2009年1月8日木曜日

2008年USLAW(アメリカ反戦労働者の会)指導者会議の報告より

※USLAW(戦争に反対するアメリカ労働者の会)が2008年12月5-7日に指導者会議を開催し、アムジャド・アリ・ジョファリさん(GFWCUI=全イラク労働者評議会労働組合連合とIFC=イラク自由会議の北米代表)が出席しました。アムジャドさんの報告です。
(以下の日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

2008年12月5-7日

国際連帯:イラク

 会議は次に、全イラク労働者評議会労働組合連合とイラク自由会議の北米代表であるアムジャド・アリの話を聞いた。

 兄弟のアリはイラク自由会議の議長で2009年2月の国際労働者大会準備委員会の全体調整責任者であるサミール・アディルからのあいさつを読み上げて話を始めた。

(サミール・アディル議長のあいさつ)

 USLAWの指導者の兄弟姉妹のみなさん、イラクからあいさつを送ります!

 最も傑出した労働組合の指導者が入っている、イラクでの国際労働者大会の準備委員会とイラク自由会議を愛表して、私たちはみなさんがこの会議を開催されていることをお祝いし、アメリカ合衆国とイラクと世界の労働者の利益を前進させる活動を成功させることを願います。

 大げさに言うのではなく、そしてはっきりと言っておきたいのですが、USLAWはアメリカ国内の他の進歩的な運動と共に、8年間の支配の間に世界を戦争とテロの連鎖に連れ込んだ右翼政策を敗北させる主要な役割を演じました。USLAWはまた、アメリカとイラクの労働者の間の連帯を強化するという偉大な役割を演じて、アメリカとイラクの民衆の間に憎しみを植え付けようと言う機会をブッシュ政権から取り上げたのです。

 世界は歴史的な転換点に遭遇しています。:すなわち、全世界的な経済危機であり、アメリカの選挙による先制打撃政策の敗北であり、イラク占領に対する怒りの高まりであり、これらは全て我々の活動を強め現在の状況を終わらせる巨大な任務を私たちにかけてきています。

 私たちが開催する国際労働者大会は右翼政権によって作り出される戦争と危機に反対する全世界的な労働者の戦線を構築する第一歩です。この大会にみなさんが参加すれば、全世界的な労働者の国際連帯を強化する新たな一歩となるでしょう。

 再度みなさんの幸福と成功をお祈りします。

 USLAW万歳!

 労働者の国際連帯万歳!

サミール・アディル 
国際労働者大会準備委員会全体調整責任者
イラク自由会議議長

バグダッド、2008年12月3日



(アムジャド・アリの話)

 アメリカの国外にいる者として、私たちにとって全く好意的なことがなかったアメリカの対外政策はについて話します。

 オバマが大きな変化を作り出すことができると信じている人には敬意を表しますが、私たちが自らを動員して懸命に活動しなければ、オバマは変化を作り出さないでしょう。オバマは彼一人では変化を作らないでしょう。これは何十年ものアメリカの対外政策との闘いなのです。

 イラク駐留米軍地位協定(SOFA)は「撤退協定」であると呼ばれています。たくさんの呼び名がありますが、それは実際にはイラクにおける米軍の合法化なのです。

 1922年から今日までのイラクの歴史を振り返ります。これはアメリカからだけではなく世界から隠された歴史です。

 1918年に、イギリスがイラク占領を完了すると、サイクス・ピコ協定がイギリスのイラクに対する支配権を与えました。国際連盟はイギリスにイラク駐留の法的根拠を作るように要請しました。イギリスは委任統治を作り上げました-すなわち1922年の条約でイギリス軍が4年間駐留する権利を与えました。1926年に、新しい条約がイギリスに、4年ごとの見直しをしながら25年間まで駐留を続ける権利を与えました。4年後の交渉で財政協定とSOFA型の協定ができました。イギリスはイラクが1930年にもう一つの条約に署名したら国際連盟の一員として迎え入れられると約束しました。イラクの首相は「イギリスの男」として知られていたにもかかわらず、条約に署名をしたくありませんでした。彼は条約がイラク人にとって公正でないと言いました。彼はイギリス大使館に呼び出されました。そして帰宅後自殺を遂げました。

