々は直接知っている。健康回復作戦キャンペーンを通じて、我々は、米軍兵士がひどい肉体的精神的負傷を負ったまま心ならずも再配備されるのではなく治療をする権利のために闘ってきた。すでに負担をかけすぎた軍隊に、労働者の権利抑圧を目的とした新たな任務を付け加えることは、無責任であり、我々の任務にふさわしくないものである。

もしもあなたが動員に直面している現役兵士であるか、そのような米軍の中の誰かを知っているなら、IVAWに連絡をしていただきたい。

IVAW国際女性デー声明

IVAW(戦争に反対するイラク帰還兵の会)の国際女性デー声明です。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

国際女性デー―MST[軍隊内部の性的トラウマ]を生き延びた人々との連帯声明

3月は女性の歴史的な月であり、我々は女性の現役兵士と退役兵士が日々行っている貢献をたたえたい。本日、我々は、軍隊内部の性的トラウマ(MST)に対する誤った対処を糾弾する請願書に署名するようにIVAWの全会員に呼びかけることによって、国際女性デーを祝う。

我々はMSTが現役兵士と退役兵士全体に悪影響を与え、女性だけの問題ではないということを確信している。それは嫌がらせや虐待や攻撃のない環境で生活し仕事をするために人間として我々全員が持つ権利に関する問題である。あなたが退役兵士でこの確信を共有するなら、請願に署名することでMSTの中で生き延びた人たちへの支持を示していただきたい。我々は支持者に、「友人に語ろう」のページを見て、訴えを広げていただくように勧めたい。

2011年3月4日金曜日

IFCからの逮捕者釈放要求

サミール・アディルIFC(イラク自由会議)議長から、2/25行動の逮捕者釈放を訴えるアピールが届きました。


全ての自由を愛する勢力へ

イラクにおける2011年2月25日の前夜、マリキ政権の治安部隊が2011年2月25日のデモの主催者と活動家を逮捕しようともくろんで、凶暴な作戦を開始した。逮捕された人たちの中にはジャバール・アル・アサディ・イラク自由会議執行委員やバグダッドのアッシャーブ市の集会主催者の一人がいた。

イラクの留置所に入れられたジャバール・アル・アサディと彼の数百人の同志たちは、信頼される情報源から受け取った情報によると、最も邪悪な形態の拷問にさらされている。

我々は全世界の全ての自由を愛する人たちに、マリキ政権の行為を非難、糾弾し、拷問をやめさせ逮捕者を即時釈放させるキャンペーンを開始するように訴える。

サミール・アディル
イラク自由会議議長

イラク民衆抗議行動委員会調整者

2011年3月2日

2011年2月25日金曜日

IFC、サナテレビ、イラク青年学生連合への弾圧

IFCとサナテレビ、そして結成されたばかりのイラク青年学生連合に対する弾圧が続いています。マリキ政権に断固抗議しましょう。


治安警察隊がバグダッドのイラク自由会議のサナ衛星テレビの事務所を襲撃し、全ての機材を破壊した。

イラク自由会議   2011年2月23日

バグダッド時間の午後2:30頃、治安警察部隊がバグダッドのイラク自由会議のサナ衛星テレビの本部を襲撃し、事務所のありとあらゆる資材を破壊したばかりか、多数の文書を押収していった。

こうした攻撃が行われたのは、2011年2月20日の夜にデモ隊が警察と衝突して1人のデモ参加者が殺害されたというまさにその場面を撮影し記録したサナテレビによって多数のテレビ局がタハリール広場で起こった事態の場面を放送し、またタハリール広場で行われることになっているデモの組織化の支援にサナテレビが積極的に参加した後のことであった。

これがマリキ政権でありその抑圧行為なのだ。これがマリキが誇っている民主主義と表現の自由なのだ。マリキは彼に反対し批判する人たちを沈黙させるために自らの私兵を送り込み続けている。マリキはベン・アリやムバラクやカダフィのやってきた拷問行為と何の違いもない。

イラク自由会議は、闘いを続けてマリキと彼の傭兵の行為に屈服しないと断言し、2011年2月25日のデモはこの政府の行為がどんな野蛮なものになっても行進を続けると宣言する。

IFCは2011年2月25日の百万人デモ行進を全力で準備し闘い続けることを誓うものである

Anti Riot police raid the office of Iraq Freedom Congress satellite TV

(Sana) in Baghdad, and destroy all its equipment At around 2:30 am Baghdad time a group of anti riot police raided the headquarter of Iraq Freedom Congress satellite TV (Sana) in Baghdad and destroyed every single piece of equipment in the office as well as confiscating a number of documents.

These attacks occurred following broadcasting segments of events took place in Tahrir Square in Baghdad by a number of TV Channels via Sana TV who filmed and documented a particular segments in which protesters clashed with the police on the night of February 20th, 2011 and one protestor was killed as a result, as well as the active participation of Sana TV in assisting of organizing the forthcoming demonstrations in Tahrir Square.

This is the Maliki government and its repressive practices; this is the democracy and freedom of expression which Maliki's is bragging about. He continues sending his militias to silence his opponents and critics. He is no different than Ben Ali, Mubarak and Gaddafi in acts of torture.

Iraq Freedom Congress assert that it will carry on the fight and will not bow to the practices of Maliki and his mercenaries and vow that the demonstrations on February 25th, 2011 will continue the pace no matter how brutal this government practices is.

