2012年1月6日金曜日

全占領軍の完全撤退を勝ち取る!イラク民衆との新たな国際連帯運動を!

2011年12月18日、米国占領軍の最後の部隊がイラクから撤退しました。2003年のイラク侵攻・占領から8年半を経て、ついにイラク民衆と世界の反戦・反グローバル資本主義の運動が占領軍を追い出したのです。

全占領軍の撤退にあたり、アメリカの支配層も「我々は敗北して去るのだ」(ギングリッチ元下院議長)、「中東で米国が新たな戦争をすることはないと思う。世論が賛成しない」(マケイン上院議員)と認めています。もっとも悪辣な戦争と貧困の政策を進めたグローバル資本主義の戦争政策が敗北したのです。

当初オバマ政権は数万人のイラク占領体制の継続をもくろんでいました。しかし、全占領の撤退を要求する強力なイラク民衆の闘いと全世界の世論、チュニジア・エジプト、イラクで立ち上がった中東民主主義革命(アラブの春)のうねり、そしてグローバル資本による貧困と格差拡大に対して「我々は99%だ」と声を上げて全世界で広がるオキュパイ(占拠せよ!)運動を前にして、占領を維持することが出来なかったのです。

イラク民衆との国際連帯運動もまた新しい段階に入ります。12月2日、イラク自由会議(IFC)は最大の目標であった占領軍の撤退を勝ち取ったことをふまえて、発展的な解散を決定しました。IFCはその解散宣言の中で、「この運動は異なった新しい政治的組織的枠組みで闘いを継続する。それは…世界が専制と飢餓、失業に反対する巨大な革命運動を目撃している今日の時代にふさわしい新たな枠組みである」と表明しています。

占領軍を撤退させたイラクの闘いは、グローバル資本の手先であるマリキ腐敗政権の民衆抑圧、貧困と失業の政策に立ち向かい、平和で民主的な社会を築くための新たな段階に入ったのです。

サナテレビはこうしたイラクにおけるグローバル資本による支配に立ち向かう民衆の闘いと実態を伝えていきます。ぜひこの闘いに連帯し、引き続きイラク平和テレビ局の視聴者を広げ、「イラク民主主義革命連帯・サナテレビを支える会」に参加していただくことを訴えます

米国の撤退とイラク占領の終結に関する声明

 イラク占領の9年を経て米国政府は1130日、バグダッド訪問中の副大統領ジョー・バイデンを通じて、イラクからの完全撤退を宣言した。バイデンはイラク政府の代表たちの出席の下、公式祝賀会を催した。
 イラク民衆が経験した苦しみに満ちた暗黒の9年間は、米政府によるイラク戦争・占領正当化の口実がすべて根拠のないものだったことを証明した。大量破壊兵器の存在からサダム政権のアルカイダとの関わり、イラクの民主化に至るまで、すべてウソだった。ブッシュ時代にすでに米政府は、イラクに大量破壊兵器はなかったと認めた。サダムとアルカイダの関係を示す証拠は何も見つからなかった。「民主主義」の普及について言えば、イラクは腐敗と難民流出において世界最悪クラスにランキングされ、経済・政治・医療・福祉などあらゆる面で失敗国家の一つになっている。加えてイラクは宗派主義・民族主義ギャングと組織犯罪集団、内外のマフィアが溢れんばかりに群がる国へと変えられてしまった。
 米軍イラク完全撤退宣言は、湾岸戦争以来「新世界秩序」を押しつけようとしてきた政策の失敗を米国が公式に認めたものだ。それは新たな時代の始まりを告げている。グローバル経済危機が吹き荒れる世界。権益の配分をめぐる諸大国、地域の諸勢力の間の抗争が燃え上がる世界。貧困と飢餓、失業に反対し、自由と人間の尊厳、平等を求めてアラブ・中東地域の国々で始まり、イラクにも広がった民衆蜂起が今や欧米の諸都市を席巻しつつある世界。この世界における新たな時代である。
 さまざまなギャング集団が自らの存在を占領へのレジスタンスと正当化し、のさばった占領の時期は、米軍の完全撤退によって終了する。占領の終結をもたらした力は、自由と平等、人間の尊厳に貫かれたよりよい世界をめざすイラクの革命運動の前進を後押しするだろう。
イラク人民万歳
自由万歳
搾取なき世界を建設する解放・革命運動万歳

イラク自由会議第13回中央委員会拡大活動者会議  2011122

イラク自由会議の活動停止についての決定および解散宣言

2005319日に結成されたイラク自由会議(IFC)は主要な目的・最優先課題を、占領の追放および人間を民族や宗派の別なく人間として尊重する政教分離政府の樹立に置いた。IFCはさまざまな分野における闘いと占領終結のために払った犠牲を誇りとし、この機に喜びと祝意を表明するとともに、占領に反対しよりよい世界の実現をめざす闘争に寄せられたイラク内外のあらゆる解放・革命勢力の支援と助力に深い感謝の念を表明する。

IFCは、解放とよりよい世界をめざす革命運動、イラクにおける大きな運動に包含される政治的組織的枠組みである。この運動は異なった新しい政治的組織的枠組みで闘いを継続する。それは占領後の新たな段階のイラク、宗派主義と貧困、腐敗に立ち向かう民衆抗議行動の夜明けを告げた225日後のイラクにふさわしい枠組みであり、世界が専制と飢餓、失業に反対する巨大な革命運動を目撃している今日の時代にふさわしい新たな枠組みである。

占領の終結が正式に発表された今、IFCはその闘いの最終局面に至る。IFCはすべての活動を停止することを宣言し、自らの解散を呼びかける。

イラク自由会議第13回中央委員会拡大活動者会議   2011122

イラク自由会議拡大中央委員会最終声明

イラク自由会議(IFC)はイラク人民とともに占領の終結を祝い、この機に活動を停止することを宣言する。
 122日、多くのメンバーとスタッフ、活動家、支援者らが出席する中、IFC拡大中央委員会の会議が開かれた。
 会議は、IFCの掲げる目標、平和と安全・自由・平等が勝利を収めるイラクのために犠牲となった人々に黙とうを捧げ、中央委員会書記長サーレハ・ハディ、中央委員アハメド・フセイン、同エルハム・タラバニ、スタッフのバルワ・ラマダンらから成る議長団によって進めらた。
 サミール・アディルは開会あいさつで「われわれを取り巻く世界は変化している。現代世界の巨大な変容の方向に影響を与えるためにも、われわれは変わらなければならない」と述べた。
 サミールはさらに、アラブ世界と中東地域の大衆抗議行動から、グローバル経済危機、世界と地域の諸大国による世界再分割をめぐる紛争のエスカレーション、そして貧困・失業・飢餓に反対する米国・ギリシャ・英国における民衆運動の登場と他の国々へのその広がりに至るまで、世界と中東地域に起きている政治的変化について指摘。「貧困・腐敗・宗派主義に反対する運動を組織し、われわれの政策と展望を行き渡らせるためには、ばく大な努力を必要とする。われわれは225日にイラクで大衆抗議行動が火ぶたを切って以来続けてきたこの運動を完成させなければならない」と締めくくった。
 続いて、「IFCの政治的歩み」という標題のスライドショーが上映された。これは、占領に反対するIFCの活動のさまざまな場面とリーダー・活動家の姿を映し出した数十枚の写真から成るもので、会議の雰囲気を高め、参加者全員がIFCの闘いの歴史をたたえて数分間スタンディング・オベーションをするに至った。
 その後、「アラブの春とわれわれの運動に対するその影響」という討議資料に基づいて議論が行われた。サミールはこれを開会あいさつの続きと位置づけ、中東地域の大衆抗議行動が中東と世界の政治的力関係、そしてイラクにおけるわれわれの運動にいかに大きな影響を与えたか、を説明した。これらの抗議行動とそれによる変化が示しているのは、こうした変容に対応していくための新たな政治的枠組みの必要性だと指摘。同様に、イラクからの米国の撤退は、イラクの解放・革命の運動―IFCはその一員だ―がこの新たな段階の要請に応え得る政治的組織的枠組みを必要としていることを証明するもう一つの要因であると付け加えた。
 サミールの報告を通じて、IFCがその闘争の最終段階に到達したこと、当初の目的の一つ、占領終結を実現したこと、新たな段階にはそぐわない政治的組織的枠組みとなってしまったことが結論づけられた。
 会議出席者は旺盛に討論に参加し、多くの意見を投げかけた。そして「米国のイラク撤退に関する声明」が提案され、投票で全員一致により承認した。さらに、占領に反対しよりよい世界の建設をめざすイラク民衆とIFCの闘いを支えた世界の諸団体に対する感謝のメッセージを採択した。これらの団体は日本のMDS、米国のUSLAWおよびAFSC、フィリピンのAKCDFおよびフィリピン・韓国そして世界中の自由を愛する勢力である。
 決議案の議題では、「IFCの活動停止と解散」の決議案が出席者に提示され、この課題をめぐる広範囲にわたる長時間の討論を経て、会議は投票により絶対多数で[英語版では全会一致で]IFCの解散を承認した。
 サミールは以下のように閉会の言葉を述べた。「IFCの解散は闘いと政治活動を打ち捨てることを意味するものでは決してない。すべてが終わったのでは決してない。この決定はわれわれの運動の利益のための、われわれが新たな段階の要求に応えられるようにするための政治的決定である。私は会議の休憩時間に、多くの同志がこの決定に痛みを表しているのを耳にした。これからどこへ向かえばいいのか、と聞く同志もいた。私はこう答える。IFCの設立はイラク労働者共産党(WCPI)によって発案されたものであり、私は2005年2月に政治局によりIFC創設に向けて活動するよう委任された。この数年、WCPIはIFCを支援し、政治的展望を指し示してくれた。今日私は、IFCの枠組みを打ち建てたWCPIは現在の情勢の要請に応える新たな闘争の枠組みを打ち建てることができる、と言いたい。私はここに残るが、新たな変化に対応しそれに影響を与えられるよう、私もまた変わらなければならない。私はみなさんと共にある。サミール・アディルを支持するという人々、WCPIの綱領・目的・政策に基本的に共感できるという人々は、WCPIに加入してほしい。しかし、WCPIへの加入を望まない人々をわれわれが見捨てるわけでは決してない。われわれはつねに同志たちを大切にしている。不一致点があっても、共にわれわれの活動を続けよう。次なる「章」は新たな形の運動と努力とメカニズム、新たな組織的枠組みを必要とする。腐敗・貧困・宗派主義に対する強力な民衆運動を組織することが、われわれの闘いの次なる段階だ。
 私はみなさんと痛みを共にするが、痛みの性質が違う。この痛みは女性が出産にあたって、新たな子どもを産み生命を引き継いでいく時の痛みに似ている」
 会場には大きな拍手が響き渡り、IFCスタッフで青年学生連合のリーダーの一人アリ・イサームによる熱烈な詩の朗読で会議は幕を閉じた。