 彼の死後、イギリス大使は国王に首相の代わりとなる人物を提案しました。任命された男はイギリスの手先として知られていました。1930年に彼は1955年まで続く25年間の条約に署名しました。それはイギリスが参戦するどの戦争にも参加する義務をイラクに負わせました。この条約は第2次世界大戦の対独戦争にイラクを引き込みました。1948年に、このイギリスとの条約が期限切れとなるのを見越して、イギリス軍はイラク政府に、現行の条約が期限切れとなった後に発効する新たな条約に署名せざるをえないようにしました。

 イラク政府は署名しましたが、イラク人は街頭に出ました。何百人も殺されましたが条約は決して批准されませんでした。首相は二度とイラクに戻りませんでした。1956年に、イギリスはイラクをトルコ及びイランとのバグダッド条約に加入させましたj-それは無期限の条約でした。

 1958年にイラク政府は7月14日の革命で追放され全ての条約は破棄されました。


 今日のイラク人がアメリカは2011年に決して撤退しないだろうと判断するのは以上の経験から来ています。協定は、米軍をあちこちに配置するという問題にすぎません。協定は都市部から撤退して郊外に展開するのだと言っています。もしもアメリカないしイラクがイラクの安全にどんな脅威でもあると決定すると、イラク政府はアメリカ軍の介入を「要請」することができるのです。これは1930年の条約と同じです。国の名前は違うかも知れませんが、同じ事を繰り返しているのです。

 これが私たちがSOFAに反対する理由です。私たちはアメリカ軍は出ていくとは思っていません。協定というものは対等に交渉する2つの当事国があることを求めています。この協定はホワイトハウスの中で書かれ、好もうが好まなかろうがイラク人に提案されています。アメリカは協定の修正には同意しましたが枠組みはアメリカ側が作ったものです。イラク政府はアメリカから勝ち取ることができる最善のものだと言いました。ですからこれは対等な者同士の間の協定ではありません。

 結局は、国民投票にはかけられますが、たとえ承認されなくとも彼らが協定を破棄するなどとは私たちは思いません。後戻りはあり得ないのです。私たちはその種の「民主主義」などは全く信じていません。

 彼らはシスターニとイスラム教の聖職者を追い求めています。彼らはシスターニに、人々が賛成投票するように要求するファトワ[イスラム法に基づく宣告]を発するように頼みました。シスターニは確実にその方向に向かっています。人々は1930年に、国際連盟に受け入れられると言われました。今彼らは、もしも署名をしないと、イラクは国連の経済制裁から解放されないし、イラクの主権は完全には回復しない、と言っています。

 2月に行われるアルビルでの国際労働者大会の対象の一つは、条約だけではなく、閉じられたドアの裏で署名された全ての協定です。私たちはこれを限りにイラクの協定と占領を廃棄すると通告する声明を発表したいと思っています。

 私たちには、克服するべき課題があります。主要な問題は財政上の課題と地方政府からこの大会への同意を取ることです。アルビルは人々を連れて来るには比較的安全な場所です。昨年私たちは日本から5人の代表を受け入れ、彼らは丸1週間滞在しました。副市長は原則として同意しました。今私たちは今、市長の公式な同意を待っています。

 財政は非常に現実的な問題です。大会の開催には15万ドルかかると予想しています。私たちは、海外代表以外に250人のイラク国内の代表を予定していて、各自に航空運賃が各300ドルと、3泊のホテル宿泊料金と一人あたり50ドルの食費がかかります。それから宣伝物やメディアのキャンペーンや通訳者のための出費があります。私たちは全世界の全ての労働組合や労組の連合体に働きかけてきました。日本では募金に取り組んでいます。オーストラリアも募金を集めています。しかし求めている金額にはほど遠いです。資金を確保できなければ、イラク国内の代表の数を減らし、他の経費削減もしなければなりません。労働者自身体と指導者たちは大会開催を私たちに迫っているので、私たちはこれ以上遅らせたくありません。

