2008年1月18日金曜日

「ネイション」誌にビル・ワインバーグさんが寄稿

ビル・ワインバーグ

ネーション誌 2007年12月24日号

 現在進行している大量殺人によって大見出しからは隠されているが、イラクには活発な市民によるレジスタンス[抵抗運動]が存在し、占領軍と占領軍が保護している拷問政権と、そしてまたイスラム主義やバース主義の反乱者にも反対している。攻撃を受けているこの反対勢力-それは抑圧と暗殺の脅威の下にさらされている-は女性の基本的な自由を生き続けさせるために闘い、ハリバートン社や他の契約企業に反対する労働者の闘いの先頭に立ち、イラクの石油や他の資源の民営化に反対し、政教分離したイラクの将来を追求している。彼らが強調していることだが、いわゆる「イスラム政治勢力」が紛争の両方の側-すなわち、対占領協力者の政権と武装反乱者である-を支配している。このどちらの側もが反動的で疑似神権政治的な体制を押しつけようとしているのである。
 政策研究所のフィリス・ベニスがこのジレンマを明確に述べている。:「アメリカによるイラク侵略と占領の当初から巨大な問題が存在する。すなわち、我々が耳にする唯一のレジスタンスは軍事レジスタンスなのである。主要な分野の組織-石油労働者や女性や人権擁護者や他の多くの人たち-は全て、自らの安全を大変な危険にさらしながら、占領に反対する活動を続けてきた。彼らの多くは地域で活動をしていて、ほとんど全てがアメリカが支配するグリーン・ゾーンの外で活動しているので、彼らの活動に出会うことは西側のほとんどのジャーナリストはないし、アメリカの主要メディアのジャーナリストが出会う機会はほぼ全くない。」
7月4日にバグダッドで人気の高い市民の自己防衛部隊の指導者が殺害された。イラク自由会議(IFC)-それは市民レジスタンスの連合体である-によると、アメリカ軍の特殊部隊とイラク国家防衛隊が午前3時にアブデル・フセイン・サダムの自宅を襲撃し、警告も発せずに彼と彼の若い娘に発砲した。襲撃者たちはアブデル・フセインを連れ去り、血を流したままの娘は床に放置した。2日後に彼の死体が地域の遺体安置所で発見された。昨年来、アブデル・フセインは地域住民を守るためにIFCによって組織されている市民パトロール隊である安全部隊の指導者となっていた。他の多くのIFCメンバーと同様に、彼はサダム・フセイン政権の反対者であり、1990年代に2年間投獄された。彼の死は世界のメディアによってほとんど無視された。
 しかしながら、8月3日、日本の反戦グループの全交-平和と民主主義をめざす全国交歓会の略称である-の約100人のメンバーが虐殺に抗議して東京のアメリカ大使館の近くに集まった。一つの横断幕にはこう書いてあった。「アメリカ-イラクの治安部隊は市民の権利を推進しているのか、それとも独裁国家の殺人行為を推進しているのか?アブデル・フセインは死体で見つかったぞ!」と。
 ここで発言した中に2人のIFCの指導者がいて、その一人はサミール議長であったが、彼はこう言った。「アブデル・フセインは『スンニでもない、シーアでもない、人間にイエス』といったが故に、占領のない、宗派主義民兵のいないイラクの市民社会を建設しようとしたがゆえに、まさにそのために、彼らはアブデル・フセインを殺害したのです。彼らは、自由な社会にイエス、非暴力の社会にイエス、占領にノー、宗派主義ギャングどもにノー、と発言するイラクの唯一の声であるIFCを打ち倒せると思っています。しかし、それとは反対に、アブデル・フセインの暗殺後、多数の人々がIFCに加入しました。私たちは世界中から連帯のメッセージを受け取りました。みなさんのような民衆の支持がある限り、私たちは決してあきらめません。」
 IFCは2005年に結成され、労働組合や女性団体や地域の住民集会や学生グループを政教分離したイラク国家と占領の集結という2つの要求によって結集した。過去1年間の全交のもっとも顕著な成果は40万ドルの募金を集めたことであり、そのことでIFCが衛星テレビ局のサナテレビを開局する支援を行ったのである。
 サナテレビのロンドン・スタジオの責任キャスターで、バスラ出身の亡命者のナディア・マフムードは抗議行動参加者たちに言った。「私たちがIFCを結成したのは、占領にも、スンニ派やシーア派の民兵にも反対するためです。イラクに民主主義を持ち込むためにやって来たのだと言っているアメリカが、私たちの指導者を暗殺し私たちの事務所を襲撃するのはこれが理由です。そして、だからこそ私たちは占領を終わらせろと要求しなければならないのです。」