イラク自由会議第13回中央委員会拡大活動者会議   2011122

2011年8月11日木曜日

米軍がまたもイラク市民を殺害

イラクで米軍がまたもや市民を殺害しました。この1週間で2回目です。今回は13年の少年とその父親が犠牲となりました。そして住民から略奪も…。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

襲撃でイラク市民が死亡、撤退協議は紛糾へ

マイケル・S.シュミット   ニューヨークタイムズ 2011年8月7日付
2011年8月6日

バグダッド―

1週間で2回目となったのだが、イラク軍・米軍合同の武装勢力を狙った襲撃が結果として市民を殺害した。

ティクリートのちょうど南にあるイシャキ村の目撃者の話では、金曜日の早朝にイラク軍と米軍が襲撃を実行した時に市民に発砲し、手榴弾を投げつけた。村人によると、部隊は村の中にいた人々からの銃撃に対応していてそのあと撃ち返し、13歳の男の子と非番の警察官を殺した。

米軍幹部は作戦があったことは認めたが詳細はほとんど言わなかった。

「これはイラク軍が計画して主導した対テロ作戦でした。」と米軍のスポークスマンであるジェフリー・ブキャナン少将が声明の中で述べた。「作戦はヘリコプターなどの米軍の支援によって可能となっていた。また、ほとんどがイラク軍であったが少人数の米軍の軍事顧問が作戦に参加していて、彼らは地上の全ての活動の指揮をとっていた。」

ブキャナン少将は「戦闘が続いて起こったので」、増援の米軍が反撃したのだ、と言った。「米軍はその地域を確保したが作戦には関与していなかった。」と彼は言った。声明は元々の現場の米軍が武器を発砲したのかどうかについては述べていなかった。

イラク軍特別部隊のスポークスマンはコメントを断った。

7月30日の台無しになった襲撃の直後におこなわれたこの作戦は、米軍が今年末以後もイラクにとどまるべきかどうかについての政治的に悩ましい協議を紛糾させることは確実だ。

非公式には残るべき部隊もあるという米国高官からの圧力の中で、イラク政府は水曜日に、米軍の駐留継続についての交渉を開始すると発表した。

金曜日の襲撃についてすでに米軍を厳しく非難している政治家もいて、彼らはイラク国内の新聞でまたもやイラクの主権を侵害したと米軍を批判している。

米軍の幹部によると、イシャキでの作戦は爆薬を集めていた反乱者のチームを選び出していた。反乱者が見つかったかっどうかは不明のままである。

金曜日に、幹部はヘリコプターの支援を提供したと語り、そのことが襲撃は米軍の作戦であるという誤った印象を与えたのかもしれない、と説明した。また、装備や技術のせいでイラク軍がしばしば米軍と間違えられるとも言った。

しかし、土曜日には米軍が参加していたという目撃報告に基づいてさらに質問を受けた後、米軍は米軍部隊が参加していたという声明を発表した。

地域の当局者と2人の目撃者は、ある村人が盗賊だと思ったから部隊に発砲したときに銃撃が始まった、と言った。

「家の近くで銃撃音が聞こえ、私の息子は起き上がり怖いので庭に逃げました。」と少年の母親である51歳のナジア・ガマスは言った、「彼らは息子と夫を撃ったのです。」

アル・ルファイトのブドウ農園の村でおこなわれた7月30日の襲撃では部族長を含む3人の死者が出て、米軍が発砲前に銃撃されたのかどうかについて矛盾した報告がおこなわれた。米軍は、米部隊はイラク軍と共に参加したが、襲撃が議論になるのは、一つにはその標的が見つからなかったからだ、と言った。地域の幹部が言うには、その村はかつては反乱者への共感を抱いていたかもしれないが、スンニ派の反乱者の温床になっているのではないということである。

米軍は一つにはイランに対する釣り合いを取るために部隊をイラクに残したがっている。

イラクの高い地位にある政治家や軍人は訓練のために米軍の助けが必要であると確信している者が多い。しかし他の人たち、特に影響力の強いムクタダ・アル・サドル師はイラク国内に米軍を維持するのでは占領の継続に過ぎないと言っている。

イシャキの62歳の農夫のムハンマド・ファルハンにとっては、政治論争が個人の問題になっている。彼が言うにはイラク軍と米軍が金曜日の午前2時頃に彼の家のドアを打ち壊し、彼と3人の親戚を縛り、外に連れ出した。

彼が言うには、イラク軍と米軍が彼の家を捜索し、彼の小切手を盗み、彼の兄弟のパスポートを持ち去った。「米軍は私たちが嘘つきでテロリストだと言っていました。」とファルハン氏は言った。「なぜ私たちを襲うのです?私たちはただの罪もない住人ですよ。」

英国のイラク戦争検証委員会

英国のイラク戦争検証委員会(チルコット委員会)がいよいよ今年秋に報告書を出します。「メール」紙によるとトニー・ブレアは対イラク戦争の際に、自らの内閣にも、国会にも、イギリス国民にもウソを語りました。ブレアは「戦争犯罪で有罪」(ストップ戦争連合)ということになります。日本でもイラク戦争検証委員会を設置させましょう。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラク戦争検証委員会はトニー・ブレアが戦争犯罪人であることを確認するだろう。それではその次に何が起こるのか?        
※ストップ戦争連合のHPより

サイモン・ウォルターズ トニー・ブレア・ウォッチ  2011年7月31日

イラク戦争検証委員会はトニー・ブレアが自らの内閣にも、国会にも、イギリス国民にもウソを語ったと「メール」紙は言う。そうなると、戦争犯罪で有罪だ。その次に何が起こるのだろうか?

サイモン・ウォルターズ メール・オンライン  2011年7月31日

トニー・ブレアは現代史上最大の外交上の大失敗に英国を導くのに自らが果たした役割について政府が設置したイラク戦争検証委員会の容赦ない批判に直面することになる。彼は4つの主要な失敗に責任があると見なされるだろう。

*サダム・フセインの大量破壊兵器に関して作り出された虚偽の主張を行った。

*戦争を開始するというジョージ・ブッシュとの秘密の約束を英国民に言わなかった。

*ソファー・ガバメント[非公式の顧問グループを中心に行う政治]スタイルで内閣には何も知らせないでいた。

*イラクの戦後の大混乱を避ける計画を立てなかった。

信頼できる情報筋によると、ブレア氏と主要な盟友たちの声望は、ジョン・チルコット卿のイラク戦争検証委員会の報告が今年の秋に公表された時に多大な損害を被るだろうという。ブレア氏とジャック・ストロー元外相や元首相官邸の情報操作専門家アラスター・キャンベルはみな批判を受けると予想されている。

チルコット卿の5人の強い権限を持つ専門家の委員会によって非難を受ける者たち全員が2、3週間のうちにイラク戦争検証委員会の結論についての通知を受けるだろう。彼らは報告が完成する前に申し立てた誤りについて反論する最後の機会を与えられるだろう。まだ書かれてはいないが、どの分野に焦点を当てるのかについては明確な見通しが示されてきた。

ブレア氏がジョージ・ブッシュと一緒にサダム・フセインに対する戦争を行って8年がたち、チルコット委員会は有罪の判定を下す。イラクで合計179人の英国兵士が死んだ一方でイラク人の死者の推定数は10万人から65万人まである。サダムは数週間で倒されたが、イラク侵攻は血塗られた結果を引き起こし、英国や他の場所でテロを増加させる原因になったと主張された。

2年前に当時のゴードン・ブラウン首相によって設置されたチルコット委員会はイラク紛争に関する3つ目の委員会である。情報の欠如に関するバトラー委員会と国防省の兵器専門家のデビッド・ケリー博士の死に関するハットン委員会に次ぐものである。

