2011年8月11日木曜日

米軍がまたもイラク市民を殺害

イラクで米軍がまたもや市民を殺害しました。この1週間で2回目です。今回は13年の少年とその父親が犠牲となりました。そして住民から略奪も…。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

襲撃でイラク市民が死亡、撤退協議は紛糾へ

マイケル・S.シュミット   ニューヨークタイムズ 2011年8月7日付
2011年8月6日

バグダッド―

1週間で2回目となったのだが、イラク軍・米軍合同の武装勢力を狙った襲撃が結果として市民を殺害した。

ティクリートのちょうど南にあるイシャキ村の目撃者の話では、金曜日の早朝にイラク軍と米軍が襲撃を実行した時に市民に発砲し、手榴弾を投げつけた。村人によると、部隊は村の中にいた人々からの銃撃に対応していてそのあと撃ち返し、13歳の男の子と非番の警察官を殺した。

米軍幹部は作戦があったことは認めたが詳細はほとんど言わなかった。

「これはイラク軍が計画して主導した対テロ作戦でした。」と米軍のスポークスマンであるジェフリー・ブキャナン少将が声明の中で述べた。「作戦はヘリコプターなどの米軍の支援によって可能となっていた。また、ほとんどがイラク軍であったが少人数の米軍の軍事顧問が作戦に参加していて、彼らは地上の全ての活動の指揮をとっていた。」

ブキャナン少将は「戦闘が続いて起こったので」、増援の米軍が反撃したのだ、と言った。「米軍はその地域を確保したが作戦には関与していなかった。」と彼は言った。声明は元々の現場の米軍が武器を発砲したのかどうかについては述べていなかった。

イラク軍特別部隊のスポークスマンはコメントを断った。

7月30日の台無しになった襲撃の直後におこなわれたこの作戦は、米軍が今年末以後もイラクにとどまるべきかどうかについての政治的に悩ましい協議を紛糾させることは確実だ。

非公式には残るべき部隊もあるという米国高官からの圧力の中で、イラク政府は水曜日に、米軍の駐留継続についての交渉を開始すると発表した。

金曜日の襲撃についてすでに米軍を厳しく非難している政治家もいて、彼らはイラク国内の新聞でまたもやイラクの主権を侵害したと米軍を批判している。

米軍の幹部によると、イシャキでの作戦は爆薬を集めていた反乱者のチームを選び出していた。反乱者が見つかったかっどうかは不明のままである。

金曜日に、幹部はヘリコプターの支援を提供したと語り、そのことが襲撃は米軍の作戦であるという誤った印象を与えたのかもしれない、と説明した。また、装備や技術のせいでイラク軍がしばしば米軍と間違えられるとも言った。

しかし、土曜日には米軍が参加していたという目撃報告に基づいてさらに質問を受けた後、米軍は米軍部隊が参加していたという声明を発表した。

地域の当局者と2人の目撃者は、ある村人が盗賊だと思ったから部隊に発砲したときに銃撃が始まった、と言った。

「家の近くで銃撃音が聞こえ、私の息子は起き上がり怖いので庭に逃げました。」と少年の母親である51歳のナジア・ガマスは言った、「彼らは息子と夫を撃ったのです。」

アル・ルファイトのブドウ農園の村でおこなわれた7月30日の襲撃では部族長を含む3人の死者が出て、米軍が発砲前に銃撃されたのかどうかについて矛盾した報告がおこなわれた。米軍は、米部隊はイラク軍と共に参加したが、襲撃が議論になるのは、一つにはその標的が見つからなかったからだ、と言った。地域の幹部が言うには、その村はかつては反乱者への共感を抱いていたかもしれないが、スンニ派の反乱者の温床になっているのではないということである。

米軍は一つにはイランに対する釣り合いを取るために部隊をイラクに残したがっている。

イラクの高い地位にある政治家や軍人は訓練のために米軍の助けが必要であると確信している者が多い。しかし他の人たち、特に影響力の強いムクタダ・アル・サドル師はイラク国内に米軍を維持するのでは占領の継続に過ぎないと言っている。

イシャキの62歳の農夫のムハンマド・ファルハンにとっては、政治論争が個人の問題になっている。彼が言うにはイラク軍と米軍が金曜日の午前2時頃に彼の家のドアを打ち壊し、彼と3人の親戚を縛り、外に連れ出した。

彼が言うには、イラク軍と米軍が彼の家を捜索し、彼の小切手を盗み、彼の兄弟のパスポートを持ち去った。「米軍は私たちが嘘つきでテロリストだと言っていました。」とファルハン氏は言った。「なぜ私たちを襲うのです?私たちはただの罪もない住人ですよ。」