 他にもIFCの指導者たちは暗殺されてきた-それは普通、正体不明の民兵によって行われる-そして、IFCの本部およびサナテレビの国内スタジオとして使われているバグダッドの事務所はアメリカ軍によって2回にわたって襲撃された。マフムードとアディルが言うには、IFCはますます成功を収めているがゆえにそれだけますます脅威となっている-組織労働者と団結してイラクの石油の民営化に反対し、政教分離の反占領勢力を共同戦線にまとめ、バグダッドやその他の都市で宗派主義民兵から地域を解放しているのである。
 一方でアディルはIFCの安全部隊は武器を携行していると言う。-「イラクのどの家庭にもライフルがあります。これは武器がどのような使われ方をするかの問題にすぎません」-彼はIFCが市民による闘争を追求しているのであり、IFCのメンバーは反乱者ではないと強調する。「基本として私たちは武装レジスタンスの権利は当然あると考えています。」とアディルは言う。「しかし、今イラクに必要なのは市民レジスタンスだと私たちは確信しています。武装レジスタンスはイラクにテロをもたらしただけで、イラクを国際的な戦場に変えてしまったのです。」
 アディルはまた、サダム・フセインの独裁に反対する政治や労働者の闘いのベテランでもある。1992年に6ヶ月間投獄され、彼は牢獄で拷問を受けた。-彼は決して帽子を脱がないが、頭皮からこめかみに長い傷跡がのびているのが見える。彼はカナダでの亡命からイラクに帰国し、独立した政治的反対勢力の復活を助けた。
 アディルによれば、この反対勢力は2つの敵、すなわち占領軍とイスラム政治勢力に立ち向かっていると言う-スンニ派はアルカイダと結びつき、サウジアラビアに支援されているし、シーア派の民兵はイランから様々な段階の支援を受けている。これらの勢力がバグダッドを敵対陣営のつぎはぎ細工に変えてしまった。IFCは指導者の中にスンニ派とシーア派の両方の政教分離派のムスリム(そして無信仰者)を入れている。クルド人やさまざまな伝統を持つ人々も入れている。アディルの主張によるとIFCは現在バグダッドやバスラやモスルやキルクークやティクリートなど20都市に存在している。「私たちには幾千幾万もの支持者がいます。私たちは日々大きくなっているのです」と彼は言う。10月21日にキルクークで開催されたIFC第1回全国大会には、イラクの全ての主要都市から選出された代議員が出席した。
1年以上前にフセイニア地区で創設された約5000人が住むIFCのバグダッドの自治地区は、宗派浄化によって引き裂かれた町にある共生の孤島になっている、とアディルは言う。安全部隊のおかげで、その地区は宗派主義民兵の立ち入り禁止地帯となった。「2006年9月以来、フセイニアでは宗派主義者による殺人は起こっていません。」とアディルは誇る。IFCはバグダッドのスンニ派・シーア派の混住地区でさらに多くの自治地区を設立するために活動中であり、キルクークにも同様の自治地帯を持っている。
 アディルは暴力的な宗派主義の危機を作り出した責任をどこに求めるかについては明確である。「占領軍とアメリカが押しつけた憲法がイラクをスンニ対シーアへと分断しました。IFCはイラク社会のこの分断に反対する唯一の勢力なのです。」
 安全部隊は増大しつつあるIFC支持の柱である労働組合活動家が増えている。9月7日のバスラでの記者会見にはIFCの反石油法戦線の代表がイラク石油労組連合に合流して、外国の多国籍企業に広範な利用権限を与えるアメリカが書いた石油法の通過に反対するようにイラク国民議会に警告した。IFOU[イラク石油労組連合]のハッサン・ジュマ議長もIFCの中央評議員であるが、もしも法案が承認されたら、労組はイラク南部の油田から引いているパイプラインを閉鎖するだろう、と発表した。その5日前には、IFCがバグダッドの解放広場で抗議行動を展開した。アメリカ軍が集会を包囲し、広場への出入りを封鎖した。
