2011年5月11日水曜日

イラク石油労働者の闘い

イラク最大の油田地帯のバスラで、石油労働者が権利獲得と会社当局の腐敗の追及に立ち上がっています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

大規模なデモがイラク・バスラの南部石油会社本部を揺るがす

イラク自由会議 広報部 2001年5月9日

数百人の労働者が抗議の職場放棄をしてイラク南部のバスラ市のバブ・アル・ズバイルにある南部石油会社の本部を揺り動かした。

労働者はバスラの油田、すなわちルメイラの北部と南部や、アルビルジスヤや、西クルナやマジュヌーンから労働者が来て、その先頭には全イラク労働者評議会労働組合連合が立った。

労働者は全ての腐敗した当局者を裁判にかけようとして、腐敗を糾弾するスローガンを声に上げた。その腐敗した当局者には南部石油会社の副社長と販売担当取締役が入っている。

デモに対抗するために、会社の経営陣は治安部隊を呼んだ。サミ・ハッサン(デモの主催者の一人)が2時間にわたって拘束された。

このデモは南部地域で操業するイラクと外国の企業を襲った一連の抗議行動の一部であることは言及するだけの価値があることである。

米国戦争抵抗者同盟・ビン・ラディン殺害について

米国の反戦団体・戦争抵抗者同盟(WRL)がビン・ラディン殺害について声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)


ビン・ラディンは法に照らした処罰を受けたのか?

正義もない、勝利もない:平和の名で新たな殺人が行われただけだ

戦争抵抗者同盟(米国) 2011年5月2日

http://www.warresisters.org/binladenmurder

「私は9・11を実際に祝っている人々がいたと聞いて何と恐ろしいことかと考え続けています。そして今、テレビを見ると同じ光景が見えるのです。」

―2001年9月11日にワールドトレードセンターで殺された男性の家族

パキスタンでCIAによってオサマ・ビン・ラディンが殺害されたという報道は正義でも勝利でもなく、祝福の理由にしてはならない。

2001年9月11日から10年近くがたっている。何十万人もの市民が殺された。6000人以上の米国の兵士が殺された。何兆ドルもの資金が浪費された。「対テロ戦争」の中で何万人もの男性、女性、子どもが逮捕され投獄された。拷問が今や米国の対外政策で受け入れられる要素となっている。

ジョージ・W・ブッシュ大統領が米海軍の空母アブラハム・リンカンの艦上で「任務完了」と宣言した後(2003年5月1日)からこの日までに8年間たって、彼はビン・ラディンの殺害を「米国の勝利」だと呼んだ。世界中の首脳がバラク・オバマ大統領と米国への祝福の合唱を増加させた。ニューヨーク市やワシントンDCや全米の他の場所で群衆が集まり、米国旗を振り、愛国歌を歌い、「USA、USA」とくりかえして声を上げた。

この憎しみに満ちた陶酔は国民が正義ではなく復讐に熱中していることを示している。

元々は米国に支援され、現在は米軍の「最大のお尋ね者」の標的リストのトップにいるオサマ・ビン・ラディンとアル・カイダの支持者たちはこうした事態に元気づくだろう。我々の暴力を終わらせようという呼びかけはいわゆる「対テロ戦争」のあらゆる陣営にあてはまるのであり、独立アフガン・フェースブックのページに投稿された反応に共鳴する。

1964年のノーベル平和賞受賞演説の際にマーチン・ルーサー・キングはこう言った。「遅かれ早かれ世界の民衆は平和のうちに共に生きる道を発見しなければならないでしょう…これが達成できれば、人間は全人類の紛争に代わって復讐や侵略や報復を拒否する方法を発展させなければならないのです。」

復讐や侵略や報復を越えて動くのであれば、我々は現在アメリカによって行われている戦争を―宣戦布告をしていようがしていなかろうが―終わらせなければならない。

兵士を帰国させるべき期限は過ぎている。ホワイトハウスは海外の米軍の迅速な撤退を開始しなければならない。

我々は、我々自身の暴力が原因で何十万人もの人たちが死んでいることを正当化するか無視しながら大量殺人の一人の被告の死を祝福してはならない。

戦争の野蛮の中では、その瞬間には考えられなかったことが次には日常茶飯のことになるものだ。我々は今こそ暴力の連鎖を終わらせなければならない。

ビン・ラディン殺害・ストップ戦争連合

英国のストップ戦争連合がビン・ラディン殺害について声明を出しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

