IVAW(反戦イラク帰還兵の会)が、アフガニスタンへの派兵を拒否して投獄された反戦兵士が刑期より短い期間での釈放を勝ち取った闘いを報告しています
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
戦争拒否者のトラビス・ビショップがフォート・ルイス基地から釈放される
アフガニスタン戦争を拒否しているトラビス・ビショップが3月25日にフォート・ルイス基地の刑務所から釈放された。トラビスはもともとテキサス州のフォート・フード基地で良心を理由にアフガニスタンへの配備を拒否したために軍法会議において12ヶ月の禁固刑の判決を受けていた。その後、彼はフォート・フード基地の方面総監への情状酌量申請が成功したために3ヶ月短縮の刑期を受け、品行方正で特別刑期短縮も受けた。彼は全部で7ヶ月と12日の禁固刑を受け、また、三等軍曹から兵卒に降格し、未決懲戒除隊となった。
服役中に、トラビス・ビショップはアムネスティー・インターナショナルから良心の囚人として認定され、刑務所の中からブログを書いた。
彼はまた世界中の幾百人もの人々から支援を受けたが、その人たちは彼への激励だけでなく、軍当局に彼の釈放を要請する手紙を書いた。ビショップもフォート・ルイス基地の刑務所のひどい状態について声を上げ、その結果、施設が改善されたものもあっただけでなく、ルイスは刑務所の「最もむずかしい」囚人リストに記載されることとなった。
IVAWは2009年にアフガニスタン占領の継続を非難する決議を採択し、アフガニスタンへの配備に抵抗するトラビスの決意を全面的に支持している。
2010年4月29日木曜日
IVAW・兵士がイラク占領に反対する意義
IVAW(反戦イラク帰還兵の会)が、兵士がイラク占領に反対することの意義をHPに掲載しています。(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
ゲストのブログ投稿:見えないものを見えるようにして石油によって駆り立てられた戦争を終わらせる
ジョセフ・ユーハス、アントニア・ユーハス 2010年3月21日
IVAW(イラク反戦帰還兵士の会)HPから
我々は、父親と娘として、平和のための退役軍人の会の会員と反戦イラク帰還兵士の会の全国諮問委員として、心理学者と石油専門家として、以下の疑問に答えるために、このブログを一緒に書くことに決めた。すなわち、アフガニスタンやパキスタンにおける戦争と同様に、8年目に入ったイラクにおける戦争を終わらせるために、現役兵士と帰還兵士がどのような貢献の方法があるのか?という疑問である。我々は石油のための醜い戦争を始めるために利用された「心理的不可視」という戦術を暴露することの必要性に焦点を当てている。我々の答えは、IVAWが単に同じことをもっとやり続けなければならない、ということである。すなわち、戦争を可視化することなのだ。
私は1965年の春に正規の海軍の大尉としての仕事を辞めた。アジア大陸のおける長期間の地上戦が成功する展望は絶望的なものに見えていた。それ以上に、この敗北しつつある問題に道義的な正当化の根拠がなかったのである。唯一の名誉ある行為とは自らの剣をしまい、新たな人生を探し出すことであった。私は1965年にその結論に達した唯一のアメリカ軍兵士ではなかった。ベトナム戦争に向かう軍隊内部での大規模な辞職と消極的積極的抵抗がベトナム戦争を終わらせる唯一の理由ではなかったが、主要な理由の一つであったことは確かである。米国軍内部での同様の抵抗がもう一度今日の戦争を終わらせる鍵となっている。
我々はブッシュ政権が打ち倒され2008年に顕著な勝利を達成したのであり、「突破だ、そうだ、突破だ!」という選挙運動のスローガンで、イラク戦争を100年間続けるのだと誓った共和党候補は、イラク戦争を終わらせると公約した候補に支持が集まることによって拒否されたのである。残念ながら、政治的勝利の結果は、より広範な世論の中では戦争はすでに終わったのだという意識となり、今までに戦争ははっきりと終わらせられたはずだと考えていた人々にとって幻滅と不信感にさえなってしまった。
我々は、オバマ大統領がイラク戦争を大体(完全ではないにしても)終わらせるという彼の公約を実現する意志を持っていることは確信している。しかしながら、オバマ政権は、中東全体に地上基地を持つ米軍の恒久的な駐留を維持し拡大さえするという前政権から採用されている政策を継続していることも確信している。これは1965年にアメリカがベトナムに介入したのと同じくらい-おそらくそれ以上に-今日では擁護できない不道徳な代物である。中東に米軍が恒常的に駐留すると言うことには多数の目的があるが、その中で優先順位が高いのは、中東の石油と天然ガス資源の拠点獲得の追求である。
戦争の直接の結果として、エクソンモビール社やコノコフィリップス社やオクシデンタル社はこの30年以上でイラクにおける生産契約を受注した最初のアメリカの石油会社となった。エクソンモビール社は世界で2番目に大きい油田の契約を獲得した。イラクでなくても近隣地域で、こうした事業の安全性を確保し、さらに米国の企業が参入するという目的を達成するために、米軍の駐留が要請されそうだ。この契約は歴史的なものではあるが、石油の勝利は達成からはほど遠い。それはイラク国民、ヨーロッパ諸国民、IVAWを含むアメリカ人の継続した組織化の奮闘のせいである。この活動家たちは7年間にわたって石油問題に明るいスポットライトをあて、イラクの石油部門を完全な国有から、イラク石油法の制定によって外国の石油企業の所有と支配に道を開くほとんど民営化したシステムに変えようというブッシュ政権と石油企業の試みを妨げたのである。イラク国民が石油企業自身によって大部分が起草されたこの法律の制定に抵抗しただけでなく、契約を求めていた他の多数の米国の会社が、ロシアやアンゴラや中国などの企業が優位となって拒絶されたのである。
残念ながら、大手石油企業の政治的影響力は、バラク・オバマの当選と共に縮小しはしたが、無くなったという状態とはほど遠い。大手石油企業は今も世界で最も豊かな産業であり、政治の政策決定に影響を与える最も多額の「現金」を持っている。その利益は米国の政治体制全体に固く結びついてもいて、たとえオバマ大統領が取り除きたがっても彼と彼の政権はほとんどそんなことはできないほどである。残念ながら再びオバマ政権はそのようなことに対する関心を示しもしなかった。
石油ロビーの圧倒的な経済力は、石油と天然資源が無くなるまで、中東における駐留を維持しようとする抑えることのできない軍事的要求を作り出す。そのような長期の軍事的関与を維持するために、オバマ政権はブッシュの「心理的不可視」戦術を継続することに決めたのである。米国内の戦線では、戦争の真実を隠す平和の幻想が存在する。永久に続く軍事国家を維持する唯一の方法は、戦争が存在しない-すなわち、より正確には、米国本国の国民にとっては経費も結果もかかってこない戦争であると見せかけることである。
米国内の戦線では、これはアメリカの歴史上だけではなく、おそらく世界の歴史上においても、税金が下げられた初めての戦争である。企業にかかる戦争税はなく、戦争から利益を上げるのをやめろという要求はずっと少ない。それは「何も費用のかからない」、つまり「無料」の戦争である。
我々はだまされて、イラクとアフガニスタンで戦った200万人近い兵士と兵士の家族の推定1000万人がほとんど目に見えないかのように行動している。1944年には米国のどの町を歩いても、戦時公債や配給切符や前線に送る燃料を節約するためのマイカーの相乗り通勤といった様子を見ただろう。家々は家庭菜園を開き、大きな金星章が息子を失った家族の窓にかけられていた。今日、同じ通りを歩いて自問してみよう。「これが戦時中の国だろうか?」と。
この不可視性は様々な方法で作り出されている。戦争とは不愉快な現実であり、人々の目をそこからそらすのは簡単だ。徴兵制は存在しない。イラク帰還兵には国民の「帰国祝い」もない-彼らがそのために戦ってきた国に帰っても歓迎されないのである-過去の全ての戦争では、ベトナム戦争でさえ、帰還兵士には高い注目が集まったのに。従って、永続的な戦争を始めることができたのは、誰もそれに気づかないからなのである。そして気がついた人たちは忘れ去られるのである。
実際にはこれは4兆ドル近くを費やした戦争である。それはどうしても必要とされる人間への社会サービスに対処する能力をオバマ政権から取り上げた。我々はむしろ、世界がかつて知る中で最も豊かな産業に奉仕するのではなくても、明らかに支持して戦争の奨励金を支払っているのである-これが戦争をアメリカ国民から覆い隠すもう一つの理由である。石油大企業はアメリカ合衆国の中で最も憎むべき産業である。それは嫌われていると言うだけでなく、疑われている。その生産物でさえ、生産から、輸送、精製、販売に至るまで、簡単に言って「醜い」のである。従って、この戦争は、実際には特定の敵に対して戦われているのではない。「敵がいない」で我々が戦っているものの真実が公表されていないならば、戦っている「実在の」兵士もいないはずである。これの最も文字通りの結果は、無人飛行兵器の採用の増加と、無人飛行機を操縦する人々も、それによって殺される人々も、人間は誰も参加していない、という神話の永続である。
しかし我々は絶望していない。直近の選挙ではブッシュ政権が打倒された。石油の問題が世論の視野の中に残り、完全に成功したわけではない。より重要なことは、IVAWが「意外な剣の抜き方をする」比類のない力強い立場に立ち、2つの戦線における戦争、すなわち戦場における戦線と米国内の戦線を終わらせる闘いをしていることである。
戦場における戦線では、政府から戦争をする能力を取り上げる手段として消極的、積極的抵抗をするという選択肢のみがある。シェブロン社がカスピ海からの石油の送油を兵士に守らせたくても、兵士が戦うことを拒否すれば、シェブロン社は敗北する。
米国内の戦線においては、IVAWが自らとその会員を可視化しようとしている現在進行中の試みは、今日ではかつて無いはるかに大きな重要性を持っている。-それは戦争が続いていると言うことを明らかにするだけではなく、自らの実例を通じて、勝つことができる闘いであると過去が証明したものを続けるように他の人々を励ますのである。
※ジョセフ・ユーハスは環境心理学者でありコロラド大学の建築環境デザインの教授である。彼は「サイコロジー・トゥデー・マガジン」に定期的にブログを寄稿している。
※アントニア・ユーハスはグローバル・エクスチェンジのシェブロン・プログラムの責任者で、「石油の専制政治:世界で最も強力な産業とそれを止めるためにしなければならないこと」と「ブッシュの政策:世界を侵略する、一度に一つの経済」の著者である
ゲストのブログ投稿:見えないものを見えるようにして石油によって駆り立てられた戦争を終わらせる
ジョセフ・ユーハス、アントニア・ユーハス 2010年3月21日
IVAW(イラク反戦帰還兵士の会)HPから