委員長である元公務員で72歳のジョン・チルコット卿はイラク戦争の2年前の2001年から2009年までの全ての期間に及ぶよりよく調べる調査を行うことを要請された。

ブレア氏が議会に対してサダムが大量破壊兵器を保有していると言っている情報は「疑いもないこと」であると言った事に対して、検証委員会は厳しく追及している。証人としてブレア氏はふてぶてしくも戦争には何の後悔もしていないし、英国は結局はイラク戦争を「計り知れない誇り」を持って振り返ることができるようになるだろうと言い張った。しかし彼は、サダムが45分以内に大量破壊兵器を発射することができるという首相官邸の調査書類の主張の解釈を誤ったことは認めた。彼はまた、戦争前には英国下院で明言したにもかかわらず、2002年秋にはサダムからの「増大しつつある」脅威はなかったことをしぶしぶ認めた。

チルコット委員会の報告は情報操作専門家のキャンベル氏を批判するだろうと予想されているが、サダムの兵器に関する調査書類が「戦争を起こすために事件を起こす」ことをたくらんだものであったのだと言うことを彼は否定したが、国防省情報局の情報収集部長であった元スパイの頭目のマイケル・ローリー少将によって異議を申し立てられた。

ローリー少将は2ヶ月前にチルコット委員会にこう言った。「アラスター・キャンベルはその書類の目的は『戦争のために事件を起こすこと』ではなかったと言いました。私は当時、それが真の目的であり、まさにこの言葉が使われたと言うことに何の疑いも持ちませんでした。私たちは当時、その目的が、役に立つ情報を用意するのではなくて、まさに戦争のための事件を起こすことにあるのだということを知っていました。私と書類の作成にかかわった人々はまさにそのように見ていたのであり、それが私たちに与えられた指示だったのです。」

そして今月はじめには、名前のわからないMI6[英国情報局秘密情報部]の幹部が言うには、キャンベル氏は情報書類に関する活動で「誘導されていないミサイル」のような行動をとっている。そして情報操作専門家は「頭にかっと血が上って事前の適切な相談もなくジャーナリストにさまざまな話や情報を伝える傾向」があるというのである。

チルコット委員会はまた、国民にはまだ決定はしていないと主張しながら、対イラク戦争の1年以上も前に戦争を支持すると個人的にブッシュ氏に言ったというやり方に焦点を置くだろうと理解されている。ブレア氏は2002年にブッシュ大統領のテキサスの農場で開戦の取り決めの「血盟」が交わされたということを否認した。彼はサダムに「対処する」ことに合意しただけだ、と言ったのである。

しかしながら、英国が「体制変更」を支持したかどうかということについてのブレア氏とストロー氏の間の意見の食い違いもチルコット委員会の結論の顕著な特徴となるだろう。その上、ストロー氏は、自分が「非常にしぶしぶ」イラク戦争を承認しただけなのに、イラク戦争が違法であると言う外務省法律顧問の警告を無視したと言ってしまったので、非難を受けている。元外務省上級法律顧問のマイケル・ウッド卿は、イラク戦争に抗議して辞任を検討したし、開戦に反対した後は干されたと言ったのである。

戦争に関する主要な決定が腹心の小さな仲間内によって彼の書斎で決められると言う、ブレア氏のソファー・ガバメント[非公式の顧問グループを中心に行う政治]のスタイル―大部分の閣僚や政府当局者が排除されていた―もまた糾弾されると予想されている。

サダム打倒の後の戦後の混乱の対策を立てなかったことは、チルコット委員会の結論のもう一つの重要な部分になると信じられている。チルコット委員会は、英国軍の司令官のティム・クロス少将が、一つには戦後の計画が「哀れなほどに貧弱」であるために、開戦の2日前にイラク侵攻を遅らせるようにブレア氏に要請した経過を聴取した。

クロス少将は「私は『この軍事作戦に勝てることには何の疑いもありません。しかし、戦後のイラクの準備はできていないと確信しています』と多大な言葉を使って言ったのを覚えています。」と言った。彼は戦後バグダッドに着くと、事態は予想以上に悪化していた。「バグダッドは金網とチューインガムによってつなぎ合わされていました。」と彼は言った。

ブレア氏に近い筋は、ブレア氏が直面しそうな類の批判のことは承知していると言う。「これはまだ書かれてもいない報告を予断をもって判断しようとする意図的なたくらみである。我々は公表されるまでコメントはしない。」ということである。

2011年8月5日金曜日

イラクの米兵が戦争犯罪

イラクの米軍が戦争犯罪!

7月30日の深夜(全交の当日!)、イラク中部のバラド基地の近くのアル・ルフェイト村を米軍・イラク軍の合同部隊が襲撃。

「武装勢力」とは全く関係のない村人に銃撃、手榴弾を投げ込み、3人が殺され、2人の少女を含む5人が負傷。

60代の部族の長老のハミード・ハッサン族長は目隠しをされ両腕が背中で手錠をかけられた死体となって発見されました。
ラク占領、そして市民殺害は続いています。占領軍を即時撤退させましょう!

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

イラクの村で、家宅襲撃が米軍に対する不信感の種をまいている

ティム・アランゴとドュレイド・アドナン  ニューヨークタイムズ 2011年8月2日

アル・ルフェイト、イラク-米軍とイラクの兵士がブドウ農家と部族の伝統のこの村に反乱容疑者を捜索しにこっそりとやってきて、朝の太陽の中を去って行った。

しかしその数時間の間に、作戦は恐ろしく間違ったものになった:すなわち、容疑者は捕獲を免れたが部族の長老を含む3人が殺害され、5人が負傷してそのうち2人は少女だった。

翌日の日曜日の朝、村人はイラク人の生活では見慣れた悲しみの儀式に従った。若者はその日の遅くに始まる3日間の葬式のためのテントを立てていた。ある母親は地元の教員であった息子が撃ち殺された時に着ていた血で染まった服を広げた。中では、一人の女性が死んだ彼女の兄弟のことを「どうして私をおいて行ってしまったの?」と泣き叫んでいた。

ほとんどの男たちは、たとえ作戦がイラクの治安部隊に率いられたものだとしても答えを得てアメリカ軍に怒りをぶちまけたがった。

この襲撃と死は月曜日にイラク国民議会と国内の新聞の憤激をかき立て、駐留米軍の将来の役割についての継続した議論と同時に起こっている。それは現行の協定では米軍が完全に撤退することを求められている年末を越えて米軍部隊が駐留するのに反対する人々にとって新たな契機を提供しているようだ。

しかし、それはまた、オバマ大統領が正式に戦闘任務が終了したと宣言をして1年近くたってからも、米軍兵士がなお2つの戦線での戦闘に今でもいかに深く関与しているのかを強調しているのである。その戦線とはこの村のあるサラハディン州のようなバグダッド北部のスンニ派支配の地域のスンニ派の反乱者に対する戦線であり、そして米軍兵士の戦闘関連の死が急増したことに責任がある南部のシーア派の私兵に対する戦線である。

それは公然とした監視を大部分は超えたところで闘われている戦争であり、イラクと米軍の特別部隊が兵器や反乱者を捜して家々を襲撃する時にほとんど毎晩小さな村や都市の住民にかけられているのである。銃撃を受けることはまれではあるが、それでもサダム・フセインの生まれ故郷のティクリートの真南にあるこのスンニ派の村で土曜日の朝早くに起こったように、時には死人を出す結果になることがある。

何百年間にもわたってこの土地を耕してきたと言うアル・ルファイト族の指導者のユーセユ・アフマド族長は「戦争は終わっていない」と語った。

主要な農作物はぶどうと小麦とオレンジだが大部分はブドウであり、豊作の年には農民は4万2000ドル以上を稼ぐことができる。この日、男たちは夜間襲撃の証拠を掲げた。ある男性は薬きょうを取り上げた。別の男性は手榴弾のピンを取り上げた。茂みの中に絡んでいたのはニューハンプシャー産の黒いプラスチックの手錠一つであった。

アフマド族長と彼の部族は米軍がイラクのアルカイダの反乱者グループの容疑者を狙ってイラクの司法当局の逮捕状を持って実行されたものだと米軍が言うこの作戦を糾弾した。

予想通り、襲撃の戦雲の余波の中で、対立する話が持ち上がった。アフマド族長は最初、反乱者に攻撃を受けていると考えて襲撃が始まった時に発砲した村人がいる、と言った。米軍はこれを確認したが、翌日、住民は武器を発射したことはない、と言ったのである。

e-メールの声明の中で、バグダッドの軍スポークスマンは「イラク軍部隊が米国の顧問と共に家屋に近づいたとき、銃撃を受けて防御のために反撃した。」と書いた。スポークスマンは「人数不明の死傷者が出て、この事件はイラク政府が調査中である」と語った。

午前1時を少し過ぎて襲撃が始まったとき、村人によるとたくさんの子どもを含む16人が米軍とイラク軍の兵士が行った最初の家屋の屋根の上で寝ていた―これは暑さとエアコンを動かす電気の停電から逃れるためにイラクでは普通におこなわれていることである。兵士たちは屋根から銃撃し、手榴弾を投げて反撃したようである。「その直後、命を奪う銃撃は終わった。」と米軍のスポークスマンは書いた。