IFC pledges that it will continue organize and fight with full force in the million people march on February 25th, 2011.
Iraq Freedom Congress   February 23, 2011

プレス発表 【※アラビア語から英語への機械翻訳から】

サラハディーン州知事はサラハディーンのイラク自由会議の指導者を逮捕したことについて嘘をついている

イラク自由会議  2011年2月22日

ティクリートのカディシヤ地区の治安警察部隊が月曜日[2月21日]の夜にサラハディーン州のイラク自由会議の指導者の一人を逮捕した。彼の名はマフムードで、イラク青年学生連合の執行委員の一人である。

この逮捕の背景にあるのはサラハディーン州評議会にティクリート市での平和的なデモ行進の準備の申請を行ったことがある。このデモは、勝手気ままな逮捕をやめるといった基本的人権や秘密監獄の閉鎖や対テロ法の廃止や失業手当の給付や電気の供給や配給カードの改善といった事を要求するためのものであった。

デモ申請の受付をはっきりと受け取った後、デモ申請者と多数の指導的メンバーに対する攻撃がその日の夜に開始されたが、逮捕されたマフムードを除いて何とか逃がれることができた。

サラハディーン州評議会が人権基本法を危機にさらしただけでなく、サラハディン州知事はバグダッドニュースにあからさまなウソを語った。

イラク自由会議はサラハディーン州評議会のこの恥ずべき行為と準備された基本的人権の侵害を糾弾し、マフムードの即時釈放を要求する。

 同時に、サラハディーン州の評議会と州知事とサラハディーン州治安警察部隊はマフムードの身柄と安全に全面的な責任がある。イラク自由会議はマフムードの釈放のために可能なあらゆる手段を行使する。

そして、このような行為と弾圧戦術はIFCの行進を止めることも、イラクの進歩的な大衆がイラクに自由とパンと安全をもたらすことを止めることもできないと再確認するものである。

Press Release:

Governor of Salah al-Din Lying about the arrest of one of the leaders of Iraq Freedom Congress in Salah al-Din

I fell Monday night force of riot police in Tikrit area Qadisiyah to detain one of the leaders of Iraq Freedom Congress in Salah al-Din and his name (Mahmoud solid) and a member of the Executive Office of the Student Union and the Progressive Youth in Iraq. ?

The arrest came on the back of the application for approval of the Council of Salah ad Din province to organize a peaceful demonstration in the city of Tikrit, to demand the basic rights of the masses such as termination of arbitrary arrests and the closure of secret prisons and the abolition of the Terrorism Act and unemployment insurance and the provision of electricity and improve the ration card ..

After receipt of the request positively, launched in the night attack on the applicant and a number of leading the conference, but they managed to escape except the pure Mahmoud, who was placed under arrest.

That the Council of Salahuddin province, not only to compromise one of the fundamental laws of human rights, but shows the governor of Salah al-Din Al-Baghdadiya news of the arrest for lying blatantly.

The Iraq Freedom Congress condemn these shameful practices of the Council of Salahuddin province and prepared a flagrant violation of fundamental human rights and demands the release of (Mahmoud sincere) immediately.

At the same time, a provincial council and governor of Salahuddin and riot police in Salahuddin full responsibility for the safety and security (Mahmoud sincere).
The Iraq Freedom Congress will use all possible means for the release of (Mahmoud sincere).

And reaffirms that such practices and repressive tactics will not stop the march of the conference, nor liberal masses in Iraq to bring freedom and bread and security in Iraq.

Iraq Freedom Congress

22-2-2011

2011年2月21日月曜日

サナテレビへの弾圧<続報>

サミール・アディルIFC(イラク自由会議)議長から、IFCとサナテレビへの弾圧についての続報が送られてきました。


デモ隊に暴力を加え、撮影していたテレビカメラを奪い取るなど、これのどこが民主主義でしょうか?マリキ政権、イラク大使館に抗議の声を集中しましょう。

みなさんの尽力に感謝します。政府部隊はメディアがタハリール広場に入るのを妨害し、その後有刺鉄線を張って、タハリール広場の中のデモ参加者たちを攻撃しました。彼らは人々を押しのけ、腕やこぶしで殴打したのです。その後、サナテレビの事務所が入っているタハリール広場のデモの近くにあるビルの4階に行って、事務所のドアをこわし、サナテレビのスタッフを挑発しながら脅迫して、タハリール広場のデモ隊への襲撃を撮影したカメラを没収したのです。

連帯して

サミール・アディル

We appreciated for your efforts. The troops prevent the media enter Tahrir Square and after that put barbed wire and attack the demonstrators in Tahrir Square by pushing the people, hit them by hand and boxing. after that went some of them to the forth floor in the building near the demonstrators in Tahrir Square which Sana TV office inside it and broken the door of office and provoking the Sana TV staff, threaten them and confiscated the camera which photographed the assaulted on demonstrators in Tahrir Square by troops.

With solidarity

Samir

2011年2月19日土曜日

マリキ政権がサナテレビを弾圧

イラクの首都バグダッドのタハリール(解放)広場のデモに対してマリキ政権は弾圧を加えました。そして治安部隊がデモを取材したサナテレビの本部を襲撃、全ての機材を押収しました!