我々は、父親と娘として、平和のための退役軍人の会の会員と反戦イラク帰還兵士の会の全国諮問委員として、心理学者と石油専門家として、以下の疑問に答えるために、このブログを一緒に書くことに決めた。すなわち、アフガニスタンやパキスタンにおける戦争と同様に、8年目に入ったイラクにおける戦争を終わらせるために、現役兵士と帰還兵士がどのような貢献の方法があるのか?という疑問である。我々は石油のための醜い戦争を始めるために利用された「心理的不可視」という戦術を暴露することの必要性に焦点を当てている。我々の答えは、IVAWが単に同じことをもっとやり続けなければならない、ということである。すなわち、戦争を可視化することなのだ。
私は1965年の春に正規の海軍の大尉としての仕事を辞めた。アジア大陸のおける長期間の地上戦が成功する展望は絶望的なものに見えていた。それ以上に、この敗北しつつある問題に道義的な正当化の根拠がなかったのである。唯一の名誉ある行為とは自らの剣をしまい、新たな人生を探し出すことであった。私は1965年にその結論に達した唯一のアメリカ軍兵士ではなかった。ベトナム戦争に向かう軍隊内部での大規模な辞職と消極的積極的抵抗がベトナム戦争を終わらせる唯一の理由ではなかったが、主要な理由の一つであったことは確かである。米国軍内部での同様の抵抗がもう一度今日の戦争を終わらせる鍵となっている。
我々はブッシュ政権が打ち倒され2008年に顕著な勝利を達成したのであり、「突破だ、そうだ、突破だ!」という選挙運動のスローガンで、イラク戦争を100年間続けるのだと誓った共和党候補は、イラク戦争を終わらせると公約した候補に支持が集まることによって拒否されたのである。残念ながら、政治的勝利の結果は、より広範な世論の中では戦争はすでに終わったのだという意識となり、今までに戦争ははっきりと終わらせられたはずだと考えていた人々にとって幻滅と不信感にさえなってしまった。
我々は、オバマ大統領がイラク戦争を大体(完全ではないにしても)終わらせるという彼の公約を実現する意志を持っていることは確信している。しかしながら、オバマ政権は、中東全体に地上基地を持つ米軍の恒久的な駐留を維持し拡大さえするという前政権から採用されている政策を継続していることも確信している。これは1965年にアメリカがベトナムに介入したのと同じくらい-おそらくそれ以上に-今日では擁護できない不道徳な代物である。中東に米軍が恒常的に駐留すると言うことには多数の目的があるが、その中で優先順位が高いのは、中東の石油と天然ガス資源の拠点獲得の追求である。
戦争の直接の結果として、エクソンモビール社やコノコフィリップス社やオクシデンタル社はこの30年以上でイラクにおける生産契約を受注した最初のアメリカの石油会社となった。エクソンモビール社は世界で2番目に大きい油田の契約を獲得した。イラクでなくても近隣地域で、こうした事業の安全性を確保し、さらに米国の企業が参入するという目的を達成するために、米軍の駐留が要請されそうだ。この契約は歴史的なものではあるが、石油の勝利は達成からはほど遠い。それはイラク国民、ヨーロッパ諸国民、IVAWを含むアメリカ人の継続した組織化の奮闘のせいである。この活動家たちは7年間にわたって石油問題に明るいスポットライトをあて、イラクの石油部門を完全な国有から、イラク石油法の制定によって外国の石油企業の所有と支配に道を開くほとんど民営化したシステムに変えようというブッシュ政権と石油企業の試みを妨げたのである。イラク国民が石油企業自身によって大部分が起草されたこの法律の制定に抵抗しただけでなく、契約を求めていた他の多数の米国の会社が、ロシアやアンゴラや中国などの企業が優位となって拒絶されたのである。
残念ながら、大手石油企業の政治的影響力は、バラク・オバマの当選と共に縮小しはしたが、無くなったという状態とはほど遠い。大手石油企業は今も世界で最も豊かな産業であり、政治の政策決定に影響を与える最も多額の「現金」を持っている。その利益は米国の政治体制全体に固く結びついてもいて、たとえオバマ大統領が取り除きたがっても彼と彼の政権はほとんどそんなことはできないほどである。残念ながら再びオバマ政権はそのようなことに対する関心を示しもしなかった。
石油ロビーの圧倒的な経済力は、石油と天然資源が無くなるまで、中東における駐留を維持しようとする抑えることのできない軍事的要求を作り出す。そのような長期の軍事的関与を維持するために、オバマ政権はブッシュの「心理的不可視」戦術を継続することに決めたのである。米国内の戦線では、戦争の真実を隠す平和の幻想が存在する。永久に続く軍事国家を維持する唯一の方法は、戦争が存在しない-すなわち、より正確には、米国本国の国民にとっては経費も結果もかかってこない戦争であると見せかけることである。
米国内の戦線では、これはアメリカの歴史上だけではなく、おそらく世界の歴史上においても、税金が下げられた初めての戦争である。企業にかかる戦争税はなく、戦争から利益を上げるのをやめろという要求はずっと少ない。それは「何も費用のかからない」、つまり「無料」の戦争である。
我々はだまされて、イラクとアフガニスタンで戦った200万人近い兵士と兵士の家族の推定1000万人がほとんど目に見えないかのように行動している。1944年には米国のどの町を歩いても、戦時公債や配給切符や前線に送る燃料を節約するためのマイカーの相乗り通勤といった様子を見ただろう。家々は家庭菜園を開き、大きな金星章が息子を失った家族の窓にかけられていた。今日、同じ通りを歩いて自問してみよう。「これが戦時中の国だろうか?」と。
この不可視性は様々な方法で作り出されている。戦争とは不愉快な現実であり、人々の目をそこからそらすのは簡単だ。徴兵制は存在しない。イラク帰還兵には国民の「帰国祝い」もない-彼らがそのために戦ってきた国に帰っても歓迎されないのである-過去の全ての戦争では、ベトナム戦争でさえ、帰還兵士には高い注目が集まったのに。従って、永続的な戦争を始めることができたのは、誰もそれに気づかないからなのである。そして気がついた人たちは忘れ去られるのである。
実際にはこれは4兆ドル近くを費やした戦争である。それはどうしても必要とされる人間への社会サービスに対処する能力をオバマ政権から取り上げた。我々はむしろ、世界がかつて知る中で最も豊かな産業に奉仕するのではなくても、明らかに支持して戦争の奨励金を支払っているのである-これが戦争をアメリカ国民から覆い隠すもう一つの理由である。石油大企業はアメリカ合衆国の中で最も憎むべき産業である。それは嫌われていると言うだけでなく、疑われている。その生産物でさえ、生産から、輸送、精製、販売に至るまで、簡単に言って「醜い」のである。従って、この戦争は、実際には特定の敵に対して戦われているのではない。「敵がいない」で我々が戦っているものの真実が公表されていないならば、戦っている「実在の」兵士もいないはずである。これの最も文字通りの結果は、無人飛行兵器の採用の増加と、無人飛行機を操縦する人々も、それによって殺される人々も、人間は誰も参加していない、という神話の永続である。
しかし我々は絶望していない。直近の選挙ではブッシュ政権が打倒された。石油の問題が世論の視野の中に残り、完全に成功したわけではない。より重要なことは、IVAWが「意外な剣の抜き方をする」比類のない力強い立場に立ち、2つの戦線における戦争、すなわち戦場における戦線と米国内の戦線を終わらせる闘いをしていることである。
戦場における戦線では、政府から戦争をする能力を取り上げる手段として消極的、積極的抵抗をするという選択肢のみがある。シェブロン社がカスピ海からの石油の送油を兵士に守らせたくても、兵士が戦うことを拒否すれば、シェブロン社は敗北する。
米国内の戦線においては、IVAWが自らとその会員を可視化しようとしている現在進行中の試みは、今日ではかつて無いはるかに大きな重要性を持っている。-それは戦争が続いていると言うことを明らかにするだけではなく、自らの実例を通じて、勝つことができる闘いであると過去が証明したものを続けるように他の人々を励ますのである。
※ジョセフ・ユーハスは環境心理学者でありコロラド大学の建築環境デザインの教授である。彼は「サイコロジー・トゥデー・マガジン」に定期的にブログを寄稿している。
※アントニア・ユーハスはグローバル・エクスチェンジのシェブロン・プログラムの責任者で、「石油の専制政治:世界で最も強力な産業とそれを止めるためにしなければならないこと」と「ブッシュの政策:世界を侵略する、一度に一つの経済」の著者である
イラク戦争は国際法違反・オランダ独立調査委員会報告
1月12日、オランダ政府が任命した独立調査委員会報告(ダービッズ・レポート)が公表されました。その結論部分の日本語訳です。特に7、18、20などが重要だと思います。
7.では「米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。」としています。
オランダ政府がイラクのフセイン政権打倒を支持するという間違った行動をしたことを認めているのです。
18.では「1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。」
「国連安全保障理事会第1441号決議の文言は…イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。」としています。
1990年代と対イラク開戦直前の国連決議によっては対イラク軍事行動は正当化できないと断言しているのです。20.では、対イラクの軍事行動は、「その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。」と明言しています。対イラク戦争は国際法違反であったと宣言しているのです。
この報告書はオランダの世論がイラク戦争に圧倒的に反対していたことも認めています。そしてオランダのみならず、世界の反戦運動の重要な成果であると思います。ここから、そんな国際法違反をやった政治指導者たちの戦争責任を追求する闘いへの進む根拠にすることができると思います。ブッシュ、ブレア、小泉たちです。すでにブレアは国会に召還されました。日本でもイラク、アフガニスタン侵略・占領の戦争責任を追及する闘いを進めましょう。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
オランダ政府・独立調査委員会報告書(ダービッズ・レポート)
2010年1月12日公表
http://download.onderzoekscommissie-irak.nl/conclusions_rapport_commissie_irak.pdf
結論
1.イラク戦争に対するオランダの政治的支持に関する決定についての調査がもっと早く行われているほうが好ましかっただろう。
