2010年11月27日土曜日

挑戦する女は原理主義者に沈黙しない-マラライ・ジョヤ

アフガニスタンで占領とカルザイ政権、イスラム政治勢力に反対する活動家マラライ・ジョヤの記事です。(オーストラリアの新聞に掲載)

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

大胆な女性は軍閥や原理主義者に沈黙させられない
アンドレー・ホーリン
シドニー・モーニング・ヘラルド紙 2010年11月18日

マラライ・ジョヤを沈黙させようとした人々は数多い。彼女が最年少の選出議員としてアフガニスタン国会で発言した時、マイクの電源が切られた。それで彼女をやめさせられないとなると、同僚の国会議員たちが彼女を追い出してしまった。

彼女は4回の暗殺未遂から生き延びているが、今でも声を上げ、軍閥とハミド・カルザイ政権の「犯罪たち」とタリバンのテロリストと占領軍を糾弾している。

誰かが再び黙らせようとするならば知っていることは全て話さなければならないかのように、32歳のジョヤから言葉が大急ぎであふれ出てくる。

シドニーの民主主義の活動家や女性の権利要求の運動家は、断固たるメッセージを発することになる。:「民主主義は戦争によっても、占領によっても、クラスター爆弾によっても、白リン弾によっても、絶対にやってこない」と彼女の言うのである。

彼女は戦う敵が一つ減るので外国軍がアフガニスタンから出て行くことを求めている。「私たちは2つの敵に挟み撃ちになっているのです。一方にはタリバンと軍閥がいて、もう一方には外国軍がいるのです。」と彼女は言う。

「米国とNATOによる9年間の占領の間に8000人以上の罪もない市民が殺され、それがオバマによるアフガン派兵拡大の下で急激に増加しています。アヘンの生産が再びさかんになり、女子や女性に予告されていた前進は偽物です。」と彼女は言っている。

「大部分の州の状況はタリバン支配下と同じように破滅的です。」「占領を正当化するために大都市で2、3の学校が建設されましたが、地方の状況は女性にとってはジャングルの掟なのです。」と彼女は言う。

彼女の持ってきたアルバムの中は、大部分が傷ついた市民の衝撃的な写真であるが、現代的な服装をした1960年代のさっそうと外出しているアフガニスタンの女性の写真も入っている。「今日では女性は禁じられたことをやったと疑われて公衆の面前でムチを打たれ、石を投げつけられ、撃ち殺されているのです、そしてレイプ事件が激増しています。」と彼女は言った。

「これは民主主義の戯画です。」と彼女は言った。

彼女は確固としてカルザイ政権を批判し、最近カルザイ政権が穏健派のタリバーンに提案を行ったことを「一つのテログループがもう一つのテログループに政府に入るようにと招待しています。彼らは両方とも女性を嫌悪する連中なのです。」見ている。

ジョヤはロシアのアフガニスタン侵攻の4日後に生まれた。彼女の家族は1982年にパキスタンに逃れ、彼女はそこで難民キャンプの学校に通った。彼女はソビエトが撤退した時に帰国して、タリバン支配下で秘密の地下室の学校で少女たちを教えた。

彼女は2005年のアフガニスタン国民議会に当選したが2年後に追放された。彼女が最近の選挙に立候補しないと決めたのは、一つには命が危険にさらされる支援者を守るためでもあったが、「投票箱を通して積極的な変化をおこすという私が抱いていたいかなる希望もなくなってしまった」からでもある。

彼女はディーキン大学に「危機に立つ世界/いつもの仕事」の基調提案者として招待され、昨夜はシドニー協会で演説を行った。

「私はアフガニスタンのことを楽観しています。」と彼女は言った。

「私は悲観的なら、欧米に行って自分の人生を楽しみます。しかし、希望が生きている間は、どんなことでも可能なのです。」