このマリキ傀儡政権による弾圧を許してはなりません。イラク政府に抗議し、IFC、サナテレビに連帯を表明しましょう。

IFCのメールアドレスは以下の通り
Iraq Freedom Congress
 ifcongress@gmail.com

(翻訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

プレス発表

政府部隊がタハリール広場のデモ隊を包囲してデモ参加者を殴打し、イラク自由会議のサナ衛星テレビを襲撃した。
イラク自由会議 2011年2月16日

バグダッドのタハリール(解放)広場でのデモが7日間続いた後、イラク政府の部隊がデモ参加者たちを包囲して、タハリール広場でのデモをやめるか、アブ・ナワス通り(デモ隊が集まっていたところから数キロ離れている)に集会を移動させるかどちらかを選べと通告してきた。デモ参加者たちがその要求を拒否した時、政府部隊はメディアが現場を取材するのを妨害し、デモ参加者を肉体的に攻撃し殴打し始め、同じ部隊がサナテレビの本部に進入してメンバーを脅迫し、デモの時に撮影されたビデオテープを回収しようとして、サナテレビの全ての機材を押収した。

イラク自由会議はこのような行動と弾圧行為を糾弾するにあたり、デモは自由を愛する全ての勢力と共に正当な要求が受け入れられるまで続くと断言するものである。

2011年2月6日日曜日

2011年1月 ブレアをイラク戦争検証委員会に再喚問

2011年1月21日、イギリスのイラク戦争検証委員会(チルコット委員会)はブレア元首相を再喚問しました。昨年の検証委員会の審問の場がブレアの侵略戦争に対するひどい居直り宣伝の場と化したことに対する厳しい批判の中で実現した再喚問です。


ストップ戦争連合はブレアを戦争犯罪法廷にかけることを要求しています。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争犯罪人のブレアは闇に紛れてイラク戦争検証委員会にこっそり入場

反戦運動の抗議行動参加者たちは、トニー・ブレアが2003年の違法な戦争を開始したのとにそっくりのやり方で闇に紛れてイラク戦争検証委員会に「こっそり入場」したあと怒りの非難の声を上げ始めた。

デイリー・メール紙 2011年1月21日

ブレア氏がウェストミンスターのQEⅠⅠ会議センターにこっそり入ったのは再喚問を受ける予定の2時間以上前であり、CND[核軍縮運動]やストップ戦争連合などのグループの抗議行動より相当前のことであった。

元首相が到着したのはまだ日が暗い時であった。

大勢の活動家が現れて、元首相をウソつきと呼ぶ横断幕を掲げ、「トニー・ブレアはハーグへ」とくりかえしたのであり、ハーグは戦争犯罪法廷が開かれている場所である。

一人の男性がトニー・ブレアのマスクを来て模造品の独房のドアに自分を手錠でかけて大喝采を仲間から受けた。

ストップ戦争連合のアンドリュー・マレー議長は言った。「またもやブレアは2003年の違法な戦争を開始したのとそっくりのやり方で闇に紛れてイラク戦争検証委員会にこっそり入場した。」

「願わくは今日この後ブレアはゴールドスミス卿によって受けた法律的助言について真実を語るように要請され、彼がいまだに秘密にしているブッシュに宛てた書簡の内容を公然と取り調べられるようにしてもらいたい。」

息子のショーン・ブリアリー伍長がイラクに配備直後に死んだピーター・ブリアリーは、ブレア氏が前回イラク戦争検証委員会に審問された時にやったのと同じように早い時間に到着して抗議行動に立ちはだかられるのを避けたことには驚かない、と言った。

「彼がこの場では適切な審問を受けることがないのは、自分の選んだどの時間にでも退出することができるからだ。彼は適切な裁判にかからなければならないし、法廷弁護士や法律家から審問を受けなければならない。彼は戦争犯罪人なのだから強制捜査を受けなければならない。彼は私の息子を殺したのだから私は彼が裁判にかけられるまで運動を続ける。」

労働党のジェリミー・コービン下院議員(イズリントン北地区)はブレア氏とジョージ・ブッシュ前米国大統領の間で交わされた書簡が公開されないのは、「不名誉なこと」であると言った。

「この検証委員会に何らかの意味があるのなら、関係書類の全てが公開されなければならない。」

CNDのブルース・ケントは抗議行動参加者たちに言った。「トニー・ブレアはゲームは終わったと言うことを知らなければならない。体制派の仲間のメンバーが今や彼に背を向け始めているのだから。」

「彼がやったことは大惨事であり、彼は戦争の惨害から数世代を救おうとして導入されたとても壊れやすい構造に実際に2本の指を突き立てたのです。世界中の他のどれだけ多くの殺し屋や無法者が今、ブレアはうまく切り抜けられるだろうか、と言ってるとしても、我々もそうするだろうか?」

ストップ戦争連合創設者の一人のジョン・リーズはイラク戦争検証委員会はイラク戦争の真実には到達しない資金の無駄遣いであると言った。

ストップ戦争連合はブレア氏とブッシュ氏の全ての往復書簡が明らかにされる戦争犯罪法廷にブレア氏が出廷することを要求する声が高まっていると言った。

2010年 英国イラク戦争検証委員会へのストップ戦争連合の批判

昨年(2010年1月)のイギリス・イラク戦争検証委員会(チルコット委員会)のブレアの証言に対するストップ戦争連合の批判です。


ブレアがイラク侵略によって大量殺害を実行したことに対して完全に居直り、彼の戦争犯罪について何の追求もせずに検証委員会の場をブレアの居直りと侵略戦争正当化の演台にすることを容認したチルコット委員会も厳しく批判しています。