2.グレーン・リンクス(緑の党)とその後のSP(社会党)をのぞいて下院に議席を持つ全ての政党が国連安全保障理事会によって認められなかった要素も含めて1991年から2001年2月までの米国・英国による対イラク軍事行動を支持した。その期間、反対の声を上げる閣僚もいて1998年末の砂漠の狐作戦に閣内で反対意見があったが、全てのオランダの政権は政党構成に関わりなくその軍事行動を同様に支持した。世論は反対意見が顕著であった。
3.2002-2003年の期間、オランダ国内でイラク問題に関する論争が、騒然とした社会的政治的状況の中で起こった。この不安定な政治情勢の下で、オランダは国内問題に心を奪われていた。その結果、この問題は一定の範囲のメディアによって取り上げられたにもかかわらず、イラクについての大きな世論の論議は起こらなかった。
4.対イラク戦争に軍事的には参加しないというオランダ政府の決定は当時の世論調査に反映されたオランダ国民の大多数の意見と一致していた。国連安全保障理事会によって命じられていなかったという事実があるにもかかわらず対イラク戦争に政治的支持を表明するという決定は、世論調査に反映したオランダの世論の多数意見とは一致していなかった。
5.2002年8月はじめに、デ・ホープス・シェッフェル新外務大臣は、イラク問題について外務省職員に助言を求めた。この相談は、この問題に関する下院議会に対して外務大臣が最初に書いた演説文書の中に書かれている政治原則の基礎となった(2002年9月4日)。内閣も、バルケネンデ首相も、コルサルス国防大臣も、この演説文書について事前に相談を受けていなかった。この演説文書は政府の政策の基礎となり、最終的には2003年3月18日の政策文書の中に示された。
6.首相はイラク問題に関する議論をほとんどか全くリードしなかった。首相はイラク問題を全部外務大臣に任せてしまった。2003年1月になってやっと、首相はこの問題に強い関心を持った。しかしながら、その時までに、外務大臣によって明示された立場は政府の政策として確固として確立されていた。
7.当初、オランダは米国・英国の立場と同一歩調を取り、その結果イラク侵攻に至ることとなった。しかしながら、オランダは米国によって主張された体制変革戦略には国際法の根拠がないという見解を有していた。従ってオランダの政策は、イラクが保有していると推測されていた大量破壊兵器(WMD)の中和化とその後の国連安全保障理事会決議の遵守に向けられ続けた。しかしながら、米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。
8.2002年8月に外務大臣によって定められた政策原則の中で、国際法の下での正当性の問題は副次的なものであった。同様に、情報機関や兵器査察報告によって提供される情報を重視することは不十分であった。
9.オランダ政府と連立与党は2002年9月に採用された立場を維持すると確固として決意していた。すなわち、対イラク政策について政府と議会の間で十分な意見交換はしない、ということである。
10.イラク問題はPvdA(労働党)とCDA(キリスト教民主党)の間の連立協議では大きな扱いを受けなかった。バルケネンデとボスは米国と英国によるイラク侵攻への政治的支持を表明するという政府の決定をPvdAが支持することに関する明確な合意に達しなかった。
11.2003年3月17、18日に開催された閣議において、「政治的支援」の明確な意味は明らかにされなかった。それが誤解への扉を開いた。その範囲は3月18日に下院に提出された声明文が「政治的支援」についての明確な言及を含んでいなかったという事実によって広げられた。しかしながらこの言葉は以降の下院での論争の中で使われたのである。
12.2008年3月17日、バルケネンデはボス(PvdAの指導者で連立政権のパートナーの見込みであった)に、オランダは米国が主導する「有志連合」の一員の中に入れる行動は取らないと知らせた。とはいえ、オランダが有志連合のリストに挙げられていたという事実は外務大臣が自らの要請する指示をワシントンのオランダ大使に送らなかったことが原因である。
13.米国はオランダと他の諸国が表明した政治的支持から利益を得たのは、それが地球規模でのイラク侵攻に対する支援(有志連合)を増やしたからである。米国はオランダの政治的、(国防軍の)軍事的支援を獲得するのにたいして大きな圧力をかける必要はなかった。オランダは政治的支援と軍事的支援の間に明確な区別を付けていた。しかしこの区別はアメリカには必ずしも認識されていなかった。
14.イラク侵攻を支持するという決定は主に国際政治上の考慮に基づいて行われた。第一に、主要にはNATO加盟国間の暗黙の連帯が考慮された。第二に、オランダの対イラク政策を継続したいという願望があった。しかしながらそのような継続というものは、2003年までに米国と英国が追求していた目的が、1990年代に追求していたものとは大いに異なっていたのだから、疑わしい。米国と英国は、侵攻をねらった行動を取ることから、外国がイラクを占領する結果になる侵略へと移行していたのである。
15.本委員会は米国、英国によるイラク侵攻に対する政治的支持の表明がオランダの通商上の利益が動機となって行われたという証拠は発見できなかった。しかしながら、それはオランダの経済界が戦後のイラクで公平な競争の場が存在することで利益を手に入れそうな事例であった。
16.EU内部で意見が二分していたために、EU全体の一致した立場というものは取れそうもなかった。米国と英国に賛成する立場を取ることによって、オランダは、主として一方の英国と他方のドイツ及びフランスの間に立つことを望まれる仲介者としての立場を果たす可能性を失った。本委員会が検証した期間で「大西洋岸の反応」がヨーロッパを中心とした反応へと広がった。
17.NATOの内部では、オランダは米国・英国の立場を取った。オランダはトルコに対する防衛力を提供するのに賛成する合意を取る試みを支持した。しかし、オランダはアメリカの要請に応えてすでに初期段階でパトリオット・ミサイルをトルコに提供する時には単独行動を取った。
18.1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。一定の曖昧な表現は存在するが、国連安全保障理事会第1441号決議の文言は(オランダ政府が行ったように)イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。
19.オランダはいわゆる「第2の決議」を非常に重視するとたいへん明確にしていたが、この立場はオランダ政府が第2の決議が政治的には望ましいが法律的には絶対に必要なものではないと首尾一貫して付け加えたために抑えられた。
20.オランダ政府が第2の決議は「政治的には望ましいが、法律的には絶対に必要なものではない」と何度も繰り返した見解を擁護することは容易ではない。国連安全保障理事会第1441号決議の文言と範囲はそのような第2の決議として解釈することはできない。従って、その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。
21.外務省の中で採用された国際法の解釈は徹底した最新の法的分析に基づいたものではなかった。イラクに対する武力の行使の正当性に関して外務省内部に意見の相違が存在したことは極めて不幸なことであった。
22.一般に、調整が行われなければならない―たとえば改善した組織体制の形態によってである―国際法に基づいた助言が外務省内部とそれに続いて政府全体によって政策決定のプロセスで適切に考慮されるように確実にするためである。そのような調整はオランダの外交政策の長い伝統と国際法の支配の発展を推進するというオランダ政府の憲法上の義務に合致しなければならない。
23.2003年初めに、オランダはイラクが武装解除をしたかどうかを確認するためにより多くの時間を武器査察官に与えることに賛成しなかった。
24.オランダは米国に対して、国連がイラクの戦後の安定と再建に顕著な役割を与えられることを受け入れるように要請した。オランダ政府は米国が紛争終結後の段階の準備をしていないことを知っていたにもかかわらず、そのことがイラク戦争に対する政治的支持を与える決定をする際に何の役割も果たさなかった。
25.オランダ政府はUNMOVIC[イラク問題に関する国連監査検証査察委員会]によおる報告の解釈を取捨選択した。そのために、外務省はUNMOVIC報告の微妙な表現を反映させなかった。
26.オランダの情報機関の内部では、AIVD(情報治安総局)もMIVD(軍情報治安局)もイラクのWMD[大量破壊兵器]計画に関する独立の情報源の情報を大して持っていなかった。どちらの情報局も、大部分は国連武器査察官の報告と外国の情報機関から提供される情報をもとにして評価を下していた。
27.MIVDはまず入手した情報を独自の軍事技術分析にゆだねた。その分析と関連して、イラクのWMD使用能力は限られたものであることが強調された。しかし、2003年初め以後は、入手される情報をそれ以上に批判的に分析することはおこなわれなかった。
28.AIVDはイラクのWMD計画の内部分析をほとんど行わなかった。しかしながら、AIVDはその非拡散の任務と関連してオランダ国内でイラクが調達しようという試みの監視はしていた。
29.この時期全体を通して、MIVDとAIVDはイラクのWMD計画による危険の分析については、政府の閣僚が下院に伝えていたものよりも控えめであった。
30.WMDに関してAIVDと特にMIVDによって作成された報告は他の国の公開された報告よりも微妙な表現をしていた。こうした微妙な表現は関係閣僚や省庁には反映されず、むしろ、閣僚や省庁はすでに採用された立場と一致した情報局報告の記述から引用をした。イラクのWMD計画を描く際に、オランダ政府は相当程度米国や英国の公的及び他の情報に導かれた。
31.戦争前には、イラクのWMD計画による脅威に関して下院の中で重要な議論は行わなかった。戦争後、WMDが発見されず、他の諸国の情報機関の活動についての批判的な報告が現れ始めて、やっとその論議が本格的に始まった。実際に論議が始まってみると、政府の下院に対する説明は、AIVDとMIVDがそれらの情報機関が実際にしたよりもっと大きな役割をしたせいだとした。
32.議会の情報治安機関委員会(「治安委員会」)との議論の中で、政府はMIVDとAIVDによって作成された報告の微妙な部分にはふれなかった。委員会によって報告された事実とは反対に、国防大臣は、AIVDとMIVDの報告が、省庁によって作成された公的な声明に一致しないと断言した。
33.政府は、イラクに国連安全保障理事会第1441号決議を満たさせるための軍事力動員の計画への協力に関する、2002年11月15日のアメリカによってオランダになされた要請の内容を議会に十分には明らかにしなかった。
34.カンプ(国防)大臣とデ・ホープス・シェッフェル(外務)大臣によってなされた米国の要請についての説明が、軍事介入に関する内閣の議論や、2003年3月25日にデ・ブアー副大臣の書いた説明とは異なっていることから、イラク侵攻の直前まで、米国がオランダに要請したことと、米国の要請に関して従うべき政策について混乱が存在した。直接関与をしていない閣僚は米国の要請の性質と内容を十分には知らされていなかった。
