2011年2月6日日曜日

2011年1月 ブレアをイラク戦争検証委員会に再喚問

2011年1月21日、イギリスのイラク戦争検証委員会(チルコット委員会)はブレア元首相を再喚問しました。昨年の検証委員会の審問の場がブレアの侵略戦争に対するひどい居直り宣伝の場と化したことに対する厳しい批判の中で実現した再喚問です。


ストップ戦争連合はブレアを戦争犯罪法廷にかけることを要求しています。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争犯罪人のブレアは闇に紛れてイラク戦争検証委員会にこっそり入場

反戦運動の抗議行動参加者たちは、トニー・ブレアが2003年の違法な戦争を開始したのとにそっくりのやり方で闇に紛れてイラク戦争検証委員会に「こっそり入場」したあと怒りの非難の声を上げ始めた。

デイリー・メール紙 2011年1月21日

ブレア氏がウェストミンスターのQEⅠⅠ会議センターにこっそり入ったのは再喚問を受ける予定の2時間以上前であり、CND[核軍縮運動]やストップ戦争連合などのグループの抗議行動より相当前のことであった。

元首相が到着したのはまだ日が暗い時であった。

大勢の活動家が現れて、元首相をウソつきと呼ぶ横断幕を掲げ、「トニー・ブレアはハーグへ」とくりかえしたのであり、ハーグは戦争犯罪法廷が開かれている場所である。

一人の男性がトニー・ブレアのマスクを来て模造品の独房のドアに自分を手錠でかけて大喝采を仲間から受けた。

ストップ戦争連合のアンドリュー・マレー議長は言った。「またもやブレアは2003年の違法な戦争を開始したのとそっくりのやり方で闇に紛れてイラク戦争検証委員会にこっそり入場した。」

「願わくは今日この後ブレアはゴールドスミス卿によって受けた法律的助言について真実を語るように要請され、彼がいまだに秘密にしているブッシュに宛てた書簡の内容を公然と取り調べられるようにしてもらいたい。」

息子のショーン・ブリアリー伍長がイラクに配備直後に死んだピーター・ブリアリーは、ブレア氏が前回イラク戦争検証委員会に審問された時にやったのと同じように早い時間に到着して抗議行動に立ちはだかられるのを避けたことには驚かない、と言った。

「彼がこの場では適切な審問を受けることがないのは、自分の選んだどの時間にでも退出することができるからだ。彼は適切な裁判にかからなければならないし、法廷弁護士や法律家から審問を受けなければならない。彼は戦争犯罪人なのだから強制捜査を受けなければならない。彼は私の息子を殺したのだから私は彼が裁判にかけられるまで運動を続ける。」

労働党のジェリミー・コービン下院議員(イズリントン北地区)はブレア氏とジョージ・ブッシュ前米国大統領の間で交わされた書簡が公開されないのは、「不名誉なこと」であると言った。

「この検証委員会に何らかの意味があるのなら、関係書類の全てが公開されなければならない。」

CNDのブルース・ケントは抗議行動参加者たちに言った。「トニー・ブレアはゲームは終わったと言うことを知らなければならない。体制派の仲間のメンバーが今や彼に背を向け始めているのだから。」

「彼がやったことは大惨事であり、彼は戦争の惨害から数世代を救おうとして導入されたとても壊れやすい構造に実際に2本の指を突き立てたのです。世界中の他のどれだけ多くの殺し屋や無法者が今、ブレアはうまく切り抜けられるだろうか、と言ってるとしても、我々もそうするだろうか?」

ストップ戦争連合創設者の一人のジョン・リーズはイラク戦争検証委員会はイラク戦争の真実には到達しない資金の無駄遣いであると言った。

ストップ戦争連合はブレア氏とブッシュ氏の全ての往復書簡が明らかにされる戦争犯罪法廷にブレア氏が出廷することを要求する声が高まっていると言った。