こうした反戦運動の批判と闘いがあったからこそ今年(2011年)1月のチルコット委員会へのブレア再喚問が実現したと言えるでしょう。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


審判:大失態であり恥辱であり完全な失敗
トニー・ブレアはイラク検証委員会から最も手ぬるい扱いを受ける

次から次へと出る論点に関して、イラク検証委員会はブレアの証言を問題にする意思も能力も全くないことが明らかになった。ブレアが退場する時に浴びせかけられたヤジが、体制派の頭の古い連中のこの哀れむべき委員会の前で一日中彼が経験した中で最もやっかいな反対意見であった。

ガーディアン紙 2010年1月30日

ブレアを牢獄へ

シューマス・マイルン(ジャーナリスト)

今朝の大失態は失敗へと変わった。次から次へと出た論点に関してチルコット検証委員会のメンバーはイラク戦争に関するトニー・ブレアの最も打撃の大きい告白や不明瞭やウソに対して問題にすること―あるいは見たところ確認することさえ―する意思も能力もないことが明らかになった。

大部分のイラク人が占領に反対し、必然的に起きる予想された武装抵抗を支持したという事実について、委員会の誰1人として前首相に対して追求しなかったのはなぜだろうか?それどころか、彼らはブレアが反論してそれが全て「外部的要因とアルカイダとイラン」のせいであると主張するのを許したのである。彼らはそのどちらもイラクに持ち込んだのがイラク侵攻であるということを覚えていないようでもあった。

ブレアがイラクの大量殺人はテロリストに責任があると主張した時、少なくとも最初の2年間における市民殺害の大部分は占領軍によって行われたのだと発言しようとは誰も考えなかったのである。

対イラク侵攻の影響がイギリスや他の場所にかけられたテロ攻撃をあおり立てたことについてはどうだろうか?一言もなかったのである。そしてブレアがイラクにおいて「我々は人道上の大失敗に終わったのではない」と主張し、イラクの「顕著な」進歩ぶりを示す人々を誤らせる一連の統計を引用した時、委員会のメンバーは、国連が何と言おうと、それも喜んで受け入れたようである。

驚くべき証言があった。占領開始後には「残念ながら我々が問題になるだろうと考えたことは、問題ではなかった。」とブレアは言った。アルカイダとイランは「対イラク侵攻の任務をほとんど失敗させかけた」…しかし結局「そうはならなかった」とブレアは言明した。米軍が「あまりにも厳しく、あまりにも激しく」ファルージャにすでに突入していたというのである。いずれにしても、ブレアの大西洋を隔てた愛は彼が権力から去って以来深まっているのである。

検証委員会の報告に反論があるだろうと期待する人もいるかも知れない。しかし、破滅的な戦争犯罪に責任があると国内外で見なしている人が多い1人の男に対する当局の寛大ぶりの惨状には吐き気を催す。ジョン・チルコットはある時、占領の教訓は「高くついたが非常に必要なもの」だったと言った。その代価を実際に払った何百万人ものイラク人は全く違った見解を持っているのだ。

イラク検証委員会のブレア

ヘンリー・ポーター(小説家、ジャーナリスト)

正面のチルコットの前に現れたブレアの姿は炉端談義をしているみたいで、もっと穏やかなロンドンのクラブから来た委員会と対決するほどの困難さもなかった。

検証委員会のメンバーが、首相である時には正しいと信じることがほぼそのまま正しいことであるというけしからぬ考えや、判断を下すこと自体に決定的な価値があるという発想を実際に問題にすることはただの一度もなかったのである。
このことは―驚くことではないが―完全な失敗であり失態であった。この公聴会はチルコット委員会の報告がどんな結論を出そうとも、国民に対して、軍務についていた愛する人を失った人々やイラクの人々に対して、不満足感を与えた。審問団の歴史家―マーチン・ギルバート卿とローレンス・フリードマン卿である―と2、3回会話を交わした後は、十分に準備をしていたブレアにとってその後に続く6時間は汗を流す必要がないことは明白であった。すなわちそこに座って彼らに調子を合わせるだけの問題だったのであり、ブレアはそれを牽制と重要でない点での譲歩と誠実な政治家であるという外観を見せることによってやったのである。

午後になるまでに、検証委員会は2003年の侵略が2010年にもっと大きくなる危機から救ったのだとする彼の誤った世界観のための演台へと転落させられたのである。委員会はどうしてブレアにそんなことをうまくやらせることができたのだろうか?彼らは大量破壊兵器や、対イラク戦争の開戦理由として大量破壊兵器とサダムの打倒を混同した事や、ブレアが法律に関する意見を押さえ込んだことや、イラク侵攻後の計画を立てなかったことについての情報に基づいて厳密にブレアを審査するということをしなかった。委員会はブレアが後悔していないと表明した時に彼からどんな小さな後悔を引き出しもしなかったし、驚きの声を上げることもなかった。

ブレアが検証委員会から退場する時に浴びせかけられたヤジが、体制派の頭の古い連中のこの哀れむべき委員会の前で一日中彼が経験した中で最もやっかいな反対意見であった。

ハイファ・ザンガナ(小説家、イラクのサダム・フセイン政権時の元政治囚)