35.米国の要請に応えて適用するオランダの支援の性格に関する米国との協議の中で、オランダは実際の軍事的支援を提供するどんな決定も、オランダ自身の判断をもとにしなければならないと要求した。従って、オランダは実際の軍事的支援に関しては独立した決定権を保持した。
36.パトリオット・ミサイルが純粋に防衛的なものであると見なすという状況の中では、オランダ政府が攻撃兵器と防衛兵器の区別をしても、疑わしいことである。
37.オランダ政府は、2003年2月17日(実際の支援が始まった日)の声明文の前に、オランダ王国の条約上の義務を満たすにあたっての米軍受け入れ国支援協定の条文について議会に対して何の情報も提供しなかった。もっと早く情報を伝えなかったことは、適切な時期に議会に情報を伝えるという政府の約束に反するものであった。
38.不朽の自由作戦[2001年10月7日、米軍・英軍が開始した対アフガニスタン軍事作戦]に関連して、オランダのフリゲート艦ヴァン・ネス号が、米国軍・英国軍の侵攻兵力の増強に参加する艦船を護衛するためにアラビア半島沖の国際海域に数回派遣された。フリゲート艦を派遣することで、オランダは国際的な軍事作戦の信頼されるパートナーとしての声望を守ろうとしていた。オランダの潜水艦ワルラス号は連合軍の増強には全く関与しなかった。
39.本委員会はオランダがイラク侵攻(の準備)に積極的な軍事的貢献をしたといううわさを裏付ける証拠を見つけられなかった。
40.2003年3月22日にカタールで米国のフランクス将軍によって開かれた記者会見にオランダの士官が出席していたことは誤解と間違った指示の結果であった。問題となった士官は非難されるべきではなかった。国防省の組織的な欠陥から生まれた誤解である限り、カンプ国防大臣に政治的責任があった。
41.国防省は、イラク戦争開始の直前ではなく、もっと早くオランダ軍の交換士官を英国の軍艦から撤収させることが望ましかったであろう。そうすればオランダ海軍に対して引きおこされた不必要な怒りは避けられただろう。
42.2003年3月17日に、対イラク軍事作戦のためにフリゲート艦を「名称変更する」などのアメリカによる多数の目立った要請には応じないと決定された時、政府はPVDAの見解を受け入れていた。
43.閣内では、能動的な軍事的参加を控えるために引き合いに出された理由には、軍事攻撃支援を米国は要請していないことや、参戦に国民の支持がないことが含まれていた。下院では、政府は参戦に国民の支持がないことを強調した。
44.コック第1次内閣とコック第2次内閣を代表し、オランダ憲法100条の適用とオランダ軍の参戦に関する2001年の評価枠組みについて下院の検証を行っている時期に出された内閣声明は、いくつかの点で互いに矛盾し合い、必ずしも明確なものではなかった。たとえばイラク問題の討議の関係では、憲法100条は下院が政府の決定を承認する権利を与えていると決めてかかられる時もあったが、その一方ではこの場合には当てはまらないと(正しく)表明されることもあった。
[(訳注)オランダ憲法100条:外国軍は議会の法律に従わずに配備してはならない。
Article 100: Foreign troops shall not be employed other than pursuant to an Act of Parliament.]
45.政府がトルコ東部へのパトリオット・ミサイルの配備と付随する兵員の配置に憲法100条を適用しなかったのは誤りである。配備がオランダのNATO条約上の義務によって避けがたいという主張は条文の文言とその法元の両方に相反する。国防省はいまだに条約上の義務に従って軍事力を配備したり使用することに憲法100条は適用されないという教義に固執している。当委員会はこうした見解を共有しない。
46.憲法100条の文言はオランダの領土上における軍事力の配備ないし利用に関する場合の適用に関しては2通りに解釈できる。しかしながら、2001年の評価枠はこの条項がこのような場合には当てはまらないことを明確に表明している。
47.憲法100条が2003年3月18日の表明によって下院に伝えられた決定に適用できないのは、その決定が軍事力の配備か利用と関係がなかったからである。
48.イラク戦争に対する政治的支持を送るという決定はデ・ホープス・シェッフェル大臣をNATO事務総長に任命するかも知れないことに影響は受けなかった。
49.本委員会は、閲覧に具するいくつかの国家機密文書の機密区分について疑問を持つ。この政策は歴史上の調査や実情調査を過度に妨げると見なされる。当委員会は文書の機密区分が定期的な再検討を受けるようなシステムを導入することを提案する。これは国立公文書館と、教育文化科学省の適切な仕事と思われるだろうし、後者の文書記録がそこに所属する
7.では「米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。」としています。
オランダ政府がイラクのフセイン政権打倒を支持するという間違った行動をしたことを認めているのです。
18.では「1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。」
「国連安全保障理事会第1441号決議の文言は…イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。」としています。
1990年代と対イラク開戦直前の国連決議によっては対イラク軍事行動は正当化できないと断言しているのです。20.では、対イラクの軍事行動は、「その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。」と明言しています。対イラク戦争は国際法違反であったと宣言しているのです。
この報告書はオランダの世論がイラク戦争に圧倒的に反対していたことも認めています。そしてオランダのみならず、世界の反戦運動の重要な成果であると思います。ここから、そんな国際法違反をやった政治指導者たちの戦争責任を追求する闘いへの進む根拠にすることができると思います。ブッシュ、ブレア、小泉たちです。すでにブレアは国会に召還されました。日本でもイラク、アフガニスタン侵略・占領の戦争責任を追及する闘いを進めましょう。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
オランダ政府・独立調査委員会報告書(ダービッズ・レポート)
2010年1月12日公表
http://download.onderzoekscommissie-irak.nl/conclusions_rapport_commissie_irak.pdf
結論
1.イラク戦争に対するオランダの政治的支持に関する決定についての調査がもっと早く行われているほうが好ましかっただろう。
2.グレーン・リンクス(緑の党)とその後のSP(社会党)をのぞいて下院に議席を持つ全ての政党が国連安全保障理事会によって認められなかった要素も含めて1991年から2001年2月までの米国・英国による対イラク軍事行動を支持した。その期間、反対の声を上げる閣僚もいて1998年末の砂漠の狐作戦に閣内で反対意見があったが、全てのオランダの政権は政党構成に関わりなくその軍事行動を同様に支持した。世論は反対意見が顕著であった。
3.2002-2003年の期間、オランダ国内でイラク問題に関する論争が、騒然とした社会的政治的状況の中で起こった。この不安定な政治情勢の下で、オランダは国内問題に心を奪われていた。その結果、この問題は一定の範囲のメディアによって取り上げられたにもかかわらず、イラクについての大きな世論の論議は起こらなかった。
4.対イラク戦争に軍事的には参加しないというオランダ政府の決定は当時の世論調査に反映されたオランダ国民の大多数の意見と一致していた。国連安全保障理事会によって命じられていなかったという事実があるにもかかわらず対イラク戦争に政治的支持を表明するという決定は、世論調査に反映したオランダの世論の多数意見とは一致していなかった。
5.2002年8月はじめに、デ・ホープス・シェッフェル新外務大臣は、イラク問題について外務省職員に助言を求めた。この相談は、この問題に関する下院議会に対して外務大臣が最初に書いた演説文書の中に書かれている政治原則の基礎となった(2002年9月4日)。内閣も、バルケネンデ首相も、コルサルス国防大臣も、この演説文書について事前に相談を受けていなかった。この演説文書は政府の政策の基礎となり、最終的には2003年3月18日の政策文書の中に示された。
6.首相はイラク問題に関する議論をほとんどか全くリードしなかった。首相はイラク問題を全部外務大臣に任せてしまった。2003年1月になってやっと、首相はこの問題に強い関心を持った。しかしながら、その時までに、外務大臣によって明示された立場は政府の政策として確固として確立されていた。
7.当初、オランダは米国・英国の立場と同一歩調を取り、その結果イラク侵攻に至ることとなった。しかしながら、オランダは米国によって主張された体制変革戦略には国際法の根拠がないという見解を有していた。従ってオランダの政策は、イラクが保有していると推測されていた大量破壊兵器(WMD)の中和化とその後の国連安全保障理事会決議の遵守に向けられ続けた。しかしながら、米国・英国の行動の結果が体制変革をもたらすだろうことは不可避であった。オランダ政府は、オランダ政府の政策と一致しない目的を持つ戦争に政治的支持を貸し与えたのである。従って、オランダの立場はある程度不誠実なものであったと言うことができる。
8.2002年8月に外務大臣によって定められた政策原則の中で、国際法の下での正当性の問題は副次的なものであった。同様に、情報機関や兵器査察報告によって提供される情報を重視することは不十分であった。
9.オランダ政府と連立与党は2002年9月に採用された立場を維持すると確固として決意していた。すなわち、対イラク政策について政府と議会の間で十分な意見交換はしない、ということである。
10.イラク問題はPvdA(労働党)とCDA(キリスト教民主党)の間の連立協議では大きな扱いを受けなかった。バルケネンデとボスは米国と英国によるイラク侵攻への政治的支持を表明するという政府の決定をPvdAが支持することに関する明確な合意に達しなかった。
11.2003年3月17、18日に開催された閣議において、「政治的支援」の明確な意味は明らかにされなかった。それが誤解への扉を開いた。その範囲は3月18日に下院に提出された声明文が「政治的支援」についての明確な言及を含んでいなかったという事実によって広げられた。しかしながらこの言葉は以降の下院での論争の中で使われたのである。