翌日、屋根は手榴弾の衝撃であばたのようになり、血塗られた足跡が床を汚していた。2人の少女が爆弾の破片でけがをした、と村人は行った。

村人が言うには、また、この作戦が終わった時―それは始まってから約6時間たっていた、と彼らは言った―60代の部族の長老のハミード・ハッサン族長の目隠しをされ両腕が背中で手錠をかけられた死体を彼らは発見した。

族長の息子のマジド・ハミードは彼の父親が手錠をかけられて家から連れ去られたときに窓越しに見ていたのであり、これは彼の父親が結局殺されてしまったやり方についての心の痛む疑問を起こす話である。(この事件の説明について聞かれたとき、米軍スポークスマンは「作戦中に起こったことの詳細は調査中である」と書いた。)

「父は平和的な人間でした。」と19歳の息子は言った。「父は私たちの指導者でした。私には悪夢でした。私は怒ったことについて考えるのを止められません。私は寝ていました。そし突然銃撃と爆弾と手榴弾が来たのです。そして今、父親は死んでしまいました。」

米軍とイラク特殊部隊によって捜索された男は見つからなかったが、「2人のテロリスト容疑者が現場でとらえられ、指名手配されている個人との関係について尋問されている。」と米軍は声明の中で述べた。

地元当局者は、かつては反乱者への共感を心に抱いていたとしても、特別作戦部隊の本部である大きな米軍基地の近くのバラド郊外にあるこの村は、今なお爆発寸前のスンニ派の反乱の温床ではない、と言った。
「そこは平和な村です。」とサラハディーン州評議会の治安委員会委員長のモハンマド・ハッサンは言った。「村にはお尋ね者はいませんし、それにアルカイダのメンバーの情報を伝えてくれて、イラクの治安部隊と覚醒評議会をとても助けてくれています。」(覚醒評議会は以前の反乱者が所属陣営を転換して米軍側に立って戦うようになった2007年に発展した運動である。)

悲しみと怒りに身を震わせて、村人は米国の戦争の結果残された民主主義のスタイルを告発した。「これが米国が持ってきた自由なのか?」と倒れた部族長の家の外の群集の中の一人の男性が言った。

しかし、村人と地域当局は、米国の生活に深く根付いた頼みの綱となる手段を追求すると断言した。すなわち、訴訟を起こすのだ。

「私たちは米軍を訴えますよ。」とハッサン氏は言った。「私たちは法手続きと法廷によって米軍を追求しますよ。」
 

2011年5月11日水曜日

イラク石油労働者の闘い

イラク最大の油田地帯のバスラで、石油労働者が権利獲得と会社当局の腐敗の追及に立ち上がっています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

大規模なデモがイラク・バスラの南部石油会社本部を揺るがす

イラク自由会議 広報部 2001年5月9日

数百人の労働者が抗議の職場放棄をしてイラク南部のバスラ市のバブ・アル・ズバイルにある南部石油会社の本部を揺り動かした。

労働者はバスラの油田、すなわちルメイラの北部と南部や、アルビルジスヤや、西クルナやマジュヌーンから労働者が来て、その先頭には全イラク労働者評議会労働組合連合が立った。

労働者は全ての腐敗した当局者を裁判にかけようとして、腐敗を糾弾するスローガンを声に上げた。その腐敗した当局者には南部石油会社の副社長と販売担当取締役が入っている。

デモに対抗するために、会社の経営陣は治安部隊を呼んだ。サミ・ハッサン(デモの主催者の一人)が2時間にわたって拘束された。

このデモは南部地域で操業するイラクと外国の企業を襲った一連の抗議行動の一部であることは言及するだけの価値があることである。

米国戦争抵抗者同盟・ビン・ラディン殺害について

米国の反戦団体・戦争抵抗者同盟(WRL)がビン・ラディン殺害について声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


ビン・ラディンは法に照らした処罰を受けたのか?

正義もない、勝利もない:平和の名で新たな殺人が行われただけだ

戦争抵抗者同盟(米国) 2011年5月2日

http://www.warresisters.org/binladenmurder

「私は9・11を実際に祝っている人々がいたと聞いて何と恐ろしいことかと考え続けています。そして今、テレビを見ると同じ光景が見えるのです。」

―2001年9月11日にワールドトレードセンターで殺された男性の家族

パキスタンでCIAによってオサマ・ビン・ラディンが殺害されたという報道は正義でも勝利でもなく、祝福の理由にしてはならない。

2001年9月11日から10年近くがたっている。何十万人もの市民が殺された。6000人以上の米国の兵士が殺された。何兆ドルもの資金が浪費された。「対テロ戦争」の中で何万人もの男性、女性、子どもが逮捕され投獄された。拷問が今や米国の対外政策で受け入れられる要素となっている。

ジョージ・W・ブッシュ大統領が米海軍の空母アブラハム・リンカンの艦上で「任務完了」と宣言した後(2003年5月1日)からこの日までに8年間たって、彼はビン・ラディンの殺害を「米国の勝利」だと呼んだ。世界中の首脳がバラク・オバマ大統領と米国への祝福の合唱を増加させた。ニューヨーク市やワシントンDCや全米の他の場所で群衆が集まり、米国旗を振り、愛国歌を歌い、「USA、USA」とくりかえして声を上げた。

この憎しみに満ちた陶酔は国民が正義ではなく復讐に熱中していることを示している。

元々は米国に支援され、現在は米軍の「最大のお尋ね者」の標的リストのトップにいるオサマ・ビン・ラディンとアル・カイダの支持者たちはこうした事態に元気づくだろう。我々の暴力を終わらせようという呼びかけはいわゆる「対テロ戦争」のあらゆる陣営にあてはまるのであり、独立アフガン・フェースブックのページに投稿された反応に共鳴する。

1964年のノーベル平和賞受賞演説の際にマーチン・ルーサー・キングはこう言った。「遅かれ早かれ世界の民衆は平和のうちに共に生きる道を発見しなければならないでしょう…これが達成できれば、人間は全人類の紛争に代わって復讐や侵略や報復を拒否する方法を発展させなければならないのです。」

復讐や侵略や報復を越えて動くのであれば、我々は現在アメリカによって行われている戦争を―宣戦布告をしていようがしていなかろうが―終わらせなければならない。

兵士を帰国させるべき期限は過ぎている。ホワイトハウスは海外の米軍の迅速な撤退を開始しなければならない。

我々は、我々自身の暴力が原因で何十万人もの人たちが死んでいることを正当化するか無視しながら大量殺人の一人の被告の死を祝福してはならない。

戦争の野蛮の中では、その瞬間には考えられなかったことが次には日常茶飯のことになるものだ。我々は今こそ暴力の連鎖を終わらせなければならない。

ビン・ラディン殺害・ストップ戦争連合

英国のストップ戦争連合がビン・ラディン殺害について声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

ビン・ラディン殺害:9/11以来の戦争の10年間でいかに一線を画するか

リンドゼー・ジャーマン ストップ戦争連合全国議長 2011年5月2日

ストップ戦争連合の声明

パキスタンにおける米軍特殊部隊によるオサマ・ビン・ラディンの殺害は「対テロ戦争」の転換点であると熱烈に歓迎されている。この暗殺は、9/11以後の10年近い年月に一線を画するだろう、と主張されている。しかし米国が本当にこの戦争に一線を画したいのなら現在追求しているものとは非常に違った政策を採用する必要がある。

米国軍とその他NATO軍はいますぐアフガニスタンから全軍を撤退しなければならない。ビン・ラディンの捕獲か殺害は、2001年10月に攻撃が始まった時に表明された目的であった―「生死に関わりなくお尋ね者」とジョージ・ブッシュの言葉の中にあった。その時以来、アフガニスタンでは数十万人ではなくても数万人が死に、タリバンが力を回復し、親米政府は世界で最も腐敗した政府である。この戦争には何の正当化もできない。

米国と英国は2001年にビン・ラディンが主張した不満を自ら思い出さなければならない。すなわち、中東に米軍が駐留していること、パレスチナ人に対する扱い、そしてイラクに対する経済制裁の継続である。この不満の全てが過去10年間で悪化した。今ではイラクとアフガニスタンに欧米の軍隊が駐留し、中東全域に米軍基地が配置され、リビヤに対する兵力や空爆などの介入が行われている。パレスチナ人ははるかにひどく苦しめられ、イスラエルによる空中からの攻撃にさらされてきた。イラクは2003年の戦争の結果として全面的な占領にあっている。

戦争はパキスタンに拡大され、ビン・ラディン殺害のような特殊部隊の作戦がおこなわれているだけではなく、無人機の攻撃を伴っていて、何千人ものパキスタン人を殺し、パキスタンに多大な不安定を作り出している。

米国とその同盟国は中東全域の独裁者と専制君主を支援する政策を追求してきた。これらの諸国の国民の蜂起だけが多少なりともその政策を変更させたのであり、現在でも、リビヤで戦争を行いながら、欧米諸国はバーレーンの虐殺やサウジ・アラビアの抑圧に対して目をつぶっている。

リビヤに対する戦争は人道的介入ではなく欧米諸国が―特に北アフリカの旧植民諸国が―この地域の支配権を取り戻そうとしているのである。空爆を即時停止しなければならないし、特殊部隊や顧問を含む全部隊を撤退させなければならない。

こうした政策はテロを終わらせる助けにならずにもっと起こりやすくしてしまった。アル・カイダは10年前にはアフガニスタン以外にはほとんど存在しなかった。今やアル・カイダは中東の多数の国に存在している。最近の事件によってヨーロッパや米国などでアル・カイダによる攻撃がおそらく増加することになるだろう。テロを終わらせる唯一の方法はテロが栄える場所を作る政策を最初に変えることである。

ビン・ラディン殺害について・フィリス・ベニス論評

米国の政策研究所のフィリス・ベニスが米軍によるオサマ・ビン・ラディン殺害について論評しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

オサマ・ビン・ラディンの死:正義なのか復讐なのか?