イラク戦争検証委員会でのトニー・ブレアの証言を見るのはひどく苦痛であった。ブレアは自らの経歴全体でそうであったと同じように口先のうまい人物であり、自らの「完全に明快な」見解を、選択肢がいかに全く明快な物であるか、そして「自らが正しい時には実行するのが正しいことだ。」と繰り返したのである。彼は自分のいつもの台本に従って、自分の演説の文章を読み上げたり、WMD[大量破壊兵器]について今やより強く感じている理由を長々と述べ立てたりして、イスラエルの武器庫については一切言及しないくせに「イランの危険性」について委員会を巧みに操ることが何とかできたのである。彼はとても独善的であり、私は彼が「イラク戦争について私を裁くのは神だろう。」と大声を上げて聖書を抱えて今にも立ち上がるだろう、という印象を受けた・

しかし、戦争犯罪人が自らの罪を認めることがどれくらいあるというのだろうか?彼は暖かく明かりの多いホールで家柄の良い人々と永遠に続くかも知れない学問的会話をしていたのである。大学生の方がもっと厳密な質問をしたことだろう。

バスラの62才になるおばあさんのサビハ・クドゥール・タリブは、彼女の息子によると、2006年に英国軍兵士によって自宅から連行された。拷問を受けた彼女の死体が英国軍の死体収容袋に入れて道ばたに投げ捨てられていた。英国警察が捜査中であると私たちは告げられている。ブレアも捜査を受けなければならないのではないのか?ブレアの尋問を、ブレアとブッシュによって始められたイラク人に対する尋問と比べるべきだ。

アブ・グレイブは「解放者」によって始められたテロ作戦の始まりに過ぎなかった。その遺産は、傭兵と米国・英国によって訓練を受けたイラク人警備部隊や、真夜中の家宅捜査や、下着のままで両手に手錠をかけられ頭に袋をかぶせられて闇の中に引っ張って行かれた人々が、後になって「間違いだった」と呼ばれるかも知れない申し立てについて拷問を受けることになるのだ。先月だけでもテロの容疑で2000人近いイラク人が逮捕されたのである。

ブレアの洗練された演技はイラク人やアラブ人やイスラム教徒にとっては現場で彼らが経験していること、すなわち人種差別的な植民地外交政策を立証しているに過ぎないのである。

この検証委員会は正義と国際法の再確立につながってこそ初めて意味がある。そうでなければ、増え続ける孤児たちが2,3年のうちにイラクと世界に何をするのかを想像できるだけである。最近の赤十字のレポートに引用されているが、ある人道活動家が「私はかつて一度爆発の現場に呼ばれたことがあります。そこでは4才の男の子が首を吹き飛ばされた母親の死体の横に座っていました。男の子はお母さんに話しかけて、『何があったの?』とたずねていました。」と語った。男の子は生きている人たちにも尋ね続けるだろう。現在の国連推計では、イラクの500万人の孤児が出た責任は英国と米国にあるとしている。今や、ブレアたちを民主的な選挙で二回選んだイギリス国民が、犠牲者への賠償をして、政府にイラクと世界に与えた打撃に対する責任を取らせる時である。

ジョージ・ギャロウェー下院議員
(ベスナルグリーン・アンド・ボー選出のリスペクト党下院議員)

悲しいことにこうやって彼は会場を支配し、質問されるのを避け、問題を追及された時に世論を欺くことを許されたのである。

イラクは侵略されてはならなかっただけではなく、経済制裁もされてはならなかったのである。それが今日の話からは完全に抜けていた。

ブレアは「要求に従うサダムの最後のチャンス」について話し続けるのを許されたが、イラクは違反をしていなかったし1994年以後も違反はしていなかった。ブレアは見えすいたウソを言うのを許され、検証委員会はウソを無視したのである。

イラクの重要な違反の理由の一つは、イラクがイラク国外で軍幹部を尋問することを武器査察官に認めよと要求する決議の条項をイラクが破ったことである、とブレアは言った。実際には、武器査察官が軍幹部をイラク国外に出るように要請する権限を決議は与えていたが、そのような要請は行われなかったのである。

だからイラクは拒否はできなかったし国連安保理決議1441条に違反することもできなかった。その事を知らなかったとしても、また知っていたとしても、検証委員会はこの問題でブレアに立ち向かう勇気がなかった―それはとてつもないウソである。

私たちに終わりはない。この連中に責任を取らせる運動は続いているし、総選挙へと続いていくことは疑いない。

ローズ・ジェントル
(彼女の19歳の息子のゴードンは2004年6月にイラクで殺された)

私が会場に入った時、体は震え、胃がむかついていたのは、彼に何も言えなかったからだ。私はこう言ってやりたかった。「真実を言え。なぜウソをつく?白状して自分は間違いを犯したと言ったらどうだ?」と。

最後の最後の部分は胸が悪くなった。ジョン・チルコット卿が後悔しているのか、と聞いても彼はしていない、と言った。そこには(家族を奪われた)家族がいたのに、一片の同情も一片のそれらしきものもなかったのである。耐え難いことだった。

彼はちょうど私たちに背を向けて座り、そのあと私たちに会うことも拒否したし、彼らしい態度だ。私は彼の姿を見ることができたが、彼の顔を見たかった。彼は私たちの方を決して見ようとはしなかった。