12.2008年3月17日、バルケネンデはボス(PvdAの指導者で連立政権のパートナーの見込みであった)に、オランダは米国が主導する「有志連合」の一員の中に入れる行動は取らないと知らせた。とはいえ、オランダが有志連合のリストに挙げられていたという事実は外務大臣が自らの要請する指示をワシントンのオランダ大使に送らなかったことが原因である。
13.米国はオランダと他の諸国が表明した政治的支持から利益を得たのは、それが地球規模でのイラク侵攻に対する支援(有志連合)を増やしたからである。米国はオランダの政治的、(国防軍の)軍事的支援を獲得するのにたいして大きな圧力をかける必要はなかった。オランダは政治的支援と軍事的支援の間に明確な区別を付けていた。しかしこの区別はアメリカには必ずしも認識されていなかった。
14.イラク侵攻を支持するという決定は主に国際政治上の考慮に基づいて行われた。第一に、主要にはNATO加盟国間の暗黙の連帯が考慮された。第二に、オランダの対イラク政策を継続したいという願望があった。しかしながらそのような継続というものは、2003年までに米国と英国が追求していた目的が、1990年代に追求していたものとは大いに異なっていたのだから、疑わしい。米国と英国は、侵攻をねらった行動を取ることから、外国がイラクを占領する結果になる侵略へと移行していたのである。
15.本委員会は米国、英国によるイラク侵攻に対する政治的支持の表明がオランダの通商上の利益が動機となって行われたという証拠は発見できなかった。しかしながら、それはオランダの経済界が戦後のイラクで公平な競争の場が存在することで利益を手に入れそうな事例であった。
16.EU内部で意見が二分していたために、EU全体の一致した立場というものは取れそうもなかった。米国と英国に賛成する立場を取ることによって、オランダは、主として一方の英国と他方のドイツ及びフランスの間に立つことを望まれる仲介者としての立場を果たす可能性を失った。本委員会が検証した期間で「大西洋岸の反応」がヨーロッパを中心とした反応へと広がった。
17.NATOの内部では、オランダは米国・英国の立場を取った。オランダはトルコに対する防衛力を提供するのに賛成する合意を取る試みを支持した。しかし、オランダはアメリカの要請に応えてすでに初期段階でパトリオット・ミサイルをトルコに提供する時には単独行動を取った。
18.1990年代に国連安全保障理事会で採択した対イラク決議は2003年に米国と英国が軍事侵攻する際の権限付与を行ってはいなかった。一定の曖昧な表現は存在するが、国連安全保障理事会第1441号決議の文言は(オランダ政府が行ったように)イラクに安全保障理事会決議に従うことを強制するために安全保障理事会の委任を受けることなく軍事力を行使することを個別の安全保障理事国に認めるものであると合理的に解釈することはできない。
19.オランダはいわゆる「第2の決議」を非常に重視するとたいへん明確にしていたが、この立場はオランダ政府が第2の決議が政治的には望ましいが法律的には絶対に必要なものではないと首尾一貫して付け加えたために抑えられた。
20.オランダ政府が第2の決議は「政治的には望ましいが、法律的には絶対に必要なものではない」と何度も繰り返した見解を擁護することは容易ではない。国連安全保障理事会第1441号決議の文言と範囲はそのような第2の決議として解釈することはできない。従って、その軍事行動は国際法の下では何らの有効な権限付与も受けていなかったのである。
21.外務省の中で採用された国際法の解釈は徹底した最新の法的分析に基づいたものではなかった。イラクに対する武力の行使の正当性に関して外務省内部に意見の相違が存在したことは極めて不幸なことであった。
22.一般に、調整が行われなければならない―たとえば改善した組織体制の形態によってである―国際法に基づいた助言が外務省内部とそれに続いて政府全体によって政策決定のプロセスで適切に考慮されるように確実にするためである。そのような調整はオランダの外交政策の長い伝統と国際法の支配の発展を推進するというオランダ政府の憲法上の義務に合致しなければならない。
23.2003年初めに、オランダはイラクが武装解除をしたかどうかを確認するためにより多くの時間を武器査察官に与えることに賛成しなかった。
24.オランダは米国に対して、国連がイラクの戦後の安定と再建に顕著な役割を与えられることを受け入れるように要請した。オランダ政府は米国が紛争終結後の段階の準備をしていないことを知っていたにもかかわらず、そのことがイラク戦争に対する政治的支持を与える決定をする際に何の役割も果たさなかった。
25.オランダ政府はUNMOVIC[イラク問題に関する国連監査検証査察委員会]によおる報告の解釈を取捨選択した。そのために、外務省はUNMOVIC報告の微妙な表現を反映させなかった。
26.オランダの情報機関の内部では、AIVD(情報治安総局)もMIVD(軍情報治安局)もイラクのWMD[大量破壊兵器]計画に関する独立の情報源の情報を大して持っていなかった。どちらの情報局も、大部分は国連武器査察官の報告と外国の情報機関から提供される情報をもとにして評価を下していた。
27.MIVDはまず入手した情報を独自の軍事技術分析にゆだねた。その分析と関連して、イラクのWMD使用能力は限られたものであることが強調された。しかし、2003年初め以後は、入手される情報をそれ以上に批判的に分析することはおこなわれなかった。
28.AIVDはイラクのWMD計画の内部分析をほとんど行わなかった。しかしながら、AIVDはその非拡散の任務と関連してオランダ国内でイラクが調達しようという試みの監視はしていた。
29.この時期全体を通して、MIVDとAIVDはイラクのWMD計画による危険の分析については、政府の閣僚が下院に伝えていたものよりも控えめであった。
30.WMDに関してAIVDと特にMIVDによって作成された報告は他の国の公開された報告よりも微妙な表現をしていた。こうした微妙な表現は関係閣僚や省庁には反映されず、むしろ、閣僚や省庁はすでに採用された立場と一致した情報局報告の記述から引用をした。イラクのWMD計画を描く際に、オランダ政府は相当程度米国や英国の公的及び他の情報に導かれた。
31.戦争前には、イラクのWMD計画による脅威に関して下院の中で重要な議論は行わなかった。戦争後、WMDが発見されず、他の諸国の情報機関の活動についての批判的な報告が現れ始めて、やっとその論議が本格的に始まった。実際に論議が始まってみると、政府の下院に対する説明は、AIVDとMIVDがそれらの情報機関が実際にしたよりもっと大きな役割をしたせいだとした。
32.議会の情報治安機関委員会(「治安委員会」)との議論の中で、政府はMIVDとAIVDによって作成された報告の微妙な部分にはふれなかった。委員会によって報告された事実とは反対に、国防大臣は、AIVDとMIVDの報告が、省庁によって作成された公的な声明に一致しないと断言した。
33.政府は、イラクに国連安全保障理事会第1441号決議を満たさせるための軍事力動員の計画への協力に関する、2002年11月15日のアメリカによってオランダになされた要請の内容を議会に十分には明らかにしなかった。
34.カンプ(国防)大臣とデ・ホープス・シェッフェル(外務)大臣によってなされた米国の要請についての説明が、軍事介入に関する内閣の議論や、2003年3月25日にデ・ブアー副大臣の書いた説明とは異なっていることから、イラク侵攻の直前まで、米国がオランダに要請したことと、米国の要請に関して従うべき政策について混乱が存在した。直接関与をしていない閣僚は米国の要請の性質と内容を十分には知らされていなかった。
35.米国の要請に応えて適用するオランダの支援の性格に関する米国との協議の中で、オランダは実際の軍事的支援を提供するどんな決定も、オランダ自身の判断をもとにしなければならないと要求した。従って、オランダは実際の軍事的支援に関しては独立した決定権を保持した。
36.パトリオット・ミサイルが純粋に防衛的なものであると見なすという状況の中では、オランダ政府が攻撃兵器と防衛兵器の区別をしても、疑わしいことである。
37.オランダ政府は、2003年2月17日(実際の支援が始まった日)の声明文の前に、オランダ王国の条約上の義務を満たすにあたっての米軍受け入れ国支援協定の条文について議会に対して何の情報も提供しなかった。もっと早く情報を伝えなかったことは、適切な時期に議会に情報を伝えるという政府の約束に反するものであった。
38.不朽の自由作戦[2001年10月7日、米軍・英軍が開始した対アフガニスタン軍事作戦]に関連して、オランダのフリゲート艦ヴァン・ネス号が、米国軍・英国軍の侵攻兵力の増強に参加する艦船を護衛するためにアラビア半島沖の国際海域に数回派遣された。フリゲート艦を派遣することで、オランダは国際的な軍事作戦の信頼されるパートナーとしての声望を守ろうとしていた。オランダの潜水艦ワルラス号は連合軍の増強には全く関与しなかった。
39.本委員会はオランダがイラク侵攻(の準備)に積極的な軍事的貢献をしたといううわさを裏付ける証拠を見つけられなかった。
40.2003年3月22日にカタールで米国のフランクス将軍によって開かれた記者会見にオランダの士官が出席していたことは誤解と間違った指示の結果であった。問題となった士官は非難されるべきではなかった。国防省の組織的な欠陥から生まれた誤解である限り、カンプ国防大臣に政治的責任があった。
41.国防省は、イラク戦争開始の直前ではなく、もっと早くオランダ軍の交換士官を英国の軍艦から撤収させることが望ましかったであろう。そうすればオランダ海軍に対して引きおこされた不必要な怒りは避けられただろう。
42.2003年3月17日に、対イラク軍事作戦のためにフリゲート艦を「名称変更する」などのアメリカによる多数の目立った要請には応じないと決定された時、政府はPVDAの見解を受け入れていた。
43.閣内では、能動的な軍事的参加を控えるために引き合いに出された理由には、軍事攻撃支援を米国は要請していないことや、参戦に国民の支持がないことが含まれていた。下院では、政府は参戦に国民の支持がないことを強調した。
44.コック第1次内閣とコック第2次内閣を代表し、オランダ憲法100条の適用とオランダ軍の参戦に関する2001年の評価枠組みについて下院の検証を行っている時期に出された内閣声明は、いくつかの点で互いに矛盾し合い、必ずしも明確なものではなかった。たとえばイラク問題の討議の関係では、憲法100条は下院が政府の決定を承認する権利を与えていると決めてかかられる時もあったが、その一方ではこの場合には当てはまらないと(正しく)表明されることもあった。
[(訳注)オランダ憲法100条:外国軍は議会の法律に従わずに配備してはならない。
Article 100: Foreign troops shall not be employed other than pursuant to an Act of Parliament.]