フィリス・ベニス 政策研究所  2011年5月2日

独裁と腐敗に立ち向かう大衆を基盤にした社会的に広範囲な動員と非暴力の抗議行動を支持してアル・カイダ型の小規模グループによる暴力を直接拒否したアラブの春の真っただ中で、オサマ・ビン・ラディンの殺害が究極的な正義、あるいは9・11の「未完の任務」が終わったことを示すのだろうか?

[アンマン、ヨルダン]―米国の秘密情報員がどうやらイスラマバードの政府の協力を受けないでオサマ・ビン・ラディンをパキスタンで殺害した。アル・カイダの指導者は多大な被害を与えた責任があった。私は彼の死を悲しまない。しかし、どの行動にも原因と結果がともなうのであり、現時点ではあらゆることが危険である。ビン・ラディンの殺害がすでに弱体化していたアル・カイダの力量に大きな影響を与えることはありそうもないし、アル・カイダは他のテロリスト勢力に対する影響力は不明ではあるが、アフガニスタンとパキスタンの間にいるわずか2、300人の戦士で成り立っていると広く信じられている。パキスタン自体は特別に高い代償を払うかも知れない。

バラク・オバマ大統領が述べたように、「銃撃戦の後、彼らはオサマ・ビン・ラディンを殺害した」。それが事実だとすれば、この襲撃はそれに先立ち10年後の今日も続くアフガニスタンとイラクにおける破壊的な戦争の野蛮な現実を反映している―それは誰も法に照らして処罰するものではなく、復讐をするものであった。

そしてビン・ラディンを捕獲するという名目で行われた米国の戦争でアフガニスタン人、イラク人、パキスタン人その他によっていまだに支払われている膨大な犠牲者のことを考えると、結局その目的を実現するのを可能にしたのは、衝撃と畏怖(いふ)作戦の空爆や地上軍の侵攻ではなくて、骨の折れる警察活動―すなわち情報源を育成しながらの注意深い捜査―であったということは、とりわけ皮肉なことであった。

オバマ大統領は9/11後の米国民の団結が「時には崩れた」ことを認めた。しかし彼はツイン・タワーに対する恐ろしい攻撃から24時間以内に実際には団結が完全に崩壊していたことには言及しなかった。2011年の9月11日は「世界を変え」なかった。世界が変わったのは、9月12日にジョージ・W・ブッシュが世界を戦争に引き込んで対抗するという決意を表明した時なのである。その瞬間に、3000人近い人たちを殺した人道に対する犯罪である9/11の実際の事件が置き去りにされて、「地球規模の対テロ戦争」が始まった。その戦争はイラク、アフガニスタン、パキスタン、そしてそれを越えて世界中の何十万もの人々に何年間もの戦争と荒廃と破壊をもたらしたのである。

9/11の犯罪に対抗して、人間としての連帯という団結の前代未聞の高揚が起こった。米国ではその対応の多くは即座に好戦的愛国主義と外国人嫌悪の様相を呈した(そのいくらかはオバマ大統領の演説に続いてホワイトハウスの外にいた旗を振り歓声を上げる群衆の「USA、USA!!」という攻撃的な連呼の中に昨夜再び現れた)。その中にはあからさまに軍国主義的、人種差別的、イスラム嫌悪的なものもあった。しかし予期されなかった米国の歴史上まれな人間としての団結の水準を反映したものも実際にあったのである。国際的に言っても、短期間ではあるが米国民との連帯が米国の傲慢と戦争と帝国支配への突進に対する当然の全世界的な怒りに取って代わったのである。フランスでは新聞の見出しが“nous sommes tous Americaines maintenant”、すなわち「我々は今や皆アメリカ人である」と宣言していた。
しかし、そのような人間としての連帯は短命に終わった。それは9/11の犯罪に対する米国の対応を形作った違法な戦争によって破壊されたのである。これらの戦争は9月11日に殺された3000人をはるかにしのぐ数の犠牲者を即座に作り出した。世界中のさらに何百万人もの生活が米国の侵略にあって変えられた―米軍チームがビン・ラディンを暗殺したパキスタンだけでも、何千人もの人々が米軍の無人機による攻撃と米国の戦争の継続する遺物の一部である自爆攻撃によって殺害され手足を切断された。

これらの戦争はあまりにも多くの死と破壊をもたらした。あまりにも多くの人々が死に、あまりにも多くの子どもたちが孤児となったのは、オバマ大統領の声明が勝ち誇って言ったように、米国が、一人ではあるが象徴的に重要な男が殺害されたから「正義がなされた」と主張するためであった。しかしながら「この闘い」が実際にいつどのようにしておこったのかを、米国政府が9/11に対応するためにどんな方法を選んだのかが確かめられている。その対応は最初から戦争と復讐なのであって、正義ではなかったのである。

大統領の昨夜の演説は、ジョージ・W・ブッシュが始めバラク・オバマが自らの戦争であると主張した「地球規模での対テロ戦争」の勝利主義を終わらせることを目的にすることもできたかも知れない。その演説は正義と平等と他国に対する尊敬を基礎にした米国の新しい外交政策を宣言することができたかも知れない。しかし実際にはそうしなかった。演説はそのかわりにアフガニスタンとパキスタンとイラクとさらにそれ以上の地での米国の戦争が続くことを宣言したのである。

戦争のこの再確認の中でオバマ大統領は「アメリカは決意したことは何でもできる」と主張して、彼の最近の演説の特徴となった米国例外論を重ねて力説した。彼は残忍な戦争をやり続ける米国の能力と意思を、一片の皮肉もなしに書くが、「全ての米国市民の平等獲得のための闘争」などの米国の以前の業績と同一視した。オバマ大統領のくりかえす言葉の中では、地球規模の対テロ戦争が奴隷制度反対や市民的権利獲得の運動に匹敵するものであるのは明らかである。
今日、アラブの春は中東と北アフリカ全体で高まっている。言いようもなく悲しいことに、オバマ大統領はビン・ラディンの死が正義を意味するという主張の中で9/11の攻撃の答えとした米国による破滅的な戦争の終結を宣言する機会を利用しなかった。これは復讐を協調に置き換え、戦争を正義に置き換える機会にすることができたかも知れないのである。

しかしそうはならなかった。ビン・ラディンの死に関わりなく、アフガニスタンやパキスタンやイラクやそれを越えた国々で米国の破壊的な戦争が続く限りは、正義はなされてはいないのである。

2011年5月4日水曜日

USLAWのイラク労働者へのメーデーあいさつ

USLAW(米国反戦労働者の会)がイラクの労働運動にメーデーの連帯アピールを送っています。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争に反対する米国労働者の会 2011年4月29日

イラクの労働運動の姉妹兄弟の皆さんへ:

メーデー―世界労働者階級の連帯のための労働者の日について:

闘いの姉妹、兄弟、同志の皆さん

私たちは、あらゆる場の勤労者のための労働者としての権利と基本的な尊厳を要求するという共通の闘いの中で、本日、皆さんに合流します。

私たちがイラク労働者階級の勇気と断固たる行動をたたえるのは、それが外国のあらゆる介入や支配がなく、抑圧がなくて国際労働基準によって保障されている労働者の全面的な権利を持っている民主的なイラクを追求しているからです。

米国の500万人以上の労働者を代表する190の加盟団体を持つ私たち戦争に反対する米国労働者の会は、皆さんを支持し、皆さんの活動を継続して支援して全ての外国軍と政府によるイラク占領を早急に終わらせ、イラク国民に全面的な国家主権を回復させることを誓います。

私たちは、5月1日を労働者連帯の国際デーにすると宣言することにつながった虐殺事件のあったシカゴのヘイマーケット広場での1886年の労働者の犠牲者たちの記念碑を訪れた人がみな、2007年のイラクの労働運動の代表による歴史的な米国訪問の時にそこに刻まれたイラクの労働運動からのあいさつと連帯のメッセージを見るのだという事実に感動します。

私たちは皆さんと共に激しい階級闘争のメーデーを祝うにあたって、私たち両国の勤労民衆の命と生活を脅かす継続した階級対立の中で私たちは皆さんに連帯して立ち上がります。

イラクの労働運動万歳

両国民の連帯万歳

戦争に反対する米国労働者の会

共同議長:キャシー・ブラック、ジーン・ブラスキン、ボブ・ミューレンカンプ、ブルックス・スンケット、ナンシー・ウォルフォース、マイケル・ズウェイグ

全国オルガナイザー:マイケル・アイゼンシャー

運営調整担当:アドリーン・ニコシア

メーデーアピール・イラク民衆抗議行動委員会

IFC(イラク自由会議)が中心を担っているイラク民衆抗議行動委員会のメーデーに向けたアピールです。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