 ハッサン・ジュマ(石油労働組合連合議長)は信心深い人です。私たちは2005年の米国内の交流ツアーの最後の共同声明の中の「政教分離」という言葉について議論しなければなりませんでした。彼はどうしてもその言葉を声明に入れることに賛成しませんでした。結局、彼の意見が通りました。

 3年がたってイラク国内で起こったことと民族主義政党や宗教政党の行う汚い役割を見て、彼は今や、我々が「政教分離した民族主義でない」政府をイラクに建設しつつあるという声明に署名しました。

 彼は信心深い人です。このことは、中間的な人は彼と同じ考え方であるということを意味しています。人々はイラクの状況にうんざりしているのです。

 私たちはあらゆる人に働きかけるように最善を尽くしています。私たちは全ての労働組合と労組連合体にアルビル大会に参加するように要請しました。この大会はみなさんの支援なしには招集することはできません。大会を開催させることができるのはみなさんなのです。2005年以前にまでさかのぼるみなさんの支援が決定的に重要でした。ですから今、私たちがこの大会を開催することができるのはみなさんのおかげなのです。そして私たちは実際に大会を開催します。


===国際労働者大会への募金===

この後、アリは質問に答えた。大会の目的について質問されて、彼は労働運動の統一と協力の増大と雇用の民営化や労働者の権利要求に応えることである、と説明した。イラクの中で新たなレベルの戦闘が起こっているのかという質問に彼は次のように答えた:

占領が5年間続いた後でも、電気や水や教育や医療に関する約束は何も守られていません-過去6、7月間私たちと共に活動してきた労働組合は努力を強める必要があると決定しました。私たちはデモを組織して、開催されたデモはUSLAWのウェッブサイトにその写真が掲載されています。私たちはアメリカ軍によく知られています。彼らは私たちがさらにデモ行進をできないようにするために兵士とハンビー[軍用車]でデモを取り囲みます。彼らはデモの責任者をつかまえてある都市に投獄しようとあいました。アレキサンドリアでは、政府は否定的な対応を示し、要求に応えるどころか、労働者にもっと圧力をかけました。私たちはUSLAWや他の国によってもたらされた手紙を受け取り、そのおかげで彼らを引き下がらせました。しかし、彼らは労働者を脅迫する連中を送ってきました。


===石油産業会議について===

政府はしばらく石油産業会議を推進しましたが決して開催しませんでした。彼らは石油ガス法案が制定された後に開催したいのです。ですから何の日程も決まっていません。議会では、彼らは密室で何もかも決めてその後に形式的な投票のために議場に持ってきます。

 しかし、いまだに彼らはそこまでに至っていません。石油法案はシェルのような欧米の石油企業によって書かれたものです。

===アル・サドルについて===

彼はイランの政策を遂行することでイラク人によく知られています。彼の軍隊はイランによって多大な資金と援助を受けています。彼の私兵の評判は、イラク国内では殺人者であり爆弾攻撃者であるというものです。イラク国民議会の中での彼らのブロックは米軍の段階的な撤退を要求しました。アル・シャハリスタニ(石油大臣)は、政府はそのことから見てSOFAがアル・サドルに受け入れられると考えている、と言いました。政府はアル・サドルが反対したことに驚きました。イランは米軍が駐留することを全く望んでいませんし、それが彼の立場のもとなのです。

===殺された男性の妻や子どもたちがどうやって支えられているか===

 政府は財政支出を始めましたが非常に不十分です。家族の人数に関わりなく月に5万ディナール、すなわち40ドルです。それでは何もまかなえません。水も電気も買わなければならないし、家賃は高いです。それは象徴的なことです。子どもを養育する人を得るためだけに、他の誰かと結婚して第2夫人になることに同意する子持ちの女性が多いのは、これが理由なのです。売春や犯罪の増加については言うまでもありません。今では、臓器を売るために子どもを誘拐することさえやっています。若者は自分の臓器を売っています。女性を強奪して売春のために売り飛ばしたりしています。政府は傍観しているだけです。