ビン・ラディン殺害:9/11以来の戦争の10年間でいかに一線を画するか

リンドゼー・ジャーマン ストップ戦争連合全国議長 2011年5月2日

ストップ戦争連合の声明

パキスタンにおける米軍特殊部隊によるオサマ・ビン・ラディンの殺害は「対テロ戦争」の転換点であると熱烈に歓迎されている。この暗殺は、9/11以後の10年近い年月に一線を画するだろう、と主張されている。しかし米国が本当にこの戦争に一線を画したいのなら現在追求しているものとは非常に違った政策を採用する必要がある。

米国軍とその他NATO軍はいますぐアフガニスタンから全軍を撤退しなければならない。ビン・ラディンの捕獲か殺害は、2001年10月に攻撃が始まった時に表明された目的であった―「生死に関わりなくお尋ね者」とジョージ・ブッシュの言葉の中にあった。その時以来、アフガニスタンでは数十万人ではなくても数万人が死に、タリバンが力を回復し、親米政府は世界で最も腐敗した政府である。この戦争には何の正当化もできない。

米国と英国は2001年にビン・ラディンが主張した不満を自ら思い出さなければならない。すなわち、中東に米軍が駐留していること、パレスチナ人に対する扱い、そしてイラクに対する経済制裁の継続である。この不満の全てが過去10年間で悪化した。今ではイラクとアフガニスタンに欧米の軍隊が駐留し、中東全域に米軍基地が配置され、リビヤに対する兵力や空爆などの介入が行われている。パレスチナ人ははるかにひどく苦しめられ、イスラエルによる空中からの攻撃にさらされてきた。イラクは2003年の戦争の結果として全面的な占領にあっている。

戦争はパキスタンに拡大され、ビン・ラディン殺害のような特殊部隊の作戦がおこなわれているだけではなく、無人機の攻撃を伴っていて、何千人ものパキスタン人を殺し、パキスタンに多大な不安定を作り出している。

米国とその同盟国は中東全域の独裁者と専制君主を支援する政策を追求してきた。これらの諸国の国民の蜂起だけが多少なりともその政策を変更させたのであり、現在でも、リビヤで戦争を行いながら、欧米諸国はバーレーンの虐殺やサウジ・アラビアの抑圧に対して目をつぶっている。

リビヤに対する戦争は人道的介入ではなく欧米諸国が―特に北アフリカの旧植民諸国が―この地域の支配権を取り戻そうとしているのである。空爆を即時停止しなければならないし、特殊部隊や顧問を含む全部隊を撤退させなければならない。

こうした政策はテロを終わらせる助けにならずにもっと起こりやすくしてしまった。アル・カイダは10年前にはアフガニスタン以外にはほとんど存在しなかった。今やアル・カイダは中東の多数の国に存在している。最近の事件によってヨーロッパや米国などでアル・カイダによる攻撃がおそらく増加することになるだろう。テロを終わらせる唯一の方法はテロが栄える場所を作る政策を最初に変えることである。

ビン・ラディン殺害について・フィリス・ベニス論評

米国の政策研究所のフィリス・ベニスが米軍によるオサマ・ビン・ラディン殺害について論評しています。

(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

オサマ・ビン・ラディンの死:正義なのか復讐なのか?

フィリス・ベニス 政策研究所  2011年5月2日

独裁と腐敗に立ち向かう大衆を基盤にした社会的に広範囲な動員と非暴力の抗議行動を支持してアル・カイダ型の小規模グループによる暴力を直接拒否したアラブの春の真っただ中で、オサマ・ビン・ラディンの殺害が究極的な正義、あるいは9・11の「未完の任務」が終わったことを示すのだろうか?

[アンマン、ヨルダン]―米国の秘密情報員がどうやらイスラマバードの政府の協力を受けないでオサマ・ビン・ラディンをパキスタンで殺害した。アル・カイダの指導者は多大な被害を与えた責任があった。私は彼の死を悲しまない。しかし、どの行動にも原因と結果がともなうのであり、現時点ではあらゆることが危険である。ビン・ラディンの殺害がすでに弱体化していたアル・カイダの力量に大きな影響を与えることはありそうもないし、アル・カイダは他のテロリスト勢力に対する影響力は不明ではあるが、アフガニスタンとパキスタンの間にいるわずか2、300人の戦士で成り立っていると広く信じられている。パキスタン自体は特別に高い代償を払うかも知れない。

バラク・オバマ大統領が述べたように、「銃撃戦の後、彼らはオサマ・ビン・ラディンを殺害した」。それが事実だとすれば、この襲撃はそれに先立ち10年後の今日も続くアフガニスタンとイラクにおける破壊的な戦争の野蛮な現実を反映している―それは誰も法に照らして処罰するものではなく、復讐をするものであった。