今年のメーデーにあたって

イラク民衆抗議行動委員会 2011年4月27日

5月1日は全世界の労働者の日である。それは世界の労働者の連帯の日であり、世界は労働者なしには動かすことができないことを労働者が示す日である。今年の5月1日は中東における自由と幸福を要求する大衆蜂起を目撃しているのであり、その蜂起は腐敗した政権を打倒し他の政権に脅威を与え、中東地域と世界の政治的力関係を変えてしまった。これらの蜂起の中で労働者は自らの要求を獲得する上で主要な役割を果たしたのである。

この8年間イラクでは労働者の団結権や抗議権は否定されてきた。これらの権利は前政権下で禁止され、それが新しい「民主主義の」イラクにも持ち越されているのである。国際通貨基金や世界銀行はイラク政府が政府補助金による主要な事業を中断してその民営化に道を開く計画を作り上げた。そこには、もしも実施されたら数十万人の労働者をレイオフする計画が入っている。この計画に加えて、世界銀行とIMFはイラク政府に対して食料配給券に示されている品目数を削除するか削減し、ガソリン価格への政府補助をやめ、労働者の賃金を凍結し、教育と医療を民営化しろと命令した。

その上、宗派主義諸党派によって実行されている殺人と虐殺は職場の労働者の命を奪うのを全く止めていない。さらに、これらの諸党派は宗派に基づいた労働者連合体や労働組合を設立して労働者の分裂を生み出している。彼らがそうするのは、腐敗した内閣を打倒し1927年の労働法のような新しい労働法を押しつけることで20世紀前半のイラクの政治史を牽引したのが労働運動であったからである。

今日では、イラクと中東におけるこの革命的情勢のただ中にあって、イラクの労働者はこうした重荷から社会を救い出すという仕事を実行している。どの要求を実現するためのあらゆる歩みも労働者だけではなくイラク社会全体にとっての決定的な獲得物である。

今年の5月1日は、占領軍による経済・政治政策を拒否する日に、あらゆる種類の汚職を拒否する日に、イラクの幾百万人もの人々の貧困化を拒否する日に、でたらめな逮捕や秘密刑務所や拷問を拒否する日に、憎むべき宗派別の政治権力分有を拒否する日にしよう。

メーデー万歳

2011年4月27日水曜日

リビヤに撃ち込まれた劣化ウラン弾

米軍、英国軍、フランス軍がリビヤに撃ち込んだ爆弾、巡航ミサイルは全てウラニウム兵器(DU=劣化ウラン弾)だった!


DUを作り出すのは原子力発電所です。米、英、仏軍は福島原発事故で日本の市民に放射能が襲いかかっているその真っ最中に、原発から作り出されたDU兵器を大量に使用したのです。アフガニスタン、イラク、そしてリビアへと、DUによる放射能被害は広がったことは確実です。

この一言を見てもリビヤ攻撃はリビア民衆のためにやっているのではないことが分かります。

DUと原発は世界と日本の民衆の共通の敵です。即時廃止を要求しましょう。
(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

劣化ウラン:リビヤ市民を守る奇妙な方法

デビッド・ウィルソン ストップ戦争連合  2011年4月16日

http://www.sott.net/articles/show/226335-Depleted-Uranium-A-Strange-Way-To-Protect-Libyan-Civilians
http://www.uslaboragainstwar.org/article.php?id=23986

「[劣化ウランを先端に取り付けたミサイルは]あらゆる点で汚い爆弾であるという表現が当てはまる…。多数の人々を殺害するためには完璧な兵器だろう。」―マリオン・ファルク、米国カリフォルニア州、ローレンス・リバモア国立研究所[1952年に核兵器の研究開発を目的として設立]の化学物理学者(退職) リビヤ攻撃の最初の24時間に、米軍のB-2[米空軍のステルス戦略爆撃機]は45発の2000ポンド爆弾を投下した[2000ポンドは約1トン]。これらの大型爆弾は、英国とフランスの飛行機や船舶から発射された巡航ミサイルと共に、全て劣化ウラン(DU)の弾頭を持っていたのである。 DUはウラニウム鉱石の濃縮の工程から生み出される廃棄物である。それは核兵器と原子炉の中で使用される。密度が鉛の1.7倍という非常に重い物質であるために、装甲車や建物を貫通する能力を持つことで軍隊によって高く評価されている。DUの弾頭で作られた兵器が戦車の側面のような堅い物体に当たった時、中をまっすぐに突き抜けて、それから燃え上がる蒸気の雲となって吹き上がる。蒸気は毒性を持つだけで・u桙ネく放射性を持つほこりとなって積もる。 着弾したDUミサイルは摂氏1万度で燃える。目標に命中したときに、30%はばらばらになり破片となる。残りの70%は蒸発してウラニウム酸化物などの強い毒性を持つ3つの酸化物になる。この黒いちりは空中に浮遊したまま残り、風や天候によっては大変な距離を移動することが可能である。イラクやリビヤが遙かに遠いと思っていたとしても、チェルノブイリの放射能はウェールズに到達したことを思い出そう。
直径5ミクロン以下の粒子はたやすく吸引され何年にもわたって肺や他の臓器の中に残るかも知れない。国際化されたDUは腎臓の損傷や、肺や骨のガンや、皮膚疾患や、認知症や、染色体の損傷や、免疫不全症候群や、ひどい腎臓病や腸疾患を引き起こす。DUに被曝した妊娠女性は遺伝子欠損を持つ赤ん坊を生むかも知れない。一旦ちりが気化すると、問題がすぐになくなるなどと期待してはならない。アルファ粒子の放出物として、DUは45億年の半減期を持っているのである。

イラクに対する「衝撃と畏怖」作戦の攻撃の時に、バグダッドだけでも1500発以上の爆弾とミサイルが投下された。セイモア・ハーシュは米軍の第三海兵隊航空団だけでも「50万トン以上の兵器」を投下したと主張している。その全てにDUの弾頭がついているのである。

アルジャジーラは侵攻した米軍はバグダッドの建物や家や街路や庭に200トンの放射性物質を撃ち込んだと報道した。クリスチャン・サイエンス・モニター誌の記者は米軍による激しい砲撃にさらされたバグダッド市の数地区にガイガーカウンターを持って行った。彼は居住地域が通常の1000倍から1900倍の放射線レベルにあることを発見した。人口2600万人のイラクに対して、米軍はイラク市民52人ごとに1トンの爆弾を、すなわち1人あたり40ポンド[約20kg]の火薬を投下したのである。 ウィリアム・ヘーグは、我々がリビヤにいるのは「市民と市民の住んでいる地域を守るため」だと言った。誰が、そして何が「守られ」ているのかをずっと先まで探す必要はない、というのである。 あの最初の24時間で「連合軍」はDUを弾頭にした武器に1億ポンド[約140億円]も費やした。ヨーロッパ連合の軍備管理報告は、EU加盟国が2009年にリビヤに2億9320万ポンド[約430億円]の兵器と兵器システムを販売する許可を発行したと述べている。英国はリビヤに対する2170万ポンド[約30億円]相当の兵器を販売するための武器販売会・u梹ミの許可証を発行し、リビアの第32旅団を訓練するためにSAS[英国空軍特殊部隊]を送るためにカダフィ大佐から支払いも受けている。

次の45億年の間に、ウィリアム・ヘーグは北アフリカで休日を送ることはない方に私は賭けるとしよう。

ルメイラ油田で闘う石油労働者

イラク最大のルメイラ油田で石油労働者が立ち上がっています。


ルメイラの石油労働者がバスラの英国石油(BP)本部前で集会を開催

アムジャド・アリ イラク自由会議 2011年4月14日

ルメイラの石油労働者が今日、バスラ州の英国石油(BP)本部前でデモを行い次の要求をした。
・南部石油会社の他の労働者と同額のボーナスを支給すること。
・南部石油会社がBPと契約する前と同様に労働時間を週30時間にすること。

交渉のあと、労働者の代表は、要求が受けいれられなければ15日以内に労働者はストライキに突入して操業所を閉鎖すると書いた最後通告を会社の幹部に渡した。

2011年3月26日土曜日

リビアへの米国の軍事行動に反対 UFPJ

アメリカの反戦団体UFPJが米国の対リビア攻撃の停止を要求しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

今日ホワイトハウスに電話をかけよう-リビアでの米国の軍事行動をやめせよう

UFPJ(平和と正義のための連合) 2009年3月25日

平和と正義のための連合は。アメリカ合衆国のイラクにおける軍事行動と平和的な抗議行動に野蛮な弾圧を加えるためのリビア政府による暴力の行使を即時停止することを求める。我々は、戦闘を止め米国・西欧諸国の影響や国内の抑圧を受けることなく自らの運命の方向を決めるリビア国民の権利を実現することを目的とする交渉を呼びかける。

すでに8年間のイラク占領と世界で最も貧しい国の一つであるアフガニスタンで続く戦争に巻き込まれているのに、米国がリビアに介入する動機というものは全く疑わしい。

中東と北アフリカの諸地域を吹き抜けている心を揺さぶり息をのむような民衆の運動は自由を求める人間らしい欲求の打ち消しがたい表明である。チュニジアとエジプトの運動に鼓舞されて、何万人ものリビア人が街頭に出て抑圧的な政府であると見ているものに対して抗議行動を行った。平和的な抗議行動に集まった市民に対して暴力を使うというリビア政府の選択は人権の否定である。そして、人殺しの私兵や警察や軍隊を国家が組織して使うことでリビア政府の正当性を破壊している。その事が抗議行動を燃え上がらせ自己防衛の暴力を引き起こしたのである。