45.政府がトルコ東部へのパトリオット・ミサイルの配備と付随する兵員の配置に憲法100条を適用しなかったのは誤りである。配備がオランダのNATO条約上の義務によって避けがたいという主張は条文の文言とその法元の両方に相反する。国防省はいまだに条約上の義務に従って軍事力を配備したり使用することに憲法100条は適用されないという教義に固執している。当委員会はこうした見解を共有しない。
46.憲法100条の文言はオランダの領土上における軍事力の配備ないし利用に関する場合の適用に関しては2通りに解釈できる。しかしながら、2001年の評価枠はこの条項がこのような場合には当てはまらないことを明確に表明している。
47.憲法100条が2003年3月18日の表明によって下院に伝えられた決定に適用できないのは、その決定が軍事力の配備か利用と関係がなかったからである。
48.イラク戦争に対する政治的支持を送るという決定はデ・ホープス・シェッフェル大臣をNATO事務総長に任命するかも知れないことに影響は受けなかった。
49.本委員会は、閲覧に具するいくつかの国家機密文書の機密区分について疑問を持つ。この政策は歴史上の調査や実情調査を過度に妨げると見なされる。当委員会は文書の機密区分が定期的な再検討を受けるようなシステムを導入することを提案する。これは国立公文書館と、教育文化科学省の適切な仕事と思われるだろうし、後者の文書記録がそこに所属する
2010年1月26日火曜日
UFPJ(平和と正義のための連合)がアフガンへの派兵拡大に反対
アメリカ最大の反戦団体の連合体であるUFPJ(平和と正義のための連合)が、オバマ政権による対アフガニスタン派兵拡大、軍事予算に反対しています。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
これ以上戦争はできない!
UFPJ(平和と正義のための連合) 2010年1月25日
12月1日にオバマ大統領が3万人の追加兵力を送ってアフガニスタン戦争を拡大すると発表して以来、オバマ政権の戦争政策の悲惨な失敗はますます明らかになっている。
今週、米国・英国・欧州・国連・アフガニスタンの指導者達がアフガニスタン問題の国際会議を開催する。この会議の目的は、無駄で勝目のない戦争に強く反対している欧州世論と国際世論の流れを変え、追加兵力の誓約を引き出すことである。英国の反戦運動はこの会議を阻止するために大挙押し寄せるだろうし、われわれも米国内で圧力をかけ続けなければならない。
*あなたの選挙区の国会議員に戦争予算に反対投票をするように言おう。電話番号は202-224-3121。
*あなたの選挙区の国会議員の事務所で2月17日と毎月、ブラウン・バッグ・ランチ・ビジルに参加するか主催しよう。
アフガニスタンを力で服従させることはできない。先週タリバンは大統領官邸から数ヤードというカブールの中心地で自由に攻撃ができることを示した。タリバンはアフガニスタンの一つを除く全ての州で影の知事を持っている。そしてアル・カイダに関する指導的な専門家を含む5人のCIAの士官が12月30日にホスト州のCIAの基地で二重スパイによって殺されたことは、米国が洗練され訓練された敵に直面していることを明らかにしたのである。
アフガン戦争が原因となって市民の犠牲者と外国軍に対するアフガン人の怒りを増大させている。2009年はアフガンの子ども達にとって2001年以来最悪の年となった。丁度先月、NATO軍はクナール州で8人の男子生徒を含む10人の市民を殺し、ナンガールハル州では4人の市民を殺し(5000人の抗議行動を引き起こした)、ヘルマンド州では10人の抗議者を殺し、ガズニー州では4人を殺した。アメリカ軍はこの人たちをタリバンであると言ったが、地域住民は市民だと言った。国連の報告では2009年にアフガニスタンで2412人の市民が殺された。2008年より14%も増加した。
外交的解決を米国に要求する圧力が高まっている。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の論説委員は先週、米軍と基地の撤退を含めてアフガニスタンの中立を回復させるように呼びかける論調に加わった。そしてオバマの戦争に反対する意見が、連邦議会の中でも広がっている。デニス・クーシニッチ下院議員(民主党・オハイオ州選出)は連邦議会によるアフガニスタン戦争の権限付与を撤回する特別決議を提出する計画をしている。ジム・マクガバン下院議員(民主党・ワシントン州)とラス・ファインゴールド上院議員(民主党・ウィスコンシン州)は出口戦略を要求する法案を提出するだろう。そしてバーバラ・リー下院議員(民主党・カリフォルニア州)の下院3699号決議案はあらゆる派兵増大に支出する予算を差し止めるものである。
2月1日、ホワイトハウスは2010会計年度予算案を提出するが、それはアフガニスタンとイラクの戦争のための1590億ドルをともなった「国防費」7090億ドルという記録破りの金額を含むと予想されている。連邦議会は、今年の春には、7090億ドルに加えてアフガニスタンへの派兵拡大のために、さらに330億ドルを支出したいというオバマ大統領の要請についての投票を行う。何百万人もの米国民が失業し、全米の都市や町が基本的な社会サービスの予算を削減している時に、オバマ政権の財政優先順位に挑戦することが緊急に必要である。
国民ではなく、戦争を飢えさせろ!全米で学生、教員、女性、障害者、病院・医療労働者、ホームレス、家事労働者、失業者、高齢者、そのほか多くの人たちが絶対に必要な社会計画予算のひどい削減に抗議している。
平和を要求しながら公正な経済を求めるUFPJの取り組みに参加し、もうこれ以上戦争はできない、と議会に言う時である。あなたの地域で経済的正義を支持して組織化をしている人を見つけよう。あなたの地域の国会議員の事務所で月例のブラウン・バッグ・ランチ・ビジル(BBLV)の平和運動への参加を呼びかけよう。アメリカのための進歩的民主党員の会が主催する次回のビジルは2月17日の木曜日に開催される。最新の情報をUFPJまで送っていただきたい!
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
これ以上戦争はできない!
UFPJ(平和と正義のための連合) 2010年1月25日
12月1日にオバマ大統領が3万人の追加兵力を送ってアフガニスタン戦争を拡大すると発表して以来、オバマ政権の戦争政策の悲惨な失敗はますます明らかになっている。
今週、米国・英国・欧州・国連・アフガニスタンの指導者達がアフガニスタン問題の国際会議を開催する。この会議の目的は、無駄で勝目のない戦争に強く反対している欧州世論と国際世論の流れを変え、追加兵力の誓約を引き出すことである。英国の反戦運動はこの会議を阻止するために大挙押し寄せるだろうし、われわれも米国内で圧力をかけ続けなければならない。
*あなたの選挙区の国会議員に戦争予算に反対投票をするように言おう。電話番号は202-224-3121。
*あなたの選挙区の国会議員の事務所で2月17日と毎月、ブラウン・バッグ・ランチ・ビジルに参加するか主催しよう。
アフガニスタンを力で服従させることはできない。先週タリバンは大統領官邸から数ヤードというカブールの中心地で自由に攻撃ができることを示した。タリバンはアフガニスタンの一つを除く全ての州で影の知事を持っている。そしてアル・カイダに関する指導的な専門家を含む5人のCIAの士官が12月30日にホスト州のCIAの基地で二重スパイによって殺されたことは、米国が洗練され訓練された敵に直面していることを明らかにしたのである。
アフガン戦争が原因となって市民の犠牲者と外国軍に対するアフガン人の怒りを増大させている。2009年はアフガンの子ども達にとって2001年以来最悪の年となった。丁度先月、NATO軍はクナール州で8人の男子生徒を含む10人の市民を殺し、ナンガールハル州では4人の市民を殺し(5000人の抗議行動を引き起こした)、ヘルマンド州では10人の抗議者を殺し、ガズニー州では4人を殺した。アメリカ軍はこの人たちをタリバンであると言ったが、地域住民は市民だと言った。国連の報告では2009年にアフガニスタンで2412人の市民が殺された。2008年より14%も増加した。
外交的解決を米国に要求する圧力が高まっている。インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の論説委員は先週、米軍と基地の撤退を含めてアフガニスタンの中立を回復させるように呼びかける論調に加わった。そしてオバマの戦争に反対する意見が、連邦議会の中でも広がっている。デニス・クーシニッチ下院議員(民主党・オハイオ州選出)は連邦議会によるアフガニスタン戦争の権限付与を撤回する特別決議を提出する計画をしている。ジム・マクガバン下院議員(民主党・ワシントン州)とラス・ファインゴールド上院議員(民主党・ウィスコンシン州)は出口戦略を要求する法案を提出するだろう。そしてバーバラ・リー下院議員(民主党・カリフォルニア州)の下院3699号決議案はあらゆる派兵増大に支出する予算を差し止めるものである。
2月1日、ホワイトハウスは2010会計年度予算案を提出するが、それはアフガニスタンとイラクの戦争のための1590億ドルをともなった「国防費」7090億ドルという記録破りの金額を含むと予想されている。連邦議会は、今年の春には、7090億ドルに加えてアフガニスタンへの派兵拡大のために、さらに330億ドルを支出したいというオバマ大統領の要請についての投票を行う。何百万人もの米国民が失業し、全米の都市や町が基本的な社会サービスの予算を削減している時に、オバマ政権の財政優先順位に挑戦することが緊急に必要である。
国民ではなく、戦争を飢えさせろ!全米で学生、教員、女性、障害者、病院・医療労働者、ホームレス、家事労働者、失業者、高齢者、そのほか多くの人たちが絶対に必要な社会計画予算のひどい削減に抗議している。
平和を要求しながら公正な経済を求めるUFPJの取り組みに参加し、もうこれ以上戦争はできない、と議会に言う時である。あなたの地域で経済的正義を支持して組織化をしている人を見つけよう。あなたの地域の国会議員の事務所で月例のブラウン・バッグ・ランチ・ビジル(BBLV)の平和運動への参加を呼びかけよう。アメリカのための進歩的民主党員の会が主催する次回のビジルは2月17日の木曜日に開催される。最新の情報をUFPJまで送っていただきたい!