そしてビン・ラディンを捕獲するという名目で行われた米国の戦争でアフガニスタン人、イラク人、パキスタン人その他によっていまだに支払われている膨大な犠牲者のことを考えると、結局その目的を実現するのを可能にしたのは、衝撃と畏怖(いふ)作戦の空爆や地上軍の侵攻ではなくて、骨の折れる警察活動―すなわち情報源を育成しながらの注意深い捜査―であったということは、とりわけ皮肉なことであった。

オバマ大統領は9/11後の米国民の団結が「時には崩れた」ことを認めた。しかし彼はツイン・タワーに対する恐ろしい攻撃から24時間以内に実際には団結が完全に崩壊していたことには言及しなかった。2011年の9月11日は「世界を変え」なかった。世界が変わったのは、9月12日にジョージ・W・ブッシュが世界を戦争に引き込んで対抗するという決意を表明した時なのである。その瞬間に、3000人近い人たちを殺した人道に対する犯罪である9/11の実際の事件が置き去りにされて、「地球規模の対テロ戦争」が始まった。その戦争はイラク、アフガニスタン、パキスタン、そしてそれを越えて世界中の何十万もの人々に何年間もの戦争と荒廃と破壊をもたらしたのである。

9/11の犯罪に対抗して、人間としての連帯という団結の前代未聞の高揚が起こった。米国ではその対応の多くは即座に好戦的愛国主義と外国人嫌悪の様相を呈した(そのいくらかはオバマ大統領の演説に続いてホワイトハウスの外にいた旗を振り歓声を上げる群衆の「USA、USA!!」という攻撃的な連呼の中に昨夜再び現れた)。その中にはあからさまに軍国主義的、人種差別的、イスラム嫌悪的なものもあった。しかし予期されなかった米国の歴史上まれな人間としての団結の水準を反映したものも実際にあったのである。国際的に言っても、短期間ではあるが米国民との連帯が米国の傲慢と戦争と帝国支配への突進に対する当然の全世界的な怒りに取って代わったのである。フランスでは新聞の見出しが“nous sommes tous Americaines maintenant”、すなわち「我々は今や皆アメリカ人である」と宣言していた。
しかし、そのような人間としての連帯は短命に終わった。それは9/11の犯罪に対する米国の対応を形作った違法な戦争によって破壊されたのである。これらの戦争は9月11日に殺された3000人をはるかにしのぐ数の犠牲者を即座に作り出した。世界中のさらに何百万人もの生活が米国の侵略にあって変えられた―米軍チームがビン・ラディンを暗殺したパキスタンだけでも、何千人もの人々が米軍の無人機による攻撃と米国の戦争の継続する遺物の一部である自爆攻撃によって殺害され手足を切断された。

これらの戦争はあまりにも多くの死と破壊をもたらした。あまりにも多くの人々が死に、あまりにも多くの子どもたちが孤児となったのは、オバマ大統領の声明が勝ち誇って言ったように、米国が、一人ではあるが象徴的に重要な男が殺害されたから「正義がなされた」と主張するためであった。しかしながら「この闘い」が実際にいつどのようにしておこったのかを、米国政府が9/11に対応するためにどんな方法を選んだのかが確かめられている。その対応は最初から戦争と復讐なのであって、正義ではなかったのである。

大統領の昨夜の演説は、ジョージ・W・ブッシュが始めバラク・オバマが自らの戦争であると主張した「地球規模での対テロ戦争」の勝利主義を終わらせることを目的にすることもできたかも知れない。その演説は正義と平等と他国に対する尊敬を基礎にした米国の新しい外交政策を宣言することができたかも知れない。しかし実際にはそうしなかった。演説はそのかわりにアフガニスタンとパキスタンとイラクとさらにそれ以上の地での米国の戦争が続くことを宣言したのである。

戦争のこの再確認の中でオバマ大統領は「アメリカは決意したことは何でもできる」と主張して、彼の最近の演説の特徴となった米国例外論を重ねて力説した。彼は残忍な戦争をやり続ける米国の能力と意思を、一片の皮肉もなしに書くが、「全ての米国市民の平等獲得のための闘争」などの米国の以前の業績と同一視した。オバマ大統領のくりかえす言葉の中では、地球規模の対テロ戦争が奴隷制度反対や市民的権利獲得の運動に匹敵するものであるのは明らかである。
今日、アラブの春は中東と北アフリカ全体で高まっている。言いようもなく悲しいことに、オバマ大統領はビン・ラディンの死が正義を意味するという主張の中で9/11の攻撃の答えとした米国による破滅的な戦争の終結を宣言する機会を利用しなかった。これは復讐を協調に置き換え、戦争を正義に置き換える機会にすることができたかも知れないのである。

しかしそうはならなかった。ビン・ラディンの死に関わりなく、アフガニスタンやパキスタンやイラクやそれを越えた国々で米国の破壊的な戦争が続く限りは、正義はなされてはいないのである。

