2011年5月11日水曜日

ビン・ラディン殺害について・フィリス・ベニス論評

米国の政策研究所のフィリス・ベニスが米軍によるオサマ・ビン・ラディン殺害について論評しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

オサマ・ビン・ラディンの死:正義なのか復讐なのか?

フィリス・ベニス 政策研究所  2011年5月2日

独裁と腐敗に立ち向かう大衆を基盤にした社会的に広範囲な動員と非暴力の抗議行動を支持してアル・カイダ型の小規模グループによる暴力を直接拒否したアラブの春の真っただ中で、オサマ・ビン・ラディンの殺害が究極的な正義、あるいは9・11の「未完の任務」が終わったことを示すのだろうか?

[アンマン、ヨルダン]―米国の秘密情報員がどうやらイスラマバードの政府の協力を受けないでオサマ・ビン・ラディンをパキスタンで殺害した。アル・カイダの指導者は多大な被害を与えた責任があった。私は彼の死を悲しまない。しかし、どの行動にも原因と結果がともなうのであり、現時点ではあらゆることが危険である。ビン・ラディンの殺害がすでに弱体化していたアル・カイダの力量に大きな影響を与えることはありそうもないし、アル・カイダは他のテロリスト勢力に対する影響力は不明ではあるが、アフガニスタンとパキスタンの間にいるわずか2、300人の戦士で成り立っていると広く信じられている。パキスタン自体は特別に高い代償を払うかも知れない。

バラク・オバマ大統領が述べたように、「銃撃戦の後、彼らはオサマ・ビン・ラディンを殺害した」。それが事実だとすれば、この襲撃はそれに先立ち10年後の今日も続くアフガニスタンとイラクにおける破壊的な戦争の野蛮な現実を反映している―それは誰も法に照らして処罰するものではなく、復讐をするものであった。

そしてビン・ラディンを捕獲するという名目で行われた米国の戦争でアフガニスタン人、イラク人、パキスタン人その他によっていまだに支払われている膨大な犠牲者のことを考えると、結局その目的を実現するのを可能にしたのは、衝撃と畏怖(いふ)作戦の空爆や地上軍の侵攻ではなくて、骨の折れる警察活動―すなわち情報源を育成しながらの注意深い捜査―であったということは、とりわけ皮肉なことであった。

オバマ大統領は9/11後の米国民の団結が「時には崩れた」ことを認めた。しかし彼はツイン・タワーに対する恐ろしい攻撃から24時間以内に実際には団結が完全に崩壊していたことには言及しなかった。2011年の9月11日は「世界を変え」なかった。世界が変わったのは、9月12日にジョージ・W・ブッシュが世界を戦争に引き込んで対抗するという決意を表明した時なのである。その瞬間に、3000人近い人たちを殺した人道に対する犯罪である9/11の実際の事件が置き去りにされて、「地球規模の対テロ戦争」が始まった。その戦争はイラク、アフガニスタン、パキスタン、そしてそれを越えて世界中の何十万もの人々に何年間もの戦争と荒廃と破壊をもたらしたのである。

9/11の犯罪に対抗して、人間としての連帯という団結の前代未聞の高揚が起こった。米国ではその対応の多くは即座に好戦的愛国主義と外国人嫌悪の様相を呈した(そのいくらかはオバマ大統領の演説に続いてホワイトハウスの外にいた旗を振り歓声を上げる群衆の「USA、USA!!」という攻撃的な連呼の中に昨夜再び現れた)。その中にはあからさまに軍国主義的、人種差別的、イスラム嫌悪的なものもあった。しかし予期されなかった米国の歴史上まれな人間としての団結の水準を反映したものも実際にあったのである。国際的に言っても、短期間ではあるが米国民との連帯が米国の傲慢と戦争と帝国支配への突進に対する当然の全世界的な怒りに取って代わったのである。フランスでは新聞の見出しが“nous sommes tous Americaines maintenant”、すなわち「我々は今や皆アメリカ人である」と宣言していた。
しかし、そのような人間としての連帯は短命に終わった。それは9/11の犯罪に対する米国の対応を形作った違法な戦争によって破壊されたのである。これらの戦争は9月11日に殺された3000人をはるかにしのぐ数の犠牲者を即座に作り出した。世界中のさらに何百万人もの生活が米国の侵略にあって変えられた―米軍チームがビン・ラディンを暗殺したパキスタンだけでも、何千人もの人々が米軍の無人機による攻撃と米国の戦争の継続する遺物の一部である自爆攻撃によって殺害され手足を切断された。

これらの戦争はあまりにも多くの死と破壊をもたらした。あまりにも多くの人々が死に、あまりにも多くの子どもたちが孤児となったのは、オバマ大統領の声明が勝ち誇って言ったように、米国が、一人ではあるが象徴的に重要な男が殺害されたから「正義がなされた」と主張するためであった。しかしながら「この闘い」が実際にいつどのようにしておこったのかを、米国政府が9/11に対応するためにどんな方法を選んだのかが確かめられている。その対応は最初から戦争と復讐なのであって、正義ではなかったのである。

大統領の昨夜の演説は、ジョージ・W・ブッシュが始めバラク・オバマが自らの戦争であると主張した「地球規模での対テロ戦争」の勝利主義を終わらせることを目的にすることもできたかも知れない。その演説は正義と平等と他国に対する尊敬を基礎にした米国の新しい外交政策を宣言することができたかも知れない。しかし実際にはそうしなかった。演説はそのかわりにアフガニスタンとパキスタンとイラクとさらにそれ以上の地での米国の戦争が続くことを宣言したのである。

戦争のこの再確認の中でオバマ大統領は「アメリカは決意したことは何でもできる」と主張して、彼の最近の演説の特徴となった米国例外論を重ねて力説した。彼は残忍な戦争をやり続ける米国の能力と意思を、一片の皮肉もなしに書くが、「全ての米国市民の平等獲得のための闘争」などの米国の以前の業績と同一視した。オバマ大統領のくりかえす言葉の中では、地球規模の対テロ戦争が奴隷制度反対や市民的権利獲得の運動に匹敵するものであるのは明らかである。
今日、アラブの春は中東と北アフリカ全体で高まっている。言いようもなく悲しいことに、オバマ大統領はビン・ラディンの死が正義を意味するという主張の中で9/11の攻撃の答えとした米国による破滅的な戦争の終結を宣言する機会を利用しなかった。これは復讐を協調に置き換え、戦争を正義に置き換える機会にすることができたかも知れないのである。

しかしそうはならなかった。ビン・ラディンの死に関わりなく、アフガニスタンやパキスタンやイラクやそれを越えた国々で米国の破壊的な戦争が続く限りは、正義はなされてはいないのである。