たくさんの良い質問が彼にされたが、実際には、どの質問にも彼は答えなかった。彼は問題を書類、すなわち調書に戻し続け、45分の大量破壊兵器の主張の責任をメディアのせいにしようとしさえした。

新しいことは何も知ることはなかったと思うし、検証委員会が終わってもできることは多くない。

私は彼を決して許さないし、彼は法廷に立たなければならないと確信している。私は一生彼に対して怒るだろう。

ローナン・ベネット(シナリオライター、小説家)

「私は自分の信じることしか知らない。」正直というものが常にブレアの最初から最後までの防衛線になってきた。彼が窮地に立っている時に、すなわちさらに悪いことに証言が誤りであることが明白になる時に、彼は誤りは免れないものだという人間一般に共通の性質を「あれ、おやっ?」と言って肩をすくめるという英国の公立高校版の仕草で認めるだろう。

フェルン・ブリットン[テレビのニュースキャスター]のインタビューなのか?自己卑下して、少し練習をしておいたジョークというのはコミュニケーションの前線においてはまだ何らかの学ぶところがある。

ローレンス・フリードマン卿がサダム・フセインが大量破壊兵器を持っていたと信じているのか、と聞いた時、ブレアはこう答えた。「私は信じていました。私は確かに信じていました。」彼は45分で大量破壊兵器が配備可能だと言うこと、経済制裁が機能していなかったこと、国連の2度目の決議が可能であること、戦争は合法的なものであること、恥知らずにも9・11事件とアルカイダとイラクを結びつけながら、イラクは脅威であったことを信じていたのだと彼は繰り返した。

正直が大きくなればそれだけ信じることも大きくなる。「彼の証言は、正しいことをしていると信じている人間のそれであった。」とBBCのニコラス・ウィッチェル記者が言った。我々はみな、その時には自分が正しいことをしていると信じた他の指導者たちのことが思い浮かぶ。そのかなり連中は極悪人であった。

英国の選挙で選ばれた指導者が信じていた唯一の点は、それが事実と合致するかどうかと言うことであった。信じていることが事実であるとなれば、自らの目的に合うどんな行動を取る道も開かれるからである。トニー・ブレアは一つの目的を持っていた。「第三の道」というたわ言のために、彼は論客になるのである。

幾万もの市民が死んだ戦争を始める権利を彼とブッシュが持っているのだという暗黙の前提は検証委員会を構成する男爵夫人やナイト爵や高官によっては疑問を出されることはなかった。ナセル?スエズ?モサデク?欧米諸国は常に自らの目的を正当化する方法を見いだすことができるのである。

在任期間中、ブレアは自分の分の支払いをいやがるので悪名高かった。彼は横の出口からすり抜けてヘッジファンドの友人の所に復帰した時、彼が爆撃をした国の人々は長期にわたって彼の正直さに対する勘定書を掲げ続けるだろう。

抗議行動参加者

トニー・ブレアの証言を聞いた聴衆の中の2人が、証言が終わった後で彼のことを「ウソつき」で「人殺し」だと言った。

何時間も聴衆は静かに聴いていた。しかし、終わり近くなって、彼は1人の発言妨害者に発言を中断させられたが、すぐに検証委員会議長のジョン・チルコット卿に制止された。テレビカメラが放映を止めた後、会場の聴衆の1人がブレアに対して叫んだ「お前は嘘つきだ。」2人目が付け加えた。「そして人殺しだ。」

イラクで殺された英国兵士の家族が元首相は「一人よがり」だったと言った。家族の一人はブレアが彼女の目を見て息子を亡くしたことに「申し訳ない」と言ってほしいと求めた。

バークシャーのリーディングのアンネ・ドナチーは2006年に狙撃兵によって18歳の息子のポールを殺害された。彼女はブレアを糾弾した。「今朝私が聞いた限りでは、彼は全てを否定しているだけです。彼は真実に面と向かうことさえしないでしょう。彼が私の息子をイラクに送った時、巨大な誤りをしたのに違いありません。」

北ウェールズのルランドゥドゥノのテレーズ・エバンスは2003年にチヌーク・ヘリコプターの事故で24歳の息子のリウェリンを失った。「私はトニー・ブレアに私の目を見て申し訳なかったと言ってほしいだけです。ところが彼はそんなことはしないであそこでニヤニヤ笑っているのです。」

その後、抗議行動参加者たちは「ブライアー[ウソつきブレア]」と書いたプラカードを握りしめてブレアが出発するのを待った。その朝ブレアは彼らを避けて午前7時30分に通用口を通ってウエストミンスターのQEⅠⅠセンターへと滑り込んでいた。

屋外の警察の隊列が抗議行動参加者と検証委員会の間に立った。

「彼は国民に顔を見せに来る誠実さもない。」とストップ戦争連合の呼びかけ人のリンドゼー・ジャーマンが言った。「裏口からこっそり入り込むなどは、彼のウソと偽りと言い逃れの典型だ。」

2011年2月5日土曜日

IVAWの女性のドキュメンタリーがアカデミー賞候補に

IVAWの執行委員の女性であるロビン・マレーさんを題材とした37分のドキュメンタリー「ポスター・ガール」がアカデミー賞短編ドキュメンタリー部門の候補にノミネートされました。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