2009年11月7日土曜日
第3回 USLAW全国大会呼びかけ
USLAW(アメリカ反戦労働者の会)が12月4-6日に第3回全国大会を開催します。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
第3回 USLAW全国大会呼びかけ
2009年12月4-6日、ウィインダム・オヘア・ホテル、シカゴ、イリノイ州6810
ノース・マンハイム・ロード、ローズモント IL60018
戦争と経済危機の時に、経済的社会的正義を持った世界規模の平和を求める世界の労働者への呼びかけ
主要参加者:
* イラク石油労働組合指導者
* パキスタンの女性、若者、労働者の指導者
* アフガニスタン問題の研究者と政策専門家
* 全米の反戦組合活動家
* イラク・アフガニスタン戦争帰還兵士
我々は米国の歴史上の転換点にいる。2008年に労働運動は、バラク・オバマと民主党多数の連邦議会を選出する上で決定的な役割を果たして、勝利の時を迎えた。しかし2009年にはまだ我々は、破壊的な経済危機のまっただ中にいるのであり、しかもそれは勤労民衆と、我々が追い求める平和で公正な世界との間に立ちはだかる、戦争と軍国主義をともなっているのである。
現在は危機と希望の道の両方の時である。USLAWは労働運動内部の反戦勢力の影響力と有効性を広げ深める計画と組織化戦略を発展させることを迫られているのであり、その一方でより広い反戦運動の中での指導的役割を果たし続けている。
これがUSLAWが12月4-6日にシカゴで第3回全国大会を開催するにあたっての状況である。
大会はUSLAW加盟団体の代表に加えて個人会員に開放されている。それはUSLAWの最高意志決定機関であり、USLAWの政策と今後3年間の戦略的な方向を作り上げる範囲の問題について討議し決議を採択する場である。大会は組織を導き、USLAWを運営する細則を変更する権限を持つ執行部を選出するだろう。
2003年10月の歴史的なUSLAW結成大会で、大会代議員は以下のとおり、明確な将来への任務声明を採択した。
* 公正な対外政策。
* アメリカによる諸外国の占領を終わらせる。
* 国家財政を、膨張する軍事支出から労働家族が必要な物に対応することに向け直すこと。
* 米軍兵士を今すぐ帰国させることによって兵士とその家族を支える。
* 労働者の権利、市民の権利、市民的自由と移民の権利を守る。
* 全世界の労働者及びその組織と連帯する。
2009年の秋、以上の原則に基づいて組織化をする必要性は以前にも増して大きくなっている。
イラク
何千億ドルも費やし、4300人以上の米軍兵士の戦死者と、数知れないイラク人の死者と個人のトラウマを引き起こしているのに、イラクとアメリカの民衆はそれに見合う物をほとんど手に入れていない。暴力と経済の破壊が満ちあふれている。13万人以上の米軍兵士とそれよりはるかに多数の民間の軍契約者がイラクの国土に残っている。イラクの労働者がいまだに組合の代表権を持っていないのは、アメリカに支持されているイラク政府がサダム時代の1987年の反組合的な労働法に固執しているからである。グローバル企業はイラクの資源の支配権を獲得する機会を待ってハゲワシのようにイラクの上空を舞っている。
アフガニスタン
アフガニスタンでは8年間の戦争のあげく、アメリカは新たな死と、ドルと、破壊の泥沼に直面し、麻薬支配者と大規模な汚職と数え切れない人間の混乱と被害という要素が付け加えられている。これはいまやオバマ大統領の戦争である―すなわち、ベトナムがLBJ[訳注:リンドン・ベインズ・ジョンソン米国大統領。ベトナム戦争を推進することで世論の支持を失い大統領選再出馬を断念した]にやったのと同じように、オバマと労働者の国内課題の両方の地盤を掘り崩す脅威となっている戦争である。
パキスタン
その一方で、核兵器の備蓄を持つ腐敗した政権によって支配されている1億7300万人の国であるパキスタンは、アメリカが今や地域戦争となっている戦場の一部に変えてしまったために危険な不安定化の脅威を受けている。
軍国主義
あなたに聞こえている巨大な略奪の音は、1兆ドルの3分の2にもなるアメリカの軍事予算であり、人間の必要しているものに対応することから貴重な資金を抜き出しながら、それは税金1ドルあたり58セントを消費するのである。
労働者は持続可能な完全雇用の経済も、すべての人に対する医療保険も、環境に責任を持つエネルギー政策も、人間的な移民政策も決して得ることができないのであり、その一方で何十億ドルもが、そして数え切れない生命が、我々をより安全にすることなくほんのわずかなエリートが大変金持ちになるだけの、勝利を得ることもできず、必要性もない戦争に浪費されているのである。対イラクと対アフガン戦争は進歩的な政策を実行するどんな可能性もそらしてしまい壊滅させるだろう。
USLAWは2003年の結成以来労働運動に強力な影響を及ぼし、組織労働者が対外政策を見る視点を変える手助けをしてきた。しかし我々の任務が終わるにはほど遠い。USLAWは公正な社会を要求する闘いを公正な対外政策を要求する闘いに結びつける上で労働者を前線に連れて行く労働者の唯一の声である。
アメリカの労働者はより大きい、より強力で影響力を持つUSLAWを必要としている。
我々の課題は我々の運動の焦点を合わせ直し再び活性化し、経済危機と軍産複合体の利益になるように活動している国家経済と、アメリカを全世界のほとんどの人々と争わせる軍事化した対外政策との関係をより明確にすることである。我々は対外政策を、討議の道理にかなった議題と労働運動によって取り組まれるべき重要な関心事項にどのようにするのかということについて解決することが必要だ。
我々の仕事は、労働組合が我々の職場を作り直す道具として以上の役割を果たすように、労働運動の視野を広げることである。労働組合は我々の世界を作り直す道具にならなければならない。
シカゴに来てアメリカ反戦労働者の会が正義のある平和への道筋を示すのに手を貸してもらいたい。
Call to the Third USLAW National Assembly
http://www.uslaboragainstwar.org/article.php?id=20274
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)
第3回 USLAW全国大会呼びかけ
2009年12月4-6日、ウィインダム・オヘア・ホテル、シカゴ、イリノイ州6810
ノース・マンハイム・ロード、ローズモント IL60018
戦争と経済危機の時に、経済的社会的正義を持った世界規模の平和を求める世界の労働者への呼びかけ
主要参加者:
* イラク石油労働組合指導者
* パキスタンの女性、若者、労働者の指導者
* アフガニスタン問題の研究者と政策専門家
* 全米の反戦組合活動家
* イラク・アフガニスタン戦争帰還兵士
我々は米国の歴史上の転換点にいる。2008年に労働運動は、バラク・オバマと民主党多数の連邦議会を選出する上で決定的な役割を果たして、勝利の時を迎えた。しかし2009年にはまだ我々は、破壊的な経済危機のまっただ中にいるのであり、しかもそれは勤労民衆と、我々が追い求める平和で公正な世界との間に立ちはだかる、戦争と軍国主義をともなっているのである。
現在は危機と希望の道の両方の時である。USLAWは労働運動内部の反戦勢力の影響力と有効性を広げ深める計画と組織化戦略を発展させることを迫られているのであり、その一方でより広い反戦運動の中での指導的役割を果たし続けている。
これがUSLAWが12月4-6日にシカゴで第3回全国大会を開催するにあたっての状況である。
大会はUSLAW加盟団体の代表に加えて個人会員に開放されている。それはUSLAWの最高意志決定機関であり、USLAWの政策と今後3年間の戦略的な方向を作り上げる範囲の問題について討議し決議を採択する場である。大会は組織を導き、USLAWを運営する細則を変更する権限を持つ執行部を選出するだろう。
2003年10月の歴史的なUSLAW結成大会で、大会代議員は以下のとおり、明確な将来への任務声明を採択した。
* 公正な対外政策。
* アメリカによる諸外国の占領を終わらせる。
* 国家財政を、膨張する軍事支出から労働家族が必要な物に対応することに向け直すこと。
* 米軍兵士を今すぐ帰国させることによって兵士とその家族を支える。
* 労働者の権利、市民の権利、市民的自由と移民の権利を守る。
* 全世界の労働者及びその組織と連帯する。
2009年の秋、以上の原則に基づいて組織化をする必要性は以前にも増して大きくなっている。
イラク
何千億ドルも費やし、4300人以上の米軍兵士の戦死者と、数知れないイラク人の死者と個人のトラウマを引き起こしているのに、イラクとアメリカの民衆はそれに見合う物をほとんど手に入れていない。暴力と経済の破壊が満ちあふれている。13万人以上の米軍兵士とそれよりはるかに多数の民間の軍契約者がイラクの国土に残っている。イラクの労働者がいまだに組合の代表権を持っていないのは、アメリカに支持されているイラク政府がサダム時代の1987年の反組合的な労働法に固執しているからである。グローバル企業はイラクの資源の支配権を獲得する機会を待ってハゲワシのようにイラクの上空を舞っている。
アフガニスタン
アフガニスタンでは8年間の戦争のあげく、アメリカは新たな死と、ドルと、破壊の泥沼に直面し、麻薬支配者と大規模な汚職と数え切れない人間の混乱と被害という要素が付け加えられている。これはいまやオバマ大統領の戦争である―すなわち、ベトナムがLBJ[訳注:リンドン・ベインズ・ジョンソン米国大統領。ベトナム戦争を推進することで世論の支持を失い大統領選再出馬を断念した]にやったのと同じように、オバマと労働者の国内課題の両方の地盤を掘り崩す脅威となっている戦争である。
パキスタン
その一方で、核兵器の備蓄を持つ腐敗した政権によって支配されている1億7300万人の国であるパキスタンは、アメリカが今や地域戦争となっている戦場の一部に変えてしまったために危険な不安定化の脅威を受けている。
軍国主義
あなたに聞こえている巨大な略奪の音は、1兆ドルの3分の2にもなるアメリカの軍事予算であり、人間の必要しているものに対応することから貴重な資金を抜き出しながら、それは税金1ドルあたり58セントを消費するのである。
労働者は持続可能な完全雇用の経済も、すべての人に対する医療保険も、環境に責任を持つエネルギー政策も、人間的な移民政策も決して得ることができないのであり、その一方で何十億ドルもが、そして数え切れない生命が、我々をより安全にすることなくほんのわずかなエリートが大変金持ちになるだけの、勝利を得ることもできず、必要性もない戦争に浪費されているのである。対イラクと対アフガン戦争は進歩的な政策を実行するどんな可能性もそらしてしまい壊滅させるだろう。
USLAWは2003年の結成以来労働運動に強力な影響を及ぼし、組織労働者が対外政策を見る視点を変える手助けをしてきた。しかし我々の任務が終わるにはほど遠い。USLAWは公正な社会を要求する闘いを公正な対外政策を要求する闘いに結びつける上で労働者を前線に連れて行く労働者の唯一の声である。
アメリカの労働者はより大きい、より強力で影響力を持つUSLAWを必要としている。
我々の課題は我々の運動の焦点を合わせ直し再び活性化し、経済危機と軍産複合体の利益になるように活動している国家経済と、アメリカを全世界のほとんどの人々と争わせる軍事化した対外政策との関係をより明確にすることである。我々は対外政策を、討議の道理にかなった議題と労働運動によって取り組まれるべき重要な関心事項にどのようにするのかということについて解決することが必要だ。
我々の仕事は、労働組合が我々の職場を作り直す道具として以上の役割を果たすように、労働運動の視野を広げることである。労働組合は我々の世界を作り直す道具にならなければならない。
シカゴに来てアメリカ反戦労働者の会が正義のある平和への道筋を示すのに手を貸してもらいたい。
Call to the Third USLAW National Assembly
http://www.uslaboragainstwar.org/article.php?id=20274
2009年10月5日月曜日
米軍はアフガニスタンから撤退しろ! 変革(チェンジ)=平和だ!