2011年5月4日水曜日

USLAWのイラク労働者へのメーデーあいさつ

USLAW(米国反戦労働者の会)がイラクの労働運動にメーデーの連帯アピールを送っています。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

戦争に反対する米国労働者の会 2011年4月29日

イラクの労働運動の姉妹兄弟の皆さんへ:

メーデー―世界労働者階級の連帯のための労働者の日について:

闘いの姉妹、兄弟、同志の皆さん

私たちは、あらゆる場の勤労者のための労働者としての権利と基本的な尊厳を要求するという共通の闘いの中で、本日、皆さんに合流します。

私たちがイラク労働者階級の勇気と断固たる行動をたたえるのは、それが外国のあらゆる介入や支配がなく、抑圧がなくて国際労働基準によって保障されている労働者の全面的な権利を持っている民主的なイラクを追求しているからです。

米国の500万人以上の労働者を代表する190の加盟団体を持つ私たち戦争に反対する米国労働者の会は、皆さんを支持し、皆さんの活動を継続して支援して全ての外国軍と政府によるイラク占領を早急に終わらせ、イラク国民に全面的な国家主権を回復させることを誓います。

私たちは、5月1日を労働者連帯の国際デーにすると宣言することにつながった虐殺事件のあったシカゴのヘイマーケット広場での1886年の労働者の犠牲者たちの記念碑を訪れた人がみな、2007年のイラクの労働運動の代表による歴史的な米国訪問の時にそこに刻まれたイラクの労働運動からのあいさつと連帯のメッセージを見るのだという事実に感動します。

私たちは皆さんと共に激しい階級闘争のメーデーを祝うにあたって、私たち両国の勤労民衆の命と生活を脅かす継続した階級対立の中で私たちは皆さんに連帯して立ち上がります。

イラクの労働運動万歳

両国民の連帯万歳

戦争に反対する米国労働者の会

共同議長:キャシー・ブラック、ジーン・ブラスキン、ボブ・ミューレンカンプ、ブルックス・スンケット、ナンシー・ウォルフォース、マイケル・ズウェイグ

全国オルガナイザー:マイケル・アイゼンシャー

運営調整担当:アドリーン・ニコシア

メーデーアピール・イラク民衆抗議行動委員会

IFC(イラク自由会議)が中心を担っているイラク民衆抗議行動委員会のメーデーに向けたアピールです。


(日本語訳:イラク市民レジスタンス連帯委員会)

今年のメーデーにあたって

イラク民衆抗議行動委員会 2011年4月27日

5月1日は全世界の労働者の日である。それは世界の労働者の連帯の日であり、世界は労働者なしには動かすことができないことを労働者が示す日である。今年の5月1日は中東における自由と幸福を要求する大衆蜂起を目撃しているのであり、その蜂起は腐敗した政権を打倒し他の政権に脅威を与え、中東地域と世界の政治的力関係を変えてしまった。これらの蜂起の中で労働者は自らの要求を獲得する上で主要な役割を果たしたのである。

この8年間イラクでは労働者の団結権や抗議権は否定されてきた。これらの権利は前政権下で禁止され、それが新しい「民主主義の」イラクにも持ち越されているのである。国際通貨基金や世界銀行はイラク政府が政府補助金による主要な事業を中断してその民営化に道を開く計画を作り上げた。そこには、もしも実施されたら数十万人の労働者をレイオフする計画が入っている。この計画に加えて、世界銀行とIMFはイラク政府に対して食料配給券に示されている品目数を削除するか削減し、ガソリン価格への政府補助をやめ、労働者の賃金を凍結し、教育と医療を民営化しろと命令した。

その上、宗派主義諸党派によって実行されている殺人と虐殺は職場の労働者の命を奪うのを全く止めていない。さらに、これらの諸党派は宗派に基づいた労働者連合体や労働組合を設立して労働者の分裂を生み出している。彼らがそうするのは、腐敗した内閣を打倒し1927年の労働法のような新しい労働法を押しつけることで20世紀前半のイラクの政治史を牽引したのが労働運動であったからである。

今日では、イラクと中東におけるこの革命的情勢のただ中にあって、イラクの労働者はこうした重荷から社会を救い出すという仕事を実行している。どの要求を実現するためのあらゆる歩みも労働者だけではなくイラク社会全体にとっての決定的な獲得物である。

今年の5月1日は、占領軍による経済・政治政策を拒否する日に、あらゆる種類の汚職を拒否する日に、イラクの幾百万人もの人々の貧困化を拒否する日に、でたらめな逮捕や秘密刑務所や拷問を拒否する日に、憎むべき宗派別の政治権力分有を拒否する日にしよう。

メーデー万歳