2008年11月23日日曜日

オバマの勝利についての戦争に反対するシカゴ労働者の会の声明

(以下の日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争に反対するシカゴ労働者の会 2008年11月21日

2008年11月の大統領選挙におけるオバマの勝利は、過去8年間(少なくとも)の露骨な軍事侵略や人種差別や規制緩和や愛国法や人権総体への攻撃を、アメリカの有権者とアメリカの労働者の大多数が拒否するという力強い願いをさし示したものである。そうは言っても、我々は、民主党の新政権がこうした願いを満足させるだろうと楽観視してはいない。
この民主党政権は平和政権ではなく、占領と侵略を深化させ多面化させる政権になるだろう。バラク・オバマは選挙運動中一貫して、そして上院での投票を通じて、耳を傾けていた人々に対して、イラクにおけるアメリカ軍の駐留を終わらせる気がないことを明らかにし、そしてアフガニスタンにおける駐留兵力と帝国主義的な冒険と、パキスタン国内へのミサイル攻撃と、対イラン戦争の準備を考えているのだと、あらゆる発言で明言してきた。ラーム・エマニュエルを首席補佐官に任命することによって、オバマはパレスチナ人民に対するイスラエル国家の不法な侵略とイランに対する戦争の準備を強く支援しようと考えているのだという非常に明確で予想可能な合図を送った。オバマは、最近のグルジアでの紛争を巡って、国務省と手を結び武力をちらつかせてロシアに対して脅迫をした。そしてオバマは、コリン・パウエルの支持を受けて、愛国法を支持すると再確認した。以上のことは、反戦運動が警戒を怠らずに新政権からの独立を維持しなければならないと言う明白な兆候である。

 選挙結果は非常に矛盾した状況を反映している。一方では、ブッシュを拒絶する大衆的国民的象徴であるというジェスチャーを熱望して、有権者は最も手近なシンボルを手にした。すなわち、2008年の選挙とアフリカ系アメリカ人が大統領になることが可能であるということが、高く評価された古来の夢を実現した。有権者の内64%が投票した。この64%のうち53%がオバマに投票したのであり、彼に支持を与えたのは有権者総数の34%である。しかしながら、この選挙結果は組織労働者と有権者によって信任を受けたと一般に受け止められた。オバマが信任されたことの意味は、ブッシュ/チェーニーの軍国主義政策に対する広い意味での国民的な反対であった。しかし、何も署名されたものはない。現在の戦争とこれからやって来る戦争にこの信任が反対するのを支えるために発表されたものは何もないのである。
経済分野では、アメリカは世界大恐慌以来の最悪の危機に直面している。戦争に反対するアメリカ労働者の会が声明を出したように、「勤勉な労働家族が職と家と医療と退職後の蓄えと希望を失っている。何千億ドルもの資金がウォールストリートを救援するために使われた-しかし、メーンストリートの救援のためにはほとんど何もなされていない。人々は助けが必要なのであり、それは今必要なのだ。しかし、戦争と侵略を基にして自らを肥え太らせた軍隊と企業に税金の半分を消費し続ける限り、勤労者と貧困者の願いは何もかなえられることは無く、経済危機は解決されず、アメリカは真の意味で安全になることはないだろう」。
その一方で反戦運動は、オバマの選挙戦勝利を見て、意見はそれほど大きく変化をしたのではなく(そのような反戦感情がしばらく存在してきたのだ。)、それは軍国主義や人種差別などに反対するという表明が受け身のものから積極的なものへと大きく変わったことを示す一種の指標と呼ぶことができる。

 しかしながら我々反戦運動は、努力を倍加させて成長し、2大政党とそれを所有している防衛産業によって現在ワシントンで行われている策謀から独立を維持し、石油と支配のための戦争を即時終わらせる大衆運動建設のための新たな政治的困難と機会について理解しなければならないのである。

[訳注:ウィキペディア・日本語版より]
ラーム・エマニュエル:1959年イリノイ州シカゴで生まれる。彼の父は、イスラエルのエルサレム出身のユダヤ人小児科医であり、母はシカゴ出身のX線技師。二人は1950年、シカゴで出会った。兄は医者、弟のアリエルはハリウッドの映画業界では有名な大物エージェント。
1981年にニューヨーク州のサラ・ローレンス大学を卒業し、1985年にはイリノイ州のノースウェスタン大学大学院に入学。 学部在学中には、地元連邦下院議員の選挙にボランティアで参加した事もある。 また、1991年の湾岸戦争では、イスラエル国防軍に民間ボランティアの資格で参加し、イスラエル北部の基地でトラックのブレーキ修理をしていた。