「ポスター・ガール」がアカデミー賞候補作に!
IVAWは映画監督のサラ・ネッソンとIVAW執行委員のロビン・マレーに第33回アカデミー賞候補の指名を受けたことを心から祝福する。「ポスター・ガール」は短編ドキュメンタリー部門の8つの最高の作品の一つである。

「ポスター・ガール」は「感動的な生のドキュメンタリーであり、自己発見と贖罪[しょくざい]の旅に出発するロビンの2年間を追っていき、美術と詩を使って彼女の人生を再定義する。」

我々はアカデミー賞のウェッブサイトを訪問してあなたのフェースブックのログインを使って、あなたの「好み」の映画だと選考委員会に教えることで彼らへの支援を示すようにみなさんに勧める。

また、2月1日午後3時にIFCセンターでのニューヨーク市の封切り上映に行くこともできる。上映の後にはサラとロビンのトークバック[上演のあと聴衆の感想を聞き,監督や出演者が新しいヒントを得ようとする試み]が行われる。

映画のあらすじ:

「ポスターガール」はロブン・マレーの物語であり、彼女は全米の高校代表のチアリーダーであったのが、アーミー・マガジン[米軍協会が出版]の全景写真で有名になった戦場の女性の「ポスター・ガール」になった。今はイラクから帰国して、彼女の頑健な姿は崩れ始めて、外傷性ストレス障害(PTSD)の身体を衰弱させる影響と格闘することとなった。

初の監督となったサラ・ネッソンの撮影と監督によって、「ポスター・ガール」は感動的な生のドキュメンタリーであり、自己発見と贖罪[しょくざい]の旅に出発するロビンの2年間を追っていき、美術と詩を使って彼女の人生を再定義する。

IVAWがオバマの一般教書演説を批判

IVAWがオバマの一般教書演説を批判しています。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
帰還兵士は大統領が現実を把握していないと見ている

オバマ大統領の昨夜の一般教書演説は軍服の男女の貢献を賞賛し、帰還兵士に必要な待遇を約束した。しかし演説は、大統領が帰還兵士に直面している厳しい現実を把握しておらず、彼らの必要なものに対処する計画を作成していないことを示した。戦争に反対するイラク帰還兵の会(IVAW)は大統領が無視した帰還兵の必要なものに対応するという戦争の人的、財政的損失を削減する勇敢な決意を持ったイラクとアフガニスタンの帰還兵の声を代弁する。

オバマ大統領はアフガニスタンとイラクの戦争が米軍と経済に対してむき出しにしている大変な犠牲を全く過小に語った。アフガニスタン戦争は今や米国史上最長の戦争である。米軍の医療経費は全米平均の2倍の割合で急増し、ペンタゴン[米国防総省]の予算の主要な額を占めている(USAトゥデー紙 2010年4月25日)。2009年は、記録が付け始められて以来、精神性医療疾患が入院の主要な要因となった最初の年となったのであり(USAトゥデー紙2010年5月16日)、それはすなわち複合トラウマの不気味な象徴である。オバマは演説の中で帰還兵士が「頭を高く上げて」帰国していると述べたが、それは記録的な自殺率の中には反映されない作り話である。
「オバマ大統領、あなたは、我々の兄弟姉妹が受けるべき治療を受けていないために苦しみ自殺するのを見ている時に、我々が頭を高く上げていると本当に思っているのですか?兵士たちは長い拍手の中断以上に、人間らしい治療を受ける必要があるのです。」とイラクに2回派兵された帰還兵士であるIVAWのマギー・マーチンは言った。

IVAWの帰還兵士たちは10月に開始された、トラウマにかかっている兵士を戦場に再配備しようという米軍が広範囲にやっている行為を終わらせるために健康回復作戦の運動の先頭に立っている。

「兵士は以前の実戦配備中に受けた傷の治療を受けることもなく実戦に再配備せざるを得ない。軍隊内の性に関する被害のトラウマ、外傷性ストレス障害、外傷性脳負傷が結果として無制限に増大していて、それは人的にも財政的にもその損害は受け入れられないものである。」と米国陸軍で14年間軍務につき、現在は戦争に反対するイラク帰還兵の事務局長であるホセ・バスケスが語った。
失業は多種多様な再配備と不十分な治療によるもう一つの高い損失である。労働統計局の1月発表の報告では最近の帰還兵はほぼ12パーセント―すなわち全米平均より2.3%高い失業率であることを示している。戦闘中に受けた精神的肉体的負傷は帰還兵士が就職先を見つけ自らの仕事を開始するのをより困難にしている。

「大統領はアフガニスタンからの撤退が7月に始まると言ったが、撤退はいつ終了するのだろうか?全ての兵士を即時帰国させ、彼らの得た治療に資金を投入しよう」とイラク戦争帰還兵士でIVAWメンバーのザック・チャオテが言った。

IFCがエジプトの民衆蜂起を支持

IFC(イラク自由会議)がエジプトの民衆蜂起を支持する声明を出しました。さらにIFCはバグダッドのエジプト大使館に対するデモも呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

