2011年8月11日木曜日

英国のイラク戦争検証委員会

英国のイラク戦争検証委員会(チルコット委員会)がいよいよ今年秋に報告書を出します。「メール」紙によるとトニー・ブレアは対イラク戦争の際に、自らの内閣にも、国会にも、イギリス国民にもウソを語りました。ブレアは「戦争犯罪で有罪」(ストップ戦争連合)ということになります。日本でもイラク戦争検証委員会を設置させましょう。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク戦争検証委員会はトニー・ブレアが戦争犯罪人であることを確認するだろう。それではその次に何が起こるのか?        
※ストップ戦争連合のHPより

サイモン・ウォルターズ トニー・ブレア・ウォッチ  2011年7月31日

イラク戦争検証委員会はトニー・ブレアが自らの内閣にも、国会にも、イギリス国民にもウソを語ったと「メール」紙は言う。そうなると、戦争犯罪で有罪だ。その次に何が起こるのだろうか?

サイモン・ウォルターズ メール・オンライン  2011年7月31日

トニー・ブレアは現代史上最大の外交上の大失敗に英国を導くのに自らが果たした役割について政府が設置したイラク戦争検証委員会の容赦ない批判に直面することになる。彼は4つの主要な失敗に責任があると見なされるだろう。

*サダム・フセインの大量破壊兵器に関して作り出された虚偽の主張を行った。

*戦争を開始するというジョージ・ブッシュとの秘密の約束を英国民に言わなかった。

*ソファー・ガバメント[非公式の顧問グループを中心に行う政治]スタイルで内閣には何も知らせないでいた。

*イラクの戦後の大混乱を避ける計画を立てなかった。

信頼できる情報筋によると、ブレア氏と主要な盟友たちの声望は、ジョン・チルコット卿のイラク戦争検証委員会の報告が今年の秋に公表された時に多大な損害を被るだろうという。ブレア氏とジャック・ストロー元外相や元首相官邸の情報操作専門家アラスター・キャンベルはみな批判を受けると予想されている。

チルコット卿の5人の強い権限を持つ専門家の委員会によって非難を受ける者たち全員が2、3週間のうちにイラク戦争検証委員会の結論についての通知を受けるだろう。彼らは報告が完成する前に申し立てた誤りについて反論する最後の機会を与えられるだろう。まだ書かれてはいないが、どの分野に焦点を当てるのかについては明確な見通しが示されてきた。

ブレア氏がジョージ・ブッシュと一緒にサダム・フセインに対する戦争を行って8年がたち、チルコット委員会は有罪の判定を下す。イラクで合計179人の英国兵士が死んだ一方でイラク人の死者の推定数は10万人から65万人まである。サダムは数週間で倒されたが、イラク侵攻は血塗られた結果を引き起こし、英国や他の場所でテロを増加させる原因になったと主張された。

2年前に当時のゴードン・ブラウン首相によって設置されたチルコット委員会はイラク紛争に関する3つ目の委員会である。情報の欠如に関するバトラー委員会と国防省の兵器専門家のデビッド・ケリー博士の死に関するハットン委員会に次ぐものである。

委員長である元公務員で72歳のジョン・チルコット卿はイラク戦争の2年前の2001年から2009年までの全ての期間に及ぶよりよく調べる調査を行うことを要請された。

ブレア氏が議会に対してサダムが大量破壊兵器を保有していると言っている情報は「疑いもないこと」であると言った事に対して、検証委員会は厳しく追及している。証人としてブレア氏はふてぶてしくも戦争には何の後悔もしていないし、英国は結局はイラク戦争を「計り知れない誇り」を持って振り返ることができるようになるだろうと言い張った。しかし彼は、サダムが45分以内に大量破壊兵器を発射することができるという首相官邸の調査書類の主張の解釈を誤ったことは認めた。彼はまた、戦争前には英国下院で明言したにもかかわらず、2002年秋にはサダムからの「増大しつつある」脅威はなかったことをしぶしぶ認めた。

チルコット委員会の報告は情報操作専門家のキャンベル氏を批判するだろうと予想されているが、サダムの兵器に関する調査書類が「戦争を起こすために事件を起こす」ことをたくらんだものであったのだと言うことを彼は否定したが、国防省情報局の情報収集部長であった元スパイの頭目のマイケル・ローリー少将によって異議を申し立てられた。

ローリー少将は2ヶ月前にチルコット委員会にこう言った。「アラスター・キャンベルはその書類の目的は『戦争のために事件を起こすこと』ではなかったと言いました。私は当時、それが真の目的であり、まさにこの言葉が使われたと言うことに何の疑いも持ちませんでした。私たちは当時、その目的が、役に立つ情報を用意するのではなくて、まさに戦争のための事件を起こすことにあるのだということを知っていました。私と書類の作成にかかわった人々はまさにそのように見ていたのであり、それが私たちに与えられた指示だったのです。」

そして今月はじめには、名前のわからないMI6[英国情報局秘密情報部]の幹部が言うには、キャンベル氏は情報書類に関する活動で「誘導されていないミサイル」のような行動をとっている。そして情報操作専門家は「頭にかっと血が上って事前の適切な相談もなくジャーナリストにさまざまな話や情報を伝える傾向」があるというのである。

チルコット委員会はまた、国民にはまだ決定はしていないと主張しながら、対イラク戦争の1年以上も前に戦争を支持すると個人的にブッシュ氏に言ったというやり方に焦点を置くだろうと理解されている。ブレア氏は2002年にブッシュ大統領のテキサスの農場で開戦の取り決めの「血盟」が交わされたということを否認した。彼はサダムに「対処する」ことに合意しただけだ、と言ったのである。

しかしながら、英国が「体制変更」を支持したかどうかということについてのブレア氏とストロー氏の間の意見の食い違いもチルコット委員会の結論の顕著な特徴となるだろう。その上、ストロー氏は、自分が「非常にしぶしぶ」イラク戦争を承認しただけなのに、イラク戦争が違法であると言う外務省法律顧問の警告を無視したと言ってしまったので、非難を受けている。元外務省上級法律顧問のマイケル・ウッド卿は、イラク戦争に抗議して辞任を検討したし、開戦に反対した後は干されたと言ったのである。

戦争に関する主要な決定が腹心の小さな仲間内によって彼の書斎で決められると言う、ブレア氏のソファー・ガバメント[非公式の顧問グループを中心に行う政治]のスタイル―大部分の閣僚や政府当局者が排除されていた―もまた糾弾されると予想されている。

サダム打倒の後の戦後の混乱の対策を立てなかったことは、チルコット委員会の結論のもう一つの重要な部分になると信じられている。チルコット委員会は、英国軍の司令官のティム・クロス少将が、一つには戦後の計画が「哀れなほどに貧弱」であるために、開戦の2日前にイラク侵攻を遅らせるようにブレア氏に要請した経過を聴取した。

クロス少将は「私は『この軍事作戦に勝てることには何の疑いもありません。しかし、戦後のイラクの準備はできていないと確信しています』と多大な言葉を使って言ったのを覚えています。」と言った。彼は戦後バグダッドに着くと、事態は予想以上に悪化していた。「バグダッドは金網とチューインガムによってつなぎ合わされていました。」と彼は言った。

ブレア氏に近い筋は、ブレア氏が直面しそうな類の批判のことは承知していると言う。「これはまだ書かれてもいない報告を予断をもって判断しようとする意図的なたくらみである。我々は公表されるまでコメントはしない。」ということである。