リビア政府と米国が主導する連合国のどちらも暴力とこの紛争で出るであろう市民の死に全面的な責任がある。両陣営の行動は死と被害を長引かせることになるだろう。リビア民衆のために暴力的敵対行為を即時停止しなければならない。

我々は米国政府がシリアやバーレーンやイエメンやサウジアラビアの民衆の運動を尊重するべきだと要求する。この地域の民衆は平和的な抗議行動に対する弾圧的な暴力に立ち向かっている。同じような抑圧行為に没頭している他の国々に対して外交的ないし公然とした圧力をほとんどかけてもいないのにリビアに対して軍事作戦を行うというのはせいぜいのところ偽善にすぎない。

これらの諸国の民衆の運動の自決権を本当に支持するために、オバマ政権は次のことをしなければならない。

リビアに対するあらゆる軍事行動を停止すること。

国際法と人権を尊重すること。

世界の武器取引の先頭に立っている国として、米国は全ての軍事援助と武器販売を止めなければならない。

これらの武器は世界中の多数の紛争の中で破壊的な勢力を燃え上がらせ犠牲者数を増大させる手助けをしている。その同じ武器が時にアメリカ兵士に対して使用されている。

秘密裏に行われているCIAの軍事行動をやめさせよう。

ホワイトハウスに今日電話をかけよう―202-456-1414

連帯して

UFPJ[平和と正義のための連合]

2011年3月20日日曜日

英国のリビア攻撃反対行動

イギリスのストップ戦争連合が3月20日のリビアへの軍事介入に反対するデモを呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

リビア緊急抗議行動

リビアから手を引け:空爆を今すぐやめろ

ストップ戦争連合

3月20日(日曜日) 午後3-4時

ダウニング街、ホワイトホール、ロンドン

英国と米国は100発以上のトマホーク巡航ミサイルでリビアを爆撃した。これらは精密誘導兵器ではないが大量破壊兵器でありリビアで多くの市民の犠牲者を出すだろう。

飛行禁止空域を承認した国連決議は、それが継続する限り、イラクに対する全面的な軍事攻撃を伴って始まっている。

ストップ戦争連合は、リビア民衆を守るのではなく欧米諸国の支配下で彼らを奴隷化することになるこの野蛮な攻撃を糾弾する。我々は帝国主義が中東地域の諸国民に持ち込んだ死と破壊をあまりにもよく知っている。

我々はすべての人がこの攻撃に反対し、3月20日の日曜日の午後3時にダウニング街でデモをするように呼びかける。

ストップ戦争連合の地域グループ

我々は全国のストップ戦争連合の全ての地域グループに自分の地域で抗議行動を呼びかけるように要請している。自分の住む地域で地域の抗議行動に参加したい場合は、最寄りのストップ戦争連合のグループに連絡していただきたい。

対リビア軍事介入の狙いは中東革命の圧殺

イギリスのストップ戦争連合がリビアへの軍事介入に反対するように呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

国連の対リビア決議の背後にある本当の理由

アンドリュー・マーレイ

ストップ戦争連合全国議長 2011年3月18日

ストップ戦争連合の全国呼びかけ人であるリンドゼイ・ジャーマンはBBCの番組ジェリミー・バイン・ショーで欧米による軍事介入に反対であると主張している。

中東での新たな戦争が布告されたのだ。イラクとアフガニスタンの血にまみれ失敗しつつある占領がいまだに行われているのに、米国と、英国と、フランスは今、リビアに対する軍事介入の拡大を進めているのである。

リビアを攻撃して体制変革を押しつける決議は―それが国連決議の意味である―国連安全保障理事会によって承認されたかも知れない。しかしそれは自分の国民から自らを守るために欧米諸国の中東地域へのさらに深い関与を確保するのに必死となっているアラブ連盟の専制君主たちによってけしかけられたものである。それは過去10年以上にわたってアラブとイスラム世界全体で無差別の暴力を加えてきたのと同じ大国によって実行されるだろう。

「飛行禁止空域」の強制やリビア国防軍とカダフィの部隊に対する空襲や海軍による爆撃はリビアに平和をもたらすことも、リビアにおける紛争の解決にもならないだろう。

しかし、彼らはより多くの市民の命を犠牲にし、英国と世界に軍事介入を拡大させて、最後には少なくともリビアの一部分を占領する危険を冒すだろう。

カダフィ政権を賛美する人はほとんどいないのに、イラクの経験は、外部から「体制変革」を押しつけようとすることが危険なまでに無益なものであるということを強調している。それはまた真の民主主義と自由は空爆や外国による占領からは育たないということを思い起こさせる。

リビアを攻撃することと、ペルシャ湾の少数独裁諸国によるバーレーンへの介入[訳注:サウジアラビアなどの湾岸諸国の軍隊がバーレーンに進駐している]を支持して脅威にさらされている専制君主制を支える―米国第5艦隊の目と鼻の先で―ことは、同じ種類のことなのである。それらは、欧米諸国が最初に支配権を確保して次にアラブの革命を止め、中東地域のおける帝国主義権力の本質的な部分を残しておくという計画された試みを示している。

英国をカダフィ政権を倒す試みの先兵にしようというデビッド・キャメロン[現首相]の決定は、同じ政権をトニー・ブレアとゴードン・ブラウン[いずれも労働党時代の首相]が同じカダフィ政権を抱き込むことになったのと同じ考えによって導かれている―すなわちリビアの石油に対する英国の権益を確保するという願望である。

ストップ戦争連合はリビアに対して外部からの軍事介入を行ってはならないと確信する。アラブの革命を支持するにあたり、我々はアラブの革命は欧米諸国の軍事行動によって支持されることはなく、圧殺されるであろうと確信する。

我々は英国政府が中東から手を引く事を求め、リビアと中東の他のどの地域に対する軍事行動の全てに参加しないように要求する。我々は反戦運動が全国で運動を展開して、この戦争への滑走と英国の参戦を阻止し逆転させるように要請する。

USLAWが対リビア軍事介入に反対

リビアに対する米英、仏軍の攻撃が始まりました。アメリカのUSLAW(戦争に反対するアメリカ労働者の会)は飛行禁止空気記の設定をはじめあらゆる軍事介入に反対を呼びかけています。この声明は攻撃の始まる直前の3月16日のものです。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

リビアについてのUSLAWの声明―民主主義は飛行禁止空域によっては得られない

USLAW共同呼びかけ人 2011年3月16日

戦争に反対する米国労働者の会発表 2011年3月16日

民衆の民主主義の波が北アフリカ全体をとうとうと流れている。チュニジア、エジプト、リビア、バーレーン、イエメン、ヨルダン、アルジェリア、サウジ・アラビア、パレスチナ、イラン、そしてイラクで、幾百万もの人々が独裁政権を拒絶し、自らの権利を要求し、民主的な意思を擁護している。数十年間にわたる抑圧的で専制的な腐敗した独裁的支配が続き野蛮な報復攻撃にしばしば直面したにもかかわらず、民衆は政府と世界に対して、自治と、民主主義と、主権と、平和と、貧困の終焉を望んでいることはもはや拒否をされることはないと訴えているのである。

このことは米国政府を無様(ぶざま)な立場に置くこととなった。というのも、そうした支配者に対して、独裁支配を維持するために使用されてきた武器や飛行機や催涙弾や暴動鎮圧用装備や監視設備を提供したのがたいていは米国政府であったからである。米国の政策の徹底的な欺瞞性が暴露されつつある。

これまでのところオバマ政権は妥当な注意を払ってこの問題に取り組んできた。しかし、政策研究所のフィリス・ベニスは次のように警告している。

ネオコンの戦争屋どもと政府内外の自由主義的干渉主義者、それに議会内外の重要な反戦勢力をも含む強力な米国の世論がオバマ政権に対して市民を保護するためにリビアに飛行禁止空域を設定せよと要求している。

無用な流血を避け、はるかに強大なカダフィに忠実な軍隊に反対する民主勢力を守るためにできることは何でもするというのは、社会正義を主張する者の側に当然の存在する要求である。しかしリビアに飛行禁止空域を強制すれば、米国をかつて通った道に据えることになるだろう。その道はイラクにおいて20年間の禁輸を強制し、8年間にわたる戦争が続いて何十万人もの罪もない市民と4500人近い米国兵士の命を奪い、その他に数十万人もの人々を傷つけ、400万人以上のイラク人を住みかから追い出したのである。

チュニジアとエジプトでは抑圧的な政権が結局は民衆の圧倒的な意思の前に屈した。どちらの国においても、労働運動が中心的な役割を演じて民衆蜂起を革命に変え、暴力的な衝突を長引かせることなく独裁政権が権力を放棄せざるを得なくすることに成功したのである。しかし、リビアではそういう事態にはならずに、ムアマール・カダフィ大佐の政権がかたくなに権力にしがみつき、野蛮な残酷さで対抗し、リビアを内戦に引き込んだ。