自由と平等のために闘うエジプト民衆万歳

イラク自由会議 2011年2月1日

現在1週間以上にわたって、エジプトの政権はエジプト国民の大衆的蜂起に打撃を受けてぐらついている。それは腐りきった汚職とエジプト国民の富の横領にどっぷりとつかった政権であり、中東地域の長年にわたる反動の牙城の一つと見なされている政権であり、アメリカ合衆国とイスラエルと欧米諸国によって無条件に支えられ、抑圧と逮捕と死刑と暗殺と戒厳令によって国際通貨基金と世界銀行の支配を押しつけてきた政権である。

それはエジプト国民の貧困化の原因となった政権であり、エジプトでは200万人の子どもがホームレスであり、人口の3分の1が貧困線以下であり、数百万人がゴミ捨て場で暮らしているのはもちろん、25万人以上の人たちが墓場で暮らしているのである。

それは新世界秩序に始まり全中東構想やイラク占領に至る米国の反動的な政策を擁護し輸出する港にエジプトを変えてしまった政権である。

米国政府は貧困と困窮をもたらした独裁政権がドミノのように倒れていくのを注視しながら、この変化がもたらすだろう事態を恐れている。米国政府とイスラエルと欧米諸国は中東地域における自らの権益と影響力を維持するためにエジプトの政権から救い出せるだけ救い出そうとしている。そのために、彼らはこの蜂起の姿をゆがめようとして、偉大なエジプト国民の蜂起をイスラエルと中東の安全の脅威になるだろうイスラム主義者の蜂起だと描きだそうとしているが、実際にはこれは貧困化し飢えた民衆の反乱であり、自由と平等を求める蜂起なのである。米国政府はそのような試みをすることでエジプト国民によってこれを最後に追い出されるであろうエジプトの政権を守り続けるのを正当化することを狙っているのである。

エジプトで起こっている事態とヨルダンやイエメンやスーダンやアルジェリアなどの中東全体で連鎖的に起こっている抗議行動は、ありとあらゆる貧困と不公正と自由の抑圧に反対してチュニジアで火花を散らした火の継続であり、それは中東と世界を変える新しい段階を記しているのである。

イラク自由会議は、エジプト国民の蜂起もチュニジアの蜂起もイラクに殺し屋どもを連れてきた占領に反対する自らの闘いにとっての前進であると見ている。IFCはまた、エジプト国民とチュニジア国民の勝利はイラクと中東の全ての革命的な自由愛好勢力にとっての勝利であると見ている。IFCはエジプトの革命運動に対する支持と支援を表明するものである。

エジプトで自由のために亡くなった人々にあらゆる栄光あれ。

自由の象徴のタハリール[解放]広場万歳

エジプトの自由を愛する人々万歳

IFCがチュニジアの革命を支持

チュニジアのジャスミン革命を支持するIFC(イラク自由会議)の声明です。

アラビア語から英語への機械訳からの和訳です。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

自由とパンと幸福を最終的に実現するという目的を達成するまでチュニジア民衆の決起を支持する

 IFC(イラク自由会議) 2011年1月17日

1ヶ月以上前から、チュニジアの労働者、法律家、意思、知識人、あらゆる被抑圧階層、諸団体、労働組合、専門家、政治勢力、自由主義者が諸都市の街頭を選挙し、雇用機会を提供し、自由とより良き生活を開始することを求め、そうした要求を発展させて23年間にわたってチュニジア民衆の頭上に行使したあらゆる形態の政治的、経済的、社会的抑圧を生み出したジン・エル・アビディン・ベン・アリを打倒した。

あらゆる形態の抑圧と弾圧を基礎にしていたベン・アリの体制は欧米諸国、特に米国とフランスの支援がなければ権力にとどまることはできなかったのであるが、米国とフランスは自らの権益に対する脅威をおさえ阻止するためにインティファーダに決起した大衆への支持を競い、チュニジアの社会政治体制の根本に対する自由主義者と穏健派の目的を歪曲しようと活動している。

民衆蜂起が最初に火花を飛ばして以来世界のメディアが相変わらず黙殺しようとしたことはこの闘いを妨害をしようとする無駄な努力であった。

世界の自由主義諸国からどんな形態の支援も受けることが無い一方で、ベン・アリ政権による野蛮な弾圧に道を開いてきたベン・アリ政権に劣らず腐敗した野蛮な体制によって支配されている国々は、革命的な蜂起の精神が入ってくることを恐れて、大衆と対話をすることを期待しているのであるが、アラブ世界と中東地域ではそのような期待は破綻した。

ジャスミン革命と呼んだチュニジアの大衆蜂起の洪水が可能となった第一歩として、体制の頭目(ベン・アリ)を追い出し、彼はサウジ・アラビアに逃亡した。しかし、チュニジアの自由獲得のための大衆の闘いの動きを維持して支配政党であるベン・アリの政党に支配を許さないという最終的な目標を達成する活動が政府に支配政党が入ることに反対するチュニジアの諸都市の大衆の今日のデモで表明されたのであり、この最終目標を達成するために全世界の大衆と進歩勢力の支持が必要である。

イラク自由会議はチュニジアの民衆蜂起であるジャスミン革命、インティファーダ、自由のパンを支持し、自由で平等で豊かな世界を獲得するために前進するように呼びかける。
同時に、イラクの自由勢力の全ての大衆と革命勢力に公正な政治制度を確立するというチュニジア民衆の要求をジャスミン革命が達成するまでこの決起を支持することを訴える。すなわち、社会的な自由と平等と幸福を達成しより良い世界を獲得することである。