 6月4日にIFOUは石油法に抗議し労働者に対して支払われるべき諸手当の支払いを解除させるために、4日間のストライキを打って、バスラ-バグダッド間のパイプラインを麻痺させた。ジュマを含む4人の指導者たちは「イラク経済への破壊活動を行った」からと逮捕命令を出された。逮捕命令は正式には決して撤回されなかったが、ストライキが終わったときには執行されなかった。ストライキの後にバスラにイラク陸軍の大部隊が駐留したにもかかわらず、7月16日のIFOUの反石油法戦線のデモ行進は数千人を参加させた。政府は最近、もしも組合が新たなストライキを打ったら、逮捕命令を執行すると脅迫した。
 ジュマは「石油法はイラク民衆の願いを代表するものではない。」と5月に組合から出した声明の中で言った。「石油法は外国の石油企業を石油部門に参入させ、いわゆる生産分与協定の下で民営化を実行するものである。IFOUは世界の全ての労働組合に我々の要求を支持し、各国政府と石油企業にイラクの油田に参入しないように圧力をかけるように呼びかける。」
 イラクの労働者の指導者たちももちろん、殺害の標的になっている。9月18日にIFOUは組合指導者のタリブ・ナジ・アバウは、アメリカ軍が車中の彼に発砲して射殺された。この殺害は標的を決めた暗殺ではなくて、むしろむやみに発砲するのを好む兵士たちの事例であったかもしれないが、それは長期にわたって続く組合活動家殺害の最新例にすぎなかった-ほとんどの殺害は民兵や暗殺部隊によって実行されるのである。
 危険な目に遭い脅迫を受けながらも、反石油法運動は高揚している。9月22日に反石油法戦線によって呼びかけられたバグダッドの解放広場での第2回集会は、数百人を参加させた-それは恐怖の雰囲気の中で顕著な成果であった。
 IFCの設立団体の一つであるイラク女性自由協会は、新憲法反対運動の先頭に立ったが、新憲法は1959年の政教分離の個人地位法をくつがえして代わりに家族内の紛争をシャリア法[イスラム法]の法廷にゆだねるものであった。OWFIの指導者のヤナール・モハンメドが言うには、この憲法は抑圧的な雰囲気を推し進め、ベールをかぶるのを拒否する「不謹慎な」女性に対して硫酸を投げつける攻撃が増加している。OWFIは占領下で急増した「名誉のための殺人」から逃れてきた女性のためにバグダッドでシェルターを組織している。モハンメド自身がおびただしい数の殺害脅迫を受け取っている。
 全交に加えて、IFCの連帯グループはイギリスやフランスや韓国で結成されている。アメリカではアメリカ反戦労働者の会がイラクの労働組合指導者の演説ツアーを行った。しかし、アメリカ合衆国ではイラクの市民レジスタンスのことはまだほとんど知られていない-左翼においてもそうである。
 イラクの市民レジスタンス運動について聞かれたときに、人気のあるインフォームド・コメント・ブログの発行者である中東学者のジュアン・コールは、「彼らは大部分が今のところ亡命していると思います。宗教グループの方がよく組織されていて海外からの資金を得て準軍事的組織を持っています。」と言っている。「野蛮の衝突」の作者である作家のギルバート・アッチャーだいたい同じ意見で「悲劇的なことだが、中東地域全体では、実際には左翼の進歩的な解放勢力は、歴史的な敗北の産物として、全く些末なものとなっている。」と述べている。しかし、アッチャーは石油労働者の闘いに勇気づけられている。「イラクで支持をする価値がありそうだと思うのは、バスラの石油・ガス労働者組合である。」と彼は言う。「これは真に自主的な労働組合である。そして彼らはとても敏感な立場にある。というのも、石油産業がイラクの主要な資源であるからだ。」
 ベニスもまた希望がそこにあると見ている。「石油労働組合はイラクの労働者そしてまたイラクの主権と統一を守る地域および全国での動員の驚くべき実例を提供している…。アメリカ反戦労働者の会の活動は、イラク占領に反対して労働者を動員し、同時に石油労働者への支援を作りだし、そしてまた別の一方の側からの国際連帯の実例を提供している。」
 「占領軍とイラクのカイライ政権がこの紛争を作り上げたのです。」とナディア・マフムードは言っている。「彼らが民兵を支え、テロリストのネットワークに門戸を開きました。アメリカは政治的自由を支持していません。彼らはイラクの資源を盗み出すことを追い求めているにすぎないのであり、もう出ていくべき時なのです。」しかし彼女は、アメリカの撤退によって平和が実現し政教分離の体制ができるとするならば、市民レジスタンスは海外の友人からの支援を得ることが必要であると強調する。「イラクのアメリカ軍に勝利することはイラク国内の勝利ではないでしょう.-それは国際的な勝利となることでしょう。」