重要なことに軍隊の中の数部隊と幹部を含む政権内の一部がカダフィを見限って民衆の側に立った。しかし民衆レジスタンスの組織化は貧弱であり、中央司令部も統一指導部も持たず、そして重大なことであるが、戦車も大砲も、リビア空軍に対する防御も持っていない。

民衆レジスタンスの中には米国とNATO諸国に飛行禁止空域を設定するように要求している部分もある。これはいくつかの政府を含む欧米諸国の他の勢力から共感を受けている。しかし、リビア人は一致して、外国軍がリビアに介入することを明確に拒否している。

フィリス・ベニスは人権弁護士で野党のスポークスマンのアブデル・ハフィド・ゴーガが「我々はいかなる外国の介入にも反対している。…この革命はリビア民衆自身によってやり遂げられるだろう。」と明言していることを報告している。そして政権を離脱して野党勢力の指導者になったリビアのアフマド・ガトロニ将軍は米国に対して「米国民を守りなさい。我々は自分のことは自分でできる。」と説得したのである。

思い起こすだけの価値があることであるが、米国はまた、サダム・フセインの軍隊を武装させ装備を与えて、イラクに対イランの決着を付けさせようとして、50万人以上の生命を奪った互いに破滅的な8年間の戦争にこの2つの国を引き込んだのである。ソビエトによる占領に対してアフガニスタンのムジャヒディーン・ゲリラを武装させたのも米国であった。そうしたゲリラ勢力のいくつかの部分が後にアル・カイダやタリバンとして再構成されたのである。そしてその事がどこにたどり着いたのかは我々みんなが知っている!

リビアに飛行禁止空域を設定して強制する軍事手段を米国が持っていることは疑いのないことであるが、ゲーツ国防長官は飛行禁止空域を成功させる前提条件としてリビア空軍に軍事攻撃をかける必要があると言っているのであり、そうなれば国際法の下での戦争行為を構成することになる。それはまた必然的に生まれる米国の犠牲者は言うに及ばず、数えられないほどの市民の死を結果として招くだろう。そしてアラブの国家の新たな紛争のまっただ中に米国を投げ入れて、中東全域と全世界ではるかに大きな怒りを巻き起こすだろう。

飛行禁止空域が設定されたとしても、装備の整ったリビア軍は大砲と戦車と他の重火器を使って、軽武装で組織化が貧弱な、大部分が訓練も受けていない民衆レジスタンス部隊を圧倒するという可能性は完全にある。そうなれば、米国は反カダフィ革命の敗北を防ぐために地上部隊を投入する必要にかられるだろう。

ウェスリー・クラーク退役大将は軍事介入について1、2のことを学んだ。ワシントンポスト紙の長文の論文(3月12日)で、彼はベトナム戦争以来の米軍の介入の記録を列挙した。

リビアの飛行禁止空域は最初は簡単に進むように見えるかも知れないが、もしもカダフィが進み続ければ、空爆と、爆撃と地上部隊の拡大、すなわちすでに過剰な部隊をもっと乱用することになる。

飛行禁止空域にどれほどの資源をつぎ込んだとしても、おそらく少なすぎるし、遅すぎるだろう。我々は、そんなことを言うために身を運ぶようなことは全くできないとしても、またもやイスラム教徒の土地で体制変更を押しつけるために米国軍を派遣するのだ。介入が成功するための基本的な条件は単に存在しないし、少なくとも存在したためしがないということを認めよう。米国は明確に表明された目的も、法的な権限も、関係する国際社会の支持も、現場の十分な軍事能力も持っていないし、リビアの政治は明確な結果を予兆させることは困難である。

我々は米国の介入の長い歴史の教訓から学ぶべきであった。我々はリビアに過去の過ちの復習科を提供してもらう必要はない。

フィリス・ベニスは自身の評論を以下の助言で結論づけている。:

リビアの将来と現在中東全域で進んでいる民主主義革命の多くの行く末はどうなるか分からない。オバマ政権とペンタゴンと戦争屋どもと米国の政策決定の支配層が米国の「国家利益」を石油が豊かで戦略的重要地域にある諸国と地域を米国が継続して支配することであると規定するなら、ワシントンは孤立化と敵意と高まるテロと憎悪に直面するだろう。

北アメリカと中東を吹き抜けた民主主義革命のプロセスはすでに長期間行き詰まっていた地域を変えてしまった。この地域の諸国民は自分の国の軍事力を大きなものにするのではなくより小さなものにすることを期待している。今こそ米国の政策がこの現実を認めるべき時である。リビアにおける飛行禁止空域にノーの声を上げることはオバマ政権が新たに民主化が進む中東において米国の新しい非軍事化した21世紀の米国の政策を作り上げるプロセスを始めるためにオバマ政権ができる最上のことである。

社会正義を求める運動の中で、抑圧的な独裁を打倒することを求める困窮した人々を支援したいと思うのは当然のことである。しかし、一時の衝動に駆られた善意だけでは適切な政策を作る基礎にはならないものである。

世界の民主勢力に私たちが提供できる最大の支援は、世界の警察官や、世界のいじめっ子や、米国政府の命令を実行したがるあらゆる専制君主や独裁者や暴君や独裁政権に対する武器商人としての役割を終わらせることである。

米国政府が世界の超大国を演じながら現在浪費している資源は雇用の創出や社会安全ネットの再建や米国内と世界の人々の膨大な要求に応えるために投資されなければならない。

2011年3月17日木曜日

IVAWの3月19日デモの呼びかけ

IVAWが3月19日のイラク侵略8周年にウィスコンシン州労働者の闘いに連帯してウィスコンシン州の州都マディソンのデモに参加しようと呼びかけています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

行動の呼びかけ―連帯して立ち上がろう 3月19日:ウィスコンシン州マディソン

戦争に反対するイラク帰還兵の会は全ての帰還兵と平和団体に、米国が先導したイラク侵略8周年の3月19日にウィスコンシン州マディソンに結集して、自らの権利のために組織化をしている労働者に連帯して立ち上がろうと呼びかける。街頭ではAFLCIOや組合員や支援者が合流するだろう。

*午前10時 ライブラリー・モール ウィスコンシン州マディソン、ステート・ストリート750

*午前11時 州議会議事堂に向かってステート・ストリートをデモ行進し、南北戦争記念碑で止まる

*州議会議事堂で正午の集会と演説。ウィスコンシン州AFL―CIOや他の労働組合が参加―キング・ストリート入り口

スコット・ウォーカー州知事が最近、団体交渉の権利を帳消しにしようという策略をおこなったために、ウィスコンシン州の労働者は、ゼネラルストライキの可能性を検討しながら、抵抗を続けようと呼びかけている。スコット・ウォーカーはこの結集を鎮圧するために州兵を導入すると脅迫した。帰還兵として、我々はウィスコンシン州兵の兄弟姉妹たちにどんな動員命令にも拒否し抵抗するように呼びかける。我々は、兵士は人民のための働き手であると確信している。州兵として勤務している者も多い教員や医療関係者や消防士や警察官やその他の政府職員に対して兵士を配備するなどとほのめかすのは恥ずべき事である。ウィスコンシン州兵は、1世紀以上前に1日8時間労働を要求して闘う労働者を鎮圧するために送り込まれた。我々の兄弟姉妹たちが、自分で選択肢を持っていて、ウィスコンシン州の勤労人民と共に立ち上がることによって、今回は歴史の正しい側に向かうことができるのだということを知ることが極めて重要である。

イラクとアフガニスタンの戦争の帰還兵として、我々は労働者として労働組合員として自らの権利を守るために全米で結集をしている何十万人もの労働者と連帯して立ち上がる。中東を吹き抜けた抵抗闘争の波は、民主主義とは米軍の介入によって送り届けられるものではなく、自らの町で、都市で、国で、民衆によって勝ち取り闘われるものであることを示している。

アフガニスタンでのほぼ10年間とイラクでの8年間の戦争はこれらの国の人々と、また軍隊の我々の兄弟姉妹にも、死とトラウマをもたらしただけである。その一方で、教育や帰還兵の年金や医療といった公共財がむしばまれ、社会を機能させている労働者本人たちに全面的な政治攻撃がかけられている。スコット・ウォーカーとウィスコンシン州議会の共和党議員団は、ウィスコンシン州民に隠れて公共部門の労働者の団体交渉権を帳消しにした。財政危機を装って、全米のあれこれの政治家が苦労して獲得した米国民衆の労働組合の権利を無効にしてしまおうとしている。しかしながら、この同じ政治家たちが現在進行中のイラクとアフガニスタンの戦争の資金を出すために勤労人民のポケットの奥深くに手を突っ込み続け、その一方で我々の息子や娘、兄弟姉妹を勤労人民と闘わせるために送り出しているのである。今や我々は、海外での終わりのない戦争と、国内の我々の権利と公共財の浸食の間の点を結びつけ始める時である。

ウィスコンシン州の勤労民衆に連帯して立ち上がり、労働者に敵対する動員を拒否しようと州兵に呼びかけるにあたり、我々は退役軍人団体と反戦運動が我々に合流するようにと呼びかける。米国が先導したイラク侵略8周年に、我々はイラクとアフガニスタン民衆に対する戦争を終わらせ、ウィスコンシン州の勤労民衆に対する戦争を終わらせろと要求するにあたり、我々に合流しよう。

ウィスコンシン州 戦争に反対するイラク帰還兵の会