10月7日アフガニスタン侵攻8周年地域行動 <UFPJ>
今週のニューヨークタイムズ紙[8月29日付]は「反戦運動が対アフガニスタン政策に反対する秋の運動を計画している」と言った。全くその通りだ!
彼らはこうも言った。「平和と正義のための連合は全米で小規模な取り組みも計画している。退役軍人や派遣兵士の家族とのティーチイン[討論会]や、連邦議会の議員とのロビー活動の会合や、上映会や、亡くなった兵士や海兵隊員の軍靴を呼び物にする特別記念式典などである」と。
そしてそれがまさに私たちがあなたのグループにやってほしいことである!私たちの目標はアフガニスタン侵攻8周年(10月7日)の時期に可能なあらゆる地域で取り組みを行うことである。以下の私たちの組織化情報をチェックして、あなたの取り組みをUFPJのウェブサイトに掲載してもらいたい!
10月7日に可能なアフガニスタン侵攻8周年の取り組み
*「アフガニスタンに平和を求めるハウスパーティー」を主催しよう。ピース・アクションがあなたのハウスパーティー準備のための手順を踏んだ情報と資料を提供している。
*ロバート・グリーンウォルドの新しい映画シリーズの「アフガニスタン再考」の上映会を組織しよう。「アフガニスタン再考」のDVDの入手方法と上映会の準備の仕方を見つけてもらいたい。
8月は2001年の開戦以来アメリカ軍の死者が最も多い月だった。現在、アフガニスタン駐留米軍司令官のスタンレー・マクリスタル将軍はさらに多数の兵力が送られたら、戦争に勝利できるという報告を発表した。しかしオバマ大統領は兵力水準を再び増加させるかどうかというやっかいな政治的決断に直面している。
民主党のラス・ファインゴールド上院議員[訳注①]と保守派コラムニストのジョージ・ウィルの両方がこの1週間で、戦争を段階的に縮小させることに支持を表明した。兵力水準をこれ以上増加させるかどうかの政権の決定について9月と10月に熱い議論が交わされるだろう。この2ヶ月は平和運動が声を上げ、派兵拡大の政治的損失を限界点にまで増大させなければならない。
アフタガニスタン戦争に反対する全米メディア行動週間を!
9月14-18日、UFPJとコードピンクはあなたのグループが2001年のバーバラ・リー下院議員の戦争に反対する画期的な演説を記念するメディア週間である「8年後」に参加するように要請する。今後のeメールで我々は編集者に手紙を書き、ラジオの討論番組に電話をかけ、至る所で反戦メッセージを掲載するためにフェイスブック[訳注②]やツイッター[訳注③]を利用するために論点と方法を提供するだろう。その週には、オバマとナンシー・ペロシ下院議長とハリー・リード上院院内総務にあてて全米の活動家が署名した請願書がホワイトハウス連邦議会に届けられ、他の公開の取り組みがメディアの中でそのメッセージを強化するだろう。全米メディア行動で会いましょう!
UFPJ全国運営委員会、スタッフ
[訳注①]ラス・ファインゴールド上院議員は2005年8月、上院議員として初めて米軍のイラクからの期限を切った撤退を主張した。
[訳注②]フェイスブックはFacebook, Inc. の提供する社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービス。
[訳注③]ツイッターは、個々のユーザーが「つぶやき」を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス。2006年7月にObvious社(現Twitter社)がサービスを開始した
今週のニューヨークタイムズ紙[8月29日付]は「反戦運動が対アフガニスタン政策に反対する秋の運動を計画している」と言った。全くその通りだ!
彼らはこうも言った。「平和と正義のための連合は全米で小規模な取り組みも計画している。退役軍人や派遣兵士の家族とのティーチイン[討論会]や、連邦議会の議員とのロビー活動の会合や、上映会や、亡くなった兵士や海兵隊員の軍靴を呼び物にする特別記念式典などである」と。
そしてそれがまさに私たちがあなたのグループにやってほしいことである!私たちの目標はアフガニスタン侵攻8周年(10月7日)の時期に可能なあらゆる地域で取り組みを行うことである。以下の私たちの組織化情報をチェックして、あなたの取り組みをUFPJのウェブサイトに掲載してもらいたい!
10月7日に可能なアフガニスタン侵攻8周年の取り組み
*「アフガニスタンに平和を求めるハウスパーティー」を主催しよう。ピース・アクションがあなたのハウスパーティー準備のための手順を踏んだ情報と資料を提供している。
*ロバート・グリーンウォルドの新しい映画シリーズの「アフガニスタン再考」の上映会を組織しよう。「アフガニスタン再考」のDVDの入手方法と上映会の準備の仕方を見つけてもらいたい。
8月は2001年の開戦以来アメリカ軍の死者が最も多い月だった。現在、アフガニスタン駐留米軍司令官のスタンレー・マクリスタル将軍はさらに多数の兵力が送られたら、戦争に勝利できるという報告を発表した。しかしオバマ大統領は兵力水準を再び増加させるかどうかというやっかいな政治的決断に直面している。
民主党のラス・ファインゴールド上院議員[訳注①]と保守派コラムニストのジョージ・ウィルの両方がこの1週間で、戦争を段階的に縮小させることに支持を表明した。兵力水準をこれ以上増加させるかどうかの政権の決定について9月と10月に熱い議論が交わされるだろう。この2ヶ月は平和運動が声を上げ、派兵拡大の政治的損失を限界点にまで増大させなければならない。
アフタガニスタン戦争に反対する全米メディア行動週間を!
9月14-18日、UFPJとコードピンクはあなたのグループが2001年のバーバラ・リー下院議員の戦争に反対する画期的な演説を記念するメディア週間である「8年後」に参加するように要請する。今後のeメールで我々は編集者に手紙を書き、ラジオの討論番組に電話をかけ、至る所で反戦メッセージを掲載するためにフェイスブック[訳注②]やツイッター[訳注③]を利用するために論点と方法を提供するだろう。その週には、オバマとナンシー・ペロシ下院議長とハリー・リード上院院内総務にあてて全米の活動家が署名した請願書がホワイトハウス連邦議会に届けられ、他の公開の取り組みがメディアの中でそのメッセージを強化するだろう。全米メディア行動で会いましょう!
UFPJ全国運営委員会、スタッフ
[訳注①]ラス・ファインゴールド上院議員は2005年8月、上院議員として初めて米軍のイラクからの期限を切った撤退を主張した。
[訳注②]フェイスブックはFacebook, Inc. の提供する社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービス。
[訳注③]ツイッターは、個々のユーザーが「つぶやき」を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス。2006年7月にObvious社(現Twitter社)がサービスを開始した
G20でのIVAW
我々はお前たちの利潤の犠牲にはならない
我々はお前たちの利潤のために人殺しはしない
[2009年9月24─25日、米国ピッツバーグで20カ国・地域(G20)首脳会議(金融サミット)が開催された。]
反戦イラク帰還兵の会と平和を求める帰還兵の会は、全ての戦争で殺され傷つけられた人々の犠牲に敬意を払う生存者の追悼式を開催した。追悼式は、退役軍人局に年金を拒否または留保されている何十万人もの退役軍人に焦点を当てた。追悼式はまた、戦争によって作り出された、数え切れない膨大な市民の死と、圧倒的多数が女性と子どもである何百万人もの住む場を失った人々に敬意を表明した。
追悼式の間にIVAWのメンバーたちがピッツバーグの兵士と水兵の記念碑に泥を使って型紙による文字を書き出した。泥は、歴史の上でも現在においても、他の連中が利潤をむさぼっている間に退役軍人や全ての戦争犠牲者がゴミのような扱い方をされていることを象徴するものである。
反戦イラク帰還兵士の会のホセ・バスケス事務局長は「我々がG20首脳会議の期間にピッツバーグに来たのは、全世界で経済構造が破綻してしまったからである。彼らは、普通の人々のために働こうとはせず、ひっ迫している資源を奪い合い、戦争を引き起こすのである。我々は、利益のために自分の命を譲り渡したり、他者の命を奪うことを拒否する。」と述べた。
我々はお前たちの利潤のために人殺しはしない
[2009年9月24─25日、米国ピッツバーグで20カ国・地域(G20)首脳会議(金融サミット)が開催された。]
反戦イラク帰還兵の会と平和を求める帰還兵の会は、全ての戦争で殺され傷つけられた人々の犠牲に敬意を払う生存者の追悼式を開催した。追悼式は、退役軍人局に年金を拒否または留保されている何十万人もの退役軍人に焦点を当てた。追悼式はまた、戦争によって作り出された、数え切れない膨大な市民の死と、圧倒的多数が女性と子どもである何百万人もの住む場を失った人々に敬意を表明した。
追悼式の間にIVAWのメンバーたちがピッツバーグの兵士と水兵の記念碑に泥を使って型紙による文字を書き出した。泥は、歴史の上でも現在においても、他の連中が利潤をむさぼっている間に退役軍人や全ての戦争犠牲者がゴミのような扱い方をされていることを象徴するものである。
反戦イラク帰還兵士の会のホセ・バスケス事務局長は「我々がG20首脳会議の期間にピッツバーグに来たのは、全世界で経済構造が破綻してしまったからである。彼らは、普通の人々のために働こうとはせず、ひっ迫している資源を奪い合い、戦争を引き起こすのである。我々は、利益のために自分の命を譲り渡したり、他者の命を奪うことを拒否